第11話 影そよぎの商人
配信の翌日。
俺たちは、王の間に集まっていた。
焦げた石の匂いは、まだ残っている。
崩れた柱。焼けた床。壁際には、壊れた改造装置。
その真ん中にいるのは、魔狼族と、ダークエルフと、元獣医と、ポメラニアン。
……冷静に考えると、だいぶやばい集まりだ。
昨日の配信で、金はできた。
これで食料を買える。
少なくとも、俺はそう思っていた。
「……駄目ね」
リュシアが、魔導端末を睨んでいる。
さっきから何度も画面を切り替えているが、その顔は一向に晴れない。
「何が駄目なんだ?」
「買い付けができないのよ」
リュシアが、端末をこちらへ向けた。
ベルナ地方の商会が、いくつも並んでいる。
その横には、同じ赤い表示が出ていた。
【取引停止】
「普通なら、この辺りの商会に注文を出せば、食料も薬も運んでもらえるわ。そのつもりで昨日、資金を作ったんだけど」
リュシアが指を滑らせる。
次の商会。その次。
どれも同じだった。
「ベルナ地方一帯で、こっちへの買い付けが止められてる」
「地方一帯?」
「ええ。こんなの初めて見るわ」
リュシアの眉が寄る。
「商会一つに圧力をかける程度じゃない。ベルナ地方の商流そのものを、無理やり押さえてる」
誰の仕業かなんて、考えるまでもなかった。
「……サディウスか」
「たぶんね」
リュシアが端末を閉じる。
「私たちに、食料を渡さないつもりよ。ずいぶん強引な手を使ってきたわね」
金はある。食料もある。
なのに、買えない。
腕の中で、くーちゃんが小さく鳴いた。
「きゅ……」
いつものボーロ要求じゃない。声が細く、舌の動きも鈍い。
低血糖の兆候が、戻り始めている。
「きゅーん」
くーちゃんが、また細く鳴いた。
「神獣様、もう少しだけお待ちください」
ヴァルガルが申し訳なさそうに言う。魔狼たちも、同じ顔をしていた。
神獣様だけ優先順位が高すぎる。
「私が、近くの村で交換してきます」
若い魔狼が立ち上がった。
「ダメだ」
ヴァルガルが即座に止めた。
「街道は監視されている。たどり着ける保証もない」
魔狼が、悔しそうに座り直した。
金貨だけじゃ、腹は膨れない。笑えない冗談だった。
誰も、次の言葉を継げない。
その静けさを裂くように、王の間の隅に置かれた油灯が、ふっと揺れた。
風はない。
もう一つ、揺れる。
次の瞬間、ぱち、と小さな音を立てて火が消えた。
魔狼たちが、一斉に顔を上げる。
「あんたら、困ってそうだな」
声がした。
気づけば、入り口に男が立っていた。
細身の男だ。黒髪を無造作に流し、眠そうな目をしている。
壁に背を預け、最初からそこにいたみたいな顔をしていた。
……さっきまで、いなかったよな?
「動くな、怪しいやつめ!」
近くにいた魔狼が、前に出る。
「まあ、そんなに警戒するなって。敵じゃないから」
軽い口調で、男が言う。
次の瞬間、魔狼が地面を蹴った。
速い。一直線に、喉元を噛み砕く軌道。
当たる。
そう見えた。
男の影が、ぐにゃりと揺れる。
影が、魔狼の身体に触れる。
ほんのわずか。だが確実に、魔狼の位置がズレた。
牙が、空を切る。
「……何だ、今のは」
着地した魔狼が、低く唸った。
男は、肩をすくめる。
「悪いな」
一歩、踏み出す。
「その一撃、そよがせてもらったぜ」
影が、足元で静かに揺れていた。
「腹減ってるからって、そうカッカするなよ」
「ふざけるな!」
「やめろ」
ヴァルガルが、魔狼を制した。
金色の瞳が、男の足元を見る。
「影術使いか。只者ではないな」
「闇商人の、カゲツってもんだ」
カゲツが、肩をすくめる。
「しがない商人さ」
「しがない商人が、ダンジョン深層の王の間に忍び込むのか」
「商売熱心でね」
目だけが、笑っていた。
「見物料を払うタイプには見えないわね」
リュシアが、わずかに口角を上げる。
「商人なら、売り物を持ってきたんでしょう?」
「ああ」
カゲツは、あっさりと頷いた。
「あんたらが、今いちばん欲しがってるものだ」
一拍置いて、笑う。
「……安くはないがな」
足元は見てくるらしい。
だが、ほかに交換相手がいないのも事実だ。
「さあ、どうする? 俺と取引するか、しないか。あんたらの自由だ」
カゲツが肩をすくめる。
「まあ、余裕があるならの話だがな」
見透かされている。
信用はできない。
だが、追い返す余裕もない。
その迷いを、くーちゃんが断ち切った。
「きゅーん!」
さっきまであんなに元気がなかったのに、食べ物の匂いだけは別らしい。短い足でカゲツの元へ駆けていく。
「おい、なんだこのもふもふは!」
カゲツが慌てた。
本当に慌てている。さっきまでの余裕が、一瞬で消えていた。
くーちゃんはカゲツの足元にまとわりつき、尻尾を振る。
カゲツがしゃがむと、顔をぺろぺろ舐めた。
まるで、旧友との再会を喜ぶみたいに。
「神獣様、危ない!」
魔狼の一体が声を上げる。
「なあ、くーちゃんと知り合いなのか?」
カゲツへ目を向けた。
「知らない。こんなもふもふは知らない」
でも、くーちゃんは懐いていた。カゲツの足元を、てちてちと回っている。
その動きが、急に速くなった。
カゲツの腰袋に飛びつき、中から黄色い塊を咥え取る。
「きゅーん!」
嬉しそうに、食べ始めた。
蜂蜜で固めたような塊だ。薬草の匂いも、かすかに混じっている。
「あっ、俺の薬草蜜玉! なんで分かったんだ!」
カゲツが頭を抱えた。
「薬草蜜玉?」
「胃薬代わりの菓子だよ。苦い薬草を蜂蜜で固めてんだ。苦いと続かねえだろ」
「本当に知り合いじゃないのか?」
もう一度聞いた。
カゲツが、くーちゃんを見る。少し考えて、眉をひそめた。
「いや、待てよ」
「何だ」
「親父が、食いしん坊のクリーム色のポメラニアンと旅したことがあるって言ってたな」
カゲツの視線が、くーちゃんへ落ちる。
「……まさかな。いや、考えすぎか」
くーちゃんは答えず、薬草蜜玉に夢中だった。
「神獣様が懐いておられるのであれば、敵ではない」
ヴァルガルが、はっきりと言った。
「ただし、信用したわけではない」
金色の瞳が、カゲツを射抜く。
「話を聞こう」
「十分だ」
カゲツが口の端を上げた。
しゃがんだまま、くーちゃんの頭を一度だけ撫でる。
それから立ち上がり、ローブの内側から黒革の手帳を取り出した。
「じゃあ、商談といこうか」
手帳を開く。
「あんたたちが欲しいもの。俺が用意できるもの。整理しよう」
手帳には、食料の種類から資材の量まで、びっしりと書き込まれていた。
カゲツは手帳を閉じた。
「値段は、まあ、割高だ」
そう言って、ローブの内側を軽く開く。
干し肉。保存パン。小袋に分けられた穀物。
それに。
「きゅーん!」
くーちゃんが、びくっと反応した。
小さな瓶に入った、蜂蜜色の丸い菓子。
どう見ても、ボーロだ。
「商人なんでな」
カゲツが、にやりと笑う。
「飢えた相手に、見せ札くらいは持ってくる」
くーちゃんが、ボーロの瓶から目を離さない。
こいつ、最初から分かっていた。
俺たちが、何に一番弱いかを。
次回、商談本番。
怪しい商人が、もふもふ領地に最初の大きな選択を突きつけます。
くーちゃん「続きも読んでくれたら、しっぽ振るワン」




