第1話 処刑配信中、魔狼王を治療したら全部ひっくり返った
「三男トーマ・ヴィタリス。お前を、ダンジョン深層追放の刑とする」
断罪の間に、サディウスの声が響いた。
横領、並びに禁忌研究への関与。そう続けて、わざとらしく肩をすくめる。
「ヴィタリス家にあるまじき不正だ」
サディウスは、ゆっくりと両手を広げた。
「喜べ。今回は配信付きだ」
空中の魔導カメラが、じわりと光る。配信コメントが流れ始めた。
《投げ銭するわ》
《さっさと深層に落とせ》
今日の見世物は、俺だった。
横領も、禁忌研究も、全部サディウスの仕業だ。証拠だけは、きれいに消えている。
罪を押しつけ、配信まで回している。
手際がいい。最悪の方向に。
毎日見ていたのは、魔獣の脈と、呼吸と、傷口の色だった。
貴族の帳簿に、誰が何を書き足したか。帳簿の改ざんなんて、診ていなかった。
奴の視線が、ふと下がった。
「……犬か」
腕の中で、くーちゃんが震えている。
クリーム色の小さなポメラニアン。三年前、森で腹を空かせて倒れていたのを拾ってから、ずっと一緒にいる相棒だ。
「この子だけは、助けてくれ」
サディウスの口元が歪んだ。
「ほう。犬のために、必死だな」
《処刑にペット連れてくるなw》
《かわいそうw》
「ならば、土下座だ」
くーちゃんの震え方が、恐怖だけじゃない。脱水と低血糖の兆候がある。抱えた体は、さっきより冷たい。
俺の名誉なんか、どうでもいい。
膝をついた。
額を、石畳に押しつける。
《土下座きた》
《犬一匹でここまでやるのか》
サディウスは何も言わず、味わうようにそれを眺めていた。
「いい見世物だった」
「犬がいた方が、配信映えするだろう」
サディウスの足が、横腹に入った。石畳に頬がつく。
「お前のような“治すだけの人間”に価値はない」
もう一度、踏みつけられる。
それでも、くーちゃんを抱く腕だけは解かなかった。
巨大な魔法陣が、床に開いた。転移陣だ。そう気づいた時には、衛兵に背中を押されていた。
足が、陣の中に入る。
「安心しろ。魔物の餌になる、その最後の瞬間まで、配信で見届けてやる」
サディウスは、楽しそうに笑った。
「三分は生きられるといいな。魔物の餌として」
《三分www》
《カップ麺かよww》
《何分生きるか、賭けようぜ》
光が、視界を埋めた。くーちゃんを抱いたまま、体を丸める。
ダンジョン深層へ、落ちた。
***
光が消えた。暗い。冷たい空気が、肺に刺さる。
本当に落としやがった。
膝がうまく動かず、起き上がるのに手間取った。転移の衝撃で、体の芯がまだ揺れている。石床につけた指先から、熱が奪われていく。
壁。闇。濡れた岩肌。奥から、何かを引きずる音が聞こえた。
三分とか言っていたが、一分も持ちそうにない。
膝の上で、くーちゃんが丸まっていた。小さな体が細かく震えている。恐怖だけじゃない、寒さだけでもない。鼻先が乾いて、耳の先が冷たい。呼吸も浅かった。
抱き上げると、いつもの弾むような温かさが足りない。捕まってからずっと、何も食べていないままだ。
低血糖が来ている。
「きゅーん」
……俺のせいで、ごめんな。
謝っている場合じゃない。後悔は、あとだ。今は糖を入れる。
ポケットに手を入れると、くしゃりと袋が指先に触れた。捕まる前に入れたままの、くーちゃん用のボーロ。
一粒だけ、残っていた。
袋を開けると、くーちゃんの鼻がひくりと動いた。
……よかった。まだ、食べられそうだ。
「くーちゃん、食べてくれ」
袋からボーロを取り出した、その瞬間。
空中の魔導カメラが、じわりと光った。
……貴族サロンの見世物は、まだ続くらしい。
「おや、おや。食料を隠し持っているとは、なんとも卑しい」
《犬のおやつで草》
《最後の晩餐それ?》
「ならば、重い罰ゲームを与えよう」
「本日の目玉! 命令術式を刻んだ、改造・魔狼王による処刑ショー!!」
《魔狼王!?》
《あれ国家討伐指定だろ》
《本気で殺す気か》
ボーロを持った手が、止まった。
地響きが近づく。
通路の奥に、巨大な影。四メートル超の黒い魔狼。赤い瞳が光る。
魔狼王。
王都が単独討伐を禁じた存在。遭遇したら、終わりだ。
だが、魔狼王の動きがおかしい。
呼吸が荒い。右前脚の接地が浅い。瞳孔は開いているのに、焦点が合っていない。
俺を睨んでいるのに、首だけがわずかに逆を向こうとしていた。
……自分の意思で動いていない。
サディウスの笑い声が響いた。
「どうした、魔狼王。まだ抗うつもりか?」
「無駄だ。命令術式は深く刻んである。お前の意思では逆らえん」
「さあ、殺れ! そのブレスで、この卑しい男を焼き殺せ!」
魔狼王の喉が低く鳴る。
「グルル……」
喉元が赤く光り、熱が膨れ上がる。
来る。
俺はくーちゃんを胸に抱き込み、魔狼王に背を向けた。
せめて、こいつだけは。
「キャン!」
腕の中で、くーちゃんの小さな体が跳ねる。
俺の指から、最後のボーロを咥え取った。
ぱくり。
くーちゃんが、光った。
胸の奥から白い光が広がり、クリーム色の毛がふわりと輝く。
ゴォッ!!
背後で轟音が響いた。魔狼王のブレスだ。
振り返ると、赤い炎が通路を埋め尽くすように迫っていた。
炎は、くーちゃんの光に触れた瞬間、消えた。
押し返したんじゃない。弾いたんでもない。
音も衝撃も残さず、ただ、溶けるように。
熱は、来なかった。
《え?》
《炎、消えた?》
《映像バグ?》
目の前では、くーちゃんが白く光っている。
……犬が光る症例なんて、教科書にはなかった。
その光が、俺の体まで届いた。柔らかい温もりが、凍えた体を包み込む。
頭の奥に鋭い痺れが走り、視界が白く弾けた。
世界が変わる。
薄暗かったダンジョンが、白く透き通って見える。
魔狼王の体に絡みつく、黒い鎖が見えた。
首、胴、四肢、背骨。
鎖は、体を動かす場所ごとに食い込み、命令を流し込んでいる。魔法文字が、脈のように明滅していた。
……ひどいな。
これが、サディウスの命令術式か。
足が、勝手に前へ出ていた。
目の前にいるのは、俺を殺す魔物じゃない。苦しんでいる患者だ。
なら、獣医の仕事は決まっている。診るべき場所も。
魔狼王が動きを止める。くーちゃんの光に怯えている。
「待ってろ」
魔狼王に向かって、歩いた。唸り声が低くなる。殺気が肌を刺す。
手を伸ばして、首元に触れた。
首の鎖は太い。
たぶん、命令術式の中心だ。
だが、最初に切ったら駄目だ。首をいきなり外せば、行き場をなくした命令が全身に跳ねる。まず、動きを奪っている場所から外す。
「先に、脚だ」
右前脚に食い込んだ鎖を掴んだ。冷たい。生き物の中にあるはずなのに、体温がまるでなかった。
「少し痛いぞ」
「グァァァアアアッ!!」
鎖を引く。魔法文字が軋み、黒い粒子が散った。
右前脚が、すとんと床に下りた。
「よし!」
次は、背骨だ。ここが命令の幹になっている。神経を押さえつけるように、黒い鎖が一本ずつ食い込んでいた。
一気には切らない。切っていい順番で切る。
「痛いよな。分かってる」
魔狼王が吠え、巨体が震える。それでも手は離さない。
この体を、命令の道具にされたままにはしない。
鎖が砕けた。
魔狼王の瞳が、わずかに揺れた。赤い光の奥に、金色が戻りかけている。
最後に、喉元。
ここだけ、鎖の太さが違う。赤く熱を持った喉を、内側から締めつけていた。
両手で掴む。今までで一番、熱い。
「……処置する」
「ガァァアアアアアッ!!」
「終わりだ!」
鎖を、裂いた。
黒い魔力が一瞬だけ噴き上がり、砕けた鎖は光の粒になって散っていく。
荒れていた呼吸が、ゆっくりと落ち着いていく。濁っていた瞳に、色が戻った。
……間に合った。
巨大な体が揺れた。
前脚から、力が抜ける。次に、後脚。ゆっくりと、確かめるように。
魔狼王が、目の前に膝を折った。地面が沈む。
敵意は、完全に消えていた。
「きゅーん!」
くーちゃんが、とてとてと前に出た。
魔狼王の巨体から、ふっと力が抜けた。
「クゥン……」
魔狼王が、腹を見せた。
巨大な魔狼が、尻尾を振りながら小さなポメラニアンにじゃれついている。
「……は?」
コメントが爆発した。
《は??》
《なんで!?》
《魔狼王が腹見せてる》
《ポメラニアンに!?》
《処刑ショーどこ行った》
《サディウス何やってんだ》
サディウスの声が震えていた。
「ば、ばかな……命令術式が、解けたというのか……!?」
魔狼王は、見向きもしない。
くーちゃんにじゃれついている。
完全に無視だ。
勝ったわけじゃない。
壊されかけた命を、ひとつ取り戻しただけだ。
でも、それで十分だった。
「サディウス。治すだけの人間に価値はない、と言ったな」
魔導カメラの向こうを見据える。
「なら、見ていろ。お前が壊した命は、全部俺が治す」
くーちゃんの光が、少しずつ遠のいていく。魔狼王の低い息遣いを聞きながら、俺の意識はそこで落ちた。
処刑されるはずの獣医が、魔狼王を「倒す」のではなく治療しました。
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