第一章 正統な世継ぎ
# 第一章 正統な世継ぎ
ヴェルドレイク王は、想像していたより重かった。
セバスチャンはゆっくりと剣を引き抜く。
王の体が崩れ落ちる。
自分の手を見た。
血。
そりゃそうだ。
周囲は──もう見る影もない。柱は崩れ、旗は燃えている。ヴェルドレイクの精鋭、二百人。床に転がる死体は、もう人の形を保っていなかった。
煙の中からレインが現れる。
ナイフでも拭うみたいに、袖で剣を拭いていた。
「全員殺したのか」
死体を見回す目は、どこか感心しているようにも見えた。
「さすが、次期皇帝」
セバスチャンはその横を通り過ぎ、玉座へ歩く。
座った。
冷たい。
(誰が信じるよ)
(作家が、自分の小説の主人公になるなんて)
(それでも、何ひとつ守れなかった)
燃え盛る大広間を見渡す。
(このシーン、俺が書いた。死体一つ一つ、燃える旗の一枚一枚まで。アパートで深夜二時、コンビニのおにぎり食いながら「うわ、エモいな」って思いながら書いた)
(現実の匂いは違う)
「おい」レインが足先で軽く蹴ってくる。「カッコついて座ってる暇ねえぞ。動くぞ」
セバスチャンは黙って立ち上がった。
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帝宮の門が開く。
両側。
全開。
ただの入場じゃない、という入場。
上から白と金の花びらが二筋、ゆっくりと舞い落ちる。広間は埋め尽くされていた──絹をまとう貴族たち、甲冑姿の将軍たち、二十年は戦場に立ってないはずの大臣たちまで、さも自分が戦ったみたいな顔で並んでいる。
全員が立ち上がる。
「帝国に栄光を!」
セバスチャンは歩いていく。
落ち着いた足取り。前だけ見て。
レインも横を歩く。
両側から侍女が花飾りを首にかけてくる。足は止めない。
広間の奥で、皇帝がゆっくりと玉座から立ち上がった。
その動きだけで、広間が静まり返る。
「お前は、帝国に勝利をもたらした」
その声だけで空間が埋まる。古い権威ってやつの声。
セバスチャンは階段の下で足を止めた。
「どうも。父上」
皇帝は長い間、彼を見ていた。
その表情に浮かんだのは、誇りでもなく、安堵でもなく──強いて言うなら、半年間止めていた息を、ようやく吐いたみたいな顔だった。
「今夜、この帝国はお前のために宴を開く」一段、降りる。「我が息子が──」もう一段、「──正統な世継ぎであると、疑いの余地なく証明したからだ」
肩に手を置かれる。
「誇りに思うぞ」
セバスチャンは笑った。
(今この瞬間、四方八方から蛇みたいな目線が飛んできてる)
(従兄弟。大臣たち。五年前に間違った候補を支持した将軍三人。今朝俺に笑いかけて、俺の葬式でも同じ顔で笑うであろう貴族の半分)
(お前らのことは全部、俺が書いた。全員知ってる)
(誰一人、怖くない)
もっと笑った。
「光栄です。父上」
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自分の部屋に向かう途中、ロザリンがレインに後ろからぶつかった。
わざとじゃない。
早足で歩いていて、レインが前にいただけ。
体勢を立て直すために腕をつかんで──そのまま、離さなかった。
歩き続ける。
レインは何も言わず、当然みたいに歩幅を合わせた。
「会いたかった?」横から見上げる。
「当然」
彼女は笑う。
彼はこめかみにキスをした。
セバスチャンはそのまま歩き続けた。
(変えられないのはわかってる)
(わかってる)
(それでも、やってみるしかない)
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風呂は熱すぎた。
調整しなかった。
東京の自分のアパートより広い浴室の天井を見上げながら、頭を整理しようとした。
(セイリュウ・ネクサス)
(ネクサス帝国の皇子。NPC。第七章で政治的な空気を出すために足した、ただの脇役。セリフは全編通して四行)
(そのNPCが、俺を現実から引っ張り出した。森で撃って、自分の小説の中に送り込んだ)
(なぜ)
肩まで沈んだ。
(まあ、どっちにしろ)
(サラリーマンよりこっちの人生のほうが圧倒的にマシだ。飯はいい。服もいい。深夜にメールも来ない。この天井だけでも来た価値はある)
天井を見上げる。
(マジで綺麗な天井だな)
湯が冷めるまで、出なかった。
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外では祝勝の声が響いていた。
城壁の上からでも聞こえる。
音楽。歓声。何かに勝ったと信じてる街特有のあの音。
セバスチャンは普段着のコートを着て、仮面をつけ、十二の頃からの裏口──厨房口から外へ出た。
夜の都は、焼けた肉と安いワインと祝勝の焚き火の煙の匂いがした。
みんな笑っている。
ポケットに手を入れて、その中を歩く。
(俺たちが勝ったと思ってる)
兵士たちの足の間を、子供が三人、追いかけっこしながら駆けていく角で足を止めた。
(国が一つ、丸ごと燃えた。あの兵士たちのうち何人に子供がいた?その子供たちの何人が、今ちょうどこうやって──笑って走って──まだ何も知らないままでいる?)
(それも俺が書いた。ヴェルドレイク炎上、二段落で済ませて先に進んだ)
(二段落)
そのまま歩き続けた。
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商人通りの端にある酒場には、祝勝の空気が一切なかった。
バーテンダーが一人。蝋燭が二つ。古い木と、もっと古いエールの匂い。
セバスチャンはカウンターに座る。
バーテンダーは聞かれてもいないのにマグを置いた。横目でこっちを見る。
「で」カウンターを拭く。「ヴェルドレイクを燃やしたんだろ」
「そうだ」
「シャストリンは動くと思うか?」
セバスチャンはゆっくり一口飲んだ。
(第十四章。シャストリンの進軍。あのプロットには三週間かけた。将軍が北の国境を越えるのは、ヴェルドレイク陥落からちょうど四十日後。今日から数えて四十日)
(四十日)
「いや、まだだろう」マグを置く。「今は」
バーテンダーはゆっくり頷いた。「賢い連中はもう北の地区から引いてるよ。人間てのは、知る前に感じるもんだ」
(その台詞)
セバスチャンの動きが止まった。
(俺が書いた台詞だ。一字一句。四十七ページ。侵略編が始まる前に、市民の不安を匂わせるためだけに一度だけ出てくるバーテンダー)
(原稿に名前すらない奴)
バーテンダーを見た。
もうカウンターの向こうへ移動していた。
ただ仕事をしているだけの一人の人間。
セバスチャンは煙草に火をつけた。
(そりゃそうだ。この世界は全部、俺が書いた)
(変えた後どうなるか、それだけが書いてない)
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「セブ」
振り向く前から、その声だとわかった。
エリナ・ホイットモアが、まるで最初からそこにいたみたいに隣のスツールに座った。
ブロンドの髪はほどかれていて、緑の目が──
蝋燭の光が映るくらい近くまで、身を寄せてきた。
「大丈夫?」
「平気」
「平気じゃない」首を傾げる。「もう三ヶ月、平気じゃない。気づいてないと思ってる?」
セバスチャンは彼女を見た。
(三ヶ月、ずっと同じことを言ってる。同じ言葉。同じ表情。マジで眠れなくなるくらい心配してるみたいに)
「ただ疲れてるだけ」煙をゆっくり吐く。「長い遠征だった」
彼女はカウンターの上の彼の手を取り、両手で包んだ。
何も言わない。
ただ、握っている。
(こういうところがあるんだよな。直そうとしない。問い詰めない。ただ──そばにいる)
「来て」スツールから引っ張り上げる。「一緒に歩こう」
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大通りから一本入ると、街は静かになった。
手をつないで歩く。彼女の肩が、時々腕に触れる。
「シャストリン」前を見たまま。「もう何か考えてるんでしょ」
「考え中」
「北の駐屯地、人手が足りてない。もし向こうが速く動いたら──」
「わかってる」
「あなたなら何とかする」あっさりと。確信したように。「いつもそうじゃん」
セバスチャンは何も言わなかった。
(この宮殿の中で、何の見返りも求めずにそう言ってくるのは、彼女だけだ)
東運河にかかる橋の上で、二人は足を止めた。
足元の水面に、祝勝の焚き火の光が橙色の帯になって揺れている。
彼女が向き直る。
「ねえ」さっきより柔らかい声で。「あなたが何を抱えてるにしても」
「エリナ──」
「一人で抱えなくていいから」じっと見る。「わかってるよね?」
彼は彼女を見た。
緑の目。蝋燭の光。本気の顔。
(前世だったら、こういう人間が怖かった。鏡の前で何回もシミュレーションして、自分なんかに振り向くわけないと決めつけてた)
仮面を外した。
キスをした。
彼女もキスを返した。
温かい。本物の。
二人とも。
先に離れたのは彼女だった。
何も言われてないのに、彼の襟を直す。
「宴、行かないと」静かに。
「わかってる」
「明日?」
「うん」
一度笑って。
背を向けて。
振り返らずに橋を歩いていった。
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セバスチャンは彼女が去るのを見ていた。
角を曲がるまで。
見えなくなるまで。
仮面をつけ直す。
新しい煙草に火をつけた。
目が、じわりと熱くなった。
(彼女が、俺のヒロインだ)
(平民。頭がいい。美人。小説の中にしか存在しないタイプの女)
(文字通り)
(皇子は彼女に惚れる。父にも、大臣にも、宮廷の全員にも逆らう。誰よりも彼女を信じる。何度でも、彼女の側に立つ)
(そしてある日、彼女はその目で──皇子が選んだのと同じその目で──皇子を殺そうとする)
長く煙を吸った。
ゆっくり吐く。
(すごいな)
(俺が書いた小説、すごいな)
(俺、マジで才能あるわ)
短く笑った。乾いた笑い。
(全部知ってて、一字一句知ってて。それでも、何も変えられない)
「クソが、セイリュウ・ネクサス!!」
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東京郊外の森。
男が一人、誰かの上に座っていた。
くつろいだ様子で。
本を読んでいる。
小説。手書き。何度もめくられて、紙が柔らかくなっている。一枚一枚、壊れ物みたいに丁寧にページをめくる。
ある一行に、目が止まる。
読む。
もう一度読む。
口元が緩む。
「クソが、セイリュウ・ネクサス!!」
ページから顔を上げた。
何も見ていないようで、すべてを見ているような目。
「たった一日だぞ」ゆっくりと首を振る。「自分の小説に入って、まだ一日も経ってないのに、もうNPCに当たり散らしてるのか」
次のページをめくる。
「ひどい作家だな、お前」
膝の上の銃を、見もせずに持ち上げた。
下にいる人間のこめかみに、そっと押し当てる。
「教えてくれ」声はほとんど優しかった。「お前の小説、そんなに退屈か?」
下の人間は答えなかった。
セイリュウは笑った。
「俺は、まだ始めたばかりだ」
つづく──




