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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第二章 金剛砕き

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第3話 窮鼠猫を噛む



 三日目の朝。


 クロード・ヴェインは、ハルトの肋骨に手をかざしたあと、静かに頷いた。


「これで、ひとまず動けます」


「ひとまず?」


「完治と、無茶をしていいは別です」


「それ、毎回言うのか?」


「あなたのような顔をする患者には、毎回言います」


 右目の腫れは引き、腕も上がる。肋の奥に鈍い違和感は残っていたが、歩くには問題ない。


 たった三日で、血まみれだった体が動くようになっている。


 灰鼠(はいそ)なら、放っておかれた傷だ。


 ここでは、金を払って治される。


 同じ黒牙(こくが)の中なのに、命の値段が違う。


「また無茶をしたら、呼んでください」


 クロードは穏やかに言った。


「またってなんだよ」


「失礼。ですが、なぜかそんな気がしまして」


「縁起でもねぇな」


「治療師の勘です」


 クロードはそう言って、古びた革鞄を閉じた。


 その背中を見送りながら、ハルトは右腕を軽く回す。


 動く。


 痛みはある。


 けれど、動く。


 それだけで、妙に落ち着かなかった。


「では、今日から軽い訓練を始めます」


 エイベルは当然のように言った。


「完治した瞬間かよ」


「昨日から始めてもよかったのですが、クロードに止められました」


「止められなかったら始めてたのかよ」


「はい」


「最悪だな」


「預かるとは、こういうことです」


 またそれだ。


 ハルトは小さく舌打ちした。


 連れて行かれたのは、館の中庭だった。


 広くはないが、地面は均され、端には木製の人形が並んでいる。壁には古い傷があり、何度も訓練に使われている場所だと分かった。


 セリカも壁際に立っていた。


「見学か?」


「監視です」


「言い方」


「正確な方が良いかと」


 やっぱり合わない。


 エイベルは記録板を手に、ハルトの前に立った。


「まずは、今の体を確認します」


「魔法じゃないのか」


「魔法は後です。自分の足で立てない者に、風を教えても飛ばされるだけです」


「俺、もう立ってるけど」


「では、走ってください」


「は?」


「この端から、向こうの壁まで。全力でなくて構いません」


 ハルトは舌打ちしながら、軽く足を動かした。


 まだ体を信用できない。つい三日前まで、息を吸うだけで体の奥が裂けるように痛んでいたのだ。治ったと言われても、転べばまた骨が折れそうな気がする。


 それでも、走れと言われた。


 やるしかない。


 ハルトは息を吸い、地面を蹴った。


 一歩目で、違和感を覚えた。


 軽い。


 いや、軽いだけじゃない。


 鋭い。


 体が思っていたより深く沈み、次の瞬間には想像よりずっと先へ滑り込んでいた。


「っ!?」


 止まろうとした。


 だが、体が止まらない。


 自分で動かしているはずなのに、自分の体じゃない。


 肩が壁にぶつかる寸前、反射的に体が捻れる。


 避けた。


 いや、避けていた。


 考えるより先に、体が勝手に最短の逃げ道を選んでいた。


「……なんだ、これ」


 ハルトは数歩よろめいて止まった。


 疲れたわけじゃない。


 怖かった。


 体が、自分より先に動いた。


 エイベルは記録板に何かを書き込む。


「反応が速すぎますね」


「速すぎる?」


「君の意識に対して、体が先行しています」


「……それ、いいことじゃねぇのか」


「制御できるなら、です」


 エイベルはハルトを見た。


堕落の王(ルシファー)の副産物かもしれませんね。悪名(あくみょう)によって、身体能力が更新されている。そう考えると辻褄は合います」


「じゃあ、窮鼠猫噛(キュウソネコカミ)は?」


「今のところ、発動している様子はありません」


「発動したら?」


「分かりません」


「またそれかよ」


「分からないものを、分かるとは言いません。ただ」


 エイベルは静かに続けた。


「今の変化に、さらにそれが乗る可能性はあります」


 ハルトは黙った。


 今の時点で、自分の体じゃないみたいなのに。


 さらに、その上がある。


 その想像は、強さより先に気味の悪さを連れてきた。


「もう一度です」


 エイベルが言った。


「今度は、止まることを意識してください」


「簡単に言うなよ」


「簡単ではありません。だから練習します」


 ハルトは息を吐き、もう一度地面を蹴ろうとした。


 その時だった。


 館の奥で、爆音がした。


 窓が震え、中庭の壁から埃が落ちる。


 続いて、金属同士がぶつかる甲高い音。


 怒号。


 誰かの悲鳴。


 ハルトの体が、勝手にそちらへ向こうとした。


「動かないでください」


 セリカの声が飛んだ。


 その顔から、さっきまでの棘のある表情が消えていた。


 廊下の向こうから、黒牙(こくが)の構成員が駆け込んでくる。


「エイベル様!」


 男は息を切らしながら叫んだ。


銀翼(ぎんよく)です! 正面門と東側の塀から侵入! 数は不明!」


 銀翼。


 ハルトはその名を聞いた瞬間、空気が変わるのを感じた。


 セリカの手が腰の短剣へ伸びる。


 周囲の黒牙構成員たちが、いっせいに動き出す。


 エイベルだけが、ほとんど表情を変えなかった。


「……思ったより早いですね」


「予想してたのかよ」


「抗争は激化しています。遅いか早いかの違いです」


 また爆音。


 今度は近い。


 廊下の奥から、木が砕ける音がした。続けて、剣戟音。誰かが怒鳴る。


「裏口を押さえろ!」


「二階へ上げるな!」


「銀翼の連中だ! 数が多い!」


 黒牙本体。


 安全な場所。


 そう思いかけていた自分が、少しだけ間抜けに思えた。


 ここは上に近いだけだ。


 その分、敵も来る。


「ハルト」


 エイベルは腰の短剣を抜き、柄をこちらへ向けた。


「持ちなさい」


「……俺が?」


黒牙(こくが)なら、自分の身は自分で守りなさい」


「俺、まだ訓練中なんだけど」


「敵は、君の授業予定を確認してから襲ってはくれません」


「ほんと嫌なこと言うな」


 ハルトは短剣を受け取った。


 手に重みが乗る。


 それだけで、右目の奥がかすかに疼いた。


「セリカ」


「はい」


「東側の通路を止めなさい。援軍が入ると面倒です」


「承知しました」


 セリカの指先が、空中を軽く撫でた。


 一瞬、銀色の線が光った気がした。


 壁と柱の間。


 床の端。


 窓枠。


 細い糸のようなものが、蜘蛛の巣みたいに張られていく。


「なにそれ」


「説明は後です」


 セリカは短く言い、廊下へ走った。


 その動きは、思っていたよりずっと速かった。


 廊下の奥で、薄青い光が生まれた。


 それは金属ではない。


 魔力が、槍の形に固まっている。


 光は空気を裂くように細く尖り、一本の戦槍へ形を変えた。


 次の瞬間、薄青い戦槍が飛んできた。


 扉の残骸を貫き、壁に突き刺さる。


 遅れて、風が鳴った。


「下がりなさい」


 エイベルが片手を上げる。


 空気が歪み、二本目の戦槍が軌道を変えて床へ突き刺さった。


 廊下の奥から、一人の男が歩いてくる。


 銀翼(ぎんよく)の印を腕に巻いた、大柄な男だった。


 手の中で、また薄青い戦槍が形を取る。


風読み(かざよみ)のエイベル」


 男は低く笑った。


「第六席が空いた。黒牙(こくが)のこの区画は、今が一番薄い」


 ガレス。


 誰かが、その名を呟いた。


 銀翼の幹部。


 戦槍魔法の使い手。


 ハルトは、その場の空気で理解した。


 こいつは下っ端じゃない。


 エイベルが相手をするべき敵だ。


 ガレスは、薄青い戦槍を肩に担ぐように構えた。


「お前を落とせば、この地域は崩れる」


 エイベルは記録板を閉じた。


 その動作だけが、妙に静かだった。


「穴に見えるものが、罠である可能性は考えませんでしたか」


 声は、驚くほど穏やかだった。


 ガレスが笑う。


「罠ごと貫けば同じだ」


 ガレスの背後に、薄青い戦槍が三本浮かぶ。


 エイベルの周囲で、風が巻いた。


 透明な風と、薄青い槍。


 二人の間の空気が、張り詰める。


 ハルトが息を呑んだ瞬間、横の廊下から銀翼の男が飛び込んできた。


 銀色の羽根の印が入った布を腕に巻いている。


 手には短い剣。


 顔には血がついていた。


「なんだ、ガキまでいるのか」


 男はハルトを見て、口の端を吊り上げた。


「構わねぇ。黒牙なら斬れ!」


 その言葉で、ハルトの手に力が入った。


 斬る。


 殺す。


 向こうは、そういうつもりで来ている。


 だったら。


「……そっちがその気なら」


 ハルトは短剣を握り直した。


 エイベルが一歩動こうとする。


 だが、その前にガレスの戦槍が放たれた。


 薄青い光が三本、廊下を裂いて走る。


 エイベルは振り返れない。


 振り返れば、槍が館の奥へ抜ける。


 ハルトは理解した。


 助けは来ない。


 男が踏み込む。


 刃が来る。


 見えた。


 速い。


 でも、見えた。


 男の手首。


 喉。


 脇腹。


 太腿の内側。


 どこを斬れば止まるのか。


 どこを刺せば死ぬのか。


 勝手に分かった。


 ハルトの体は、もう動いていた。


 自分で動かした感覚は薄い。


 地面を蹴る。


 深く入りすぎる。


 それでも、男の懐へ滑り込んだ。


「なっ」


 男の声が近い。


 ハルトは短剣を逆手に握り、その脇腹へ刃を突き込んだ。


「がっ……!」


 熱い血が、ハルトの手にかかる。


 男の膝が折れた。


 倒せた。


 そう思った。


 その瞬間、男の手がハルトの手首を掴んだ。


「っ!?」


 指が、万力みたいに食い込む。


 離れない。


 血を吐きながら、男は笑っていた。


「捕まえた」


 ハルトの背筋が冷えた。


 こいつはもう倒れたはずだ。


 死にかけているはずだ。


 なのに、離さない。


「やれ!」


 男が血の混じった声で叫んだ。


「俺ごと斬れ!」


 横から、二人目の刃が来る。


 ハルトは目を見開いた。


 自分ごと。


 仲間ごと。


 それでも殺しに来る。


 前の世界の喧嘩じゃない。


 灰鼠(はいそ)同士の小競り合いでもない。


 これは、殺し合いだ。


 避けようとした。


 だが、腕を掴まれている。


 強く踏み込みすぎた分、足も戻らない。


 自分の出力に、自分が追いついていない。


 刃が喉へ来る。


 助けは来ない。


 まずい。


 死ぬ。


 そう思った瞬間、右目の奥で、黒い文字が裂けるように浮かんだ。


 【ユニークスキル起動】


 窮鼠猫噛(キュウソネコカミ)


 心臓が、獣みたいに跳ねた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


第3話では、ハルトの体に起きている変化と、銀翼による襲撃を書きました。


悪名によって強化された体。

けれど、それをまだ扱いきれないハルト。

そして、殺し合いの中で初めて起動した窮鼠猫噛(キュウソネコカミ)


ハルトは一人を刺せるようにはなりました。

でも、刺された相手が死に際に何をしてくるのか。

本物の殺し合いがどれだけ泥臭く、執念深いものなのかは、まだ知りません。


次回、追い詰められたハルトがどう動くのか。

そして風読み(かざよみ)のエイベルと、銀翼幹部ガレスの戦いも始まります。


続きを読んでもらえたら嬉しいです。

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