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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第一章 灰鼠と指輪

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第一話 雪山と焚き火

寒い、ではなかった。


痛かった。


指先の感覚はもうほとんどない。

手袋の中で指を曲げようとしても、思った通りに動かなかった。

膝も重い。

呼吸をするたびに、喉の奥がひりつく。


ハルトは雪の上に倒れていた。

高校二年。

登山部。

冬山訓練だった。


最初は、少し天気が悪いだけだと思っていた。

予定を早めて下りれば大丈夫だと、誰かが言っていた気がする。

でも、山はそんなに甘くなかった。


風が強くなった。

視界が白く潰れた。

仲間の声が遠くなった。

気づいた時には、一人だった。


「……寝たら、まずい」


声に出したつもりだった。

けれど、自分の声が聞こえたかどうかも分からなかった。


寒い。いや、寒いという感覚もだんだん遠い。

体の芯だけが、妙に重い。

まぶたが落ちそうになる。


駄目だ。

寝たら死ぬ。


そんなことは分かっていた。

それでも、体はもう動かなかった。

ハルトは、白く霞む空を見た。

雪は綺麗だった。


こんな時にそう思うのは変だと、自分でも思った。

けれど、それが最後に見たものなら、嫌いではなかった。

ただ。


最後に、焚き火がしたかった。

火を囲んで、手をかざして。

何か温かいものでも飲んで。


それだけでよかった。

もっと別の生き方もあったのかもしれない。


そんなことを考えた時には、もう痛みも遠くなっていた。


目を閉じる。


白い世界が、暗くなる。


そして、ハルトは死んだ。


はずだった。


ぱち、と音がした。

薪が弾ける音だった。


まぶたの裏に、橙色の光が揺れている。

ハルトは、ゆっくり目を開けた。


焚き火があった。


赤く燃える薪。

湿った土。

落ち葉。

枯れ草。

冷たい夜風。

雪はない。


代わりに、晩秋の夜があった。


「……火」


声が漏れた。


本当に焚き火だ。

最後に見たいと思ったものが、目の前で燃えている。

けれど、安心するより先に、違和感が来た。


体が痛い。

寒さではない。

打ち身のような痛みが、肩や背中に残っている。


脇腹も重い。

口の中には、土の味がした。

ハルトは自分の手を見た。

知らない手だった。

自分の手より荒れている。


爪の間に土が入り、指には小さな傷がいくつもある。

服も違う。

登山用のウェアではない。


黒と灰色の布。

古い革のベルト。

腰には短いナイフ。


「……なに、これ」


視界の端で、誰かが動いた。


「起きたか」


低い男の声。


ハルトは顔を上げた。

焚き火の向こうに、三人いた。


赤茶けた髪を後ろで雑に結んだ男。

大柄で、革袋を枕にしていた男。

それから、ハルトとそう年の変わらなそうな少年。


少年が首を傾げた。


「ハルト、大丈夫?」


ハルト。


今、そう呼ばれた。

「……俺だよね?」


少年が眉を寄せる。


「え、そこから?」


赤茶けた髪の男が、小さく笑った。


「頭でも打ったか」


頭。


言われて、ハルトはこめかみに手を当てた。


ずきりと痛む。


「馬車襲った時に落ちたろ」


大柄な男が、面倒くさそうに言った。


「派手に転がってたぞ。死んだかと思った」


馬車。

襲った。

言葉の意味が、すぐには入ってこなかった。


「……馬車を?」


「おいおい」


大柄な男が起き上がる。


「本当に頭やったんじゃねぇだろうな。明日までに東区の倉庫に入れねぇと、取り分が減るぞ」


東区。

倉庫。

取り分。

何の話だ。


ハルトは周囲を見る。


少し離れた場所に、荷車があった。

布をかけられているが、中には箱や袋が積まれている。


酒瓶らしきもの。

布束。

金属器具。

木箱。


その隣に、もう一台。

そちらは車輪が少し歪んでいた。


馬はいない。

荷車だけが、街道脇の暗がりに置かれている。


少年が、焚き火の近くに寄ってきた。


「ほんとに覚えてない?」


ハルトは答えられなかった。

覚えている。


雪山を。

吹雪を。


死んだはずの自分を。


けれど、この場のことは何も知らない。


「……少し、曖昧かもしれない」


やっと、それだけ言った。


少年は困ったように笑う。


「少しって顔じゃないけど」


赤茶けた髪の男が薪を足した。


「まあ、歩けるならいい。灰鼠(はいそ)に医者代なんか出ねぇからな」


灰鼠。


聞き慣れない言葉だった。

大柄な男が言う。


「明日には王都入りだ。今日は寝ろ。夜番はロッソがやる」


「勝手に決めんな、バルド」


赤茶けた髪の男、ロッソが舌打ちする。

大柄な男はバルド。

そして少年は。


「あ、俺はニオね」


少年が、ハルトの混乱を見透かしたように言った。


「さすがに俺の名前まで忘れてたら、ちょっと悲しいし」


「ニオ……」


「うん」


ニオは笑った。


「まあ、今日は変だから許すけど」


変。

その一言が、胸に残った。


たぶん、この体のハルトは、彼らを知っている。

でも今ここにいるハルトは、何も知らない。


自分の過去すら。

焚き火の火が揺れる。


その瞬間、右目の奥が、じくりと痛んだ。


「っ……」


ハルトは思わず右目を押さえた。

視界に何かが出たわけではない。


もっと奥。

目の裏側に、黒い文字が焼き付くように浮かんでいた。



【名前】ハルト


【所属】

黒牙 下部組織・灰鼠


【技能】

スティール Lv.1

サイレントムーブ Lv.1

致命の一撃(モータルピアス) Lv.1


【固有】

堕落の王(ルシファー)


 ├ ???:封鎖

 ├ ???:封鎖

 ├ ???:封鎖

 ├ ???:封鎖

 └ ステータス上昇:解放中


【悪名】

無名


【補正】

なし



黒い文字。

黒い鎖。


堕落の王(ルシファー)の項目だけ、何重にも鎖が巻きついているように見えた。


ハルトは息を止めた。

ステータス。

そんな言葉が頭に浮かぶ。

異世界転生。

馬鹿げている。


けれど、今の状況を説明できる言葉が、それ以外にない。


「悪名……?」


小さく呟く。

悪名を喰らう。


そんな意味の文字が、感覚として頭に流れ込んできた。

けれど、詳細は分からない。


ほとんどが???。


開こうとしても、黒い鎖がじゃらりと鳴るだけだった。

唯一開いているのは、ステータス上昇。

だが、その下には。


【悪名】無名。

【補正】なし。


「……補正なし」


ハルトは、焚き火の光に照らされた自分の手を見る。

何も変わらない。


力が湧くわけでもない。

魔法が使えるわけでもない。

体が軽くなるわけでもない。


固有スキル。

名前だけは、とんでもなく大層だった。


堕落の王(ルシファー)。

なのに。


「……え、クソスキルじゃん」


思わず本音が漏れた。

ニオが振り返る。


「何が?」


「いや、なんでもない」


慌てて首を振る。

バルドが面倒くさそうに言った。


「ぶつぶつうるせぇな。寝ろ。明日は荷車押すんだからな」


「荷車を?」


「馬がいねぇだろ」


バルドは当然のように言った。


「俺らが押すんだよ」


ハルトは荷車を見る。

布の下に積まれた盗品。

二台分の重さ。


草もまばらな、乱雑な街道。

遠くには、夜の向こうに沈む巨大な都市の気配がある。


その西の街道で、ハルトは盗賊の一員として焚き火に当たっている。

死んだはずなのに。


勇者でも、貴族でも、魔法使いでもなく。

黒牙の下部組織、灰鼠。


「……最悪だ」


小さく呟く。

けれど、焚き火は暖かかった。


雪山で最後に欲しかった火が、今は目の前にある。


その熱に手をかざしながら、ハルトは自分がもう元の場所には戻れないのだと、少しずつ理解し始めていた。


この時のハルトは、まだ知らなかった。


自らの手が、誰かの荷車を押すだけでは済まなくなることを。


誰かの喉を裂き、血に濡れ、それでも生き残るために握りしめる手になることを。


まして、自分の名前がいつか、悪名として語られることになるなんて。


想像もしていなかった。

読んでいただきありがとうございます。


本作は、悪名によって強くなる無名の下っ端盗賊が、異世界の裏社会で成り上がっていく物語です。


序盤は底辺盗賊としての生活から始まりますが、悪名・黒牙・成り上がりの展開はしっかり用意しています。


続きも読んでもらえると嬉しいです。


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