番外編⑤(完結編) 神盾ユウキの『星空の彼方へ』
西暦2065年、冬。
私は、地上から四百キロメートル離れた真空の暗黒空間――地球低軌道上の宇宙ステーション『アストライア』の中で、分厚い観測窓の前に浮かんでいた。
無重力空間に身を委ねながら、眼下に広がる青く美しい地球を見下ろす。
「――本当に、息を呑むほど綺麗だな」
私は、太平洋を覆う白い雲と、その隙間から覗く故郷・日本の島影を見つめ、静かに呟いた。
今年で二十九歳になった私は、アース・トラスト財団の宇宙開発部門における主任クルーとして、ついにこの星空へと到達した。
私が設計に携わり、父さん(誠)が完成させた次世代プラズマ推進エンジンの実地テストは、完璧な成功を収めている。
この宇宙ステーションの静寂と平和は、人類が長年の対立と軍拡を乗り越え、共に未来へ歩み始めたことの何よりの証明だった。
だが、私は知っている。
この『平和』が、決して人類の善意や、自然な歴史の進歩によってもたらされたものではないということを。
『――ユウキ主任。前方の宙域に、未確認の質量反応を検知しました。……これは、光学迷彩?』
インカムから、ステーションのオペレーターの戸惑う声が響いた。
「……位置座標は?」
『軌道傾斜角、マイナス八十五度。当ステーションから距離五キロの近傍です。レーダーには一切映っていませんが、重力偏差と熱源探知が『巨大な構造物』の存在を示しています』
「……了解した。こちらから目視で確認する」
私は、心臓の鼓動がわずかに早まるのを感じながら、観測窓の偏光フィルターを調整し、指定された宙域へと目を凝らした。
漆黒の宇宙空間。一見すると何もない星々の海の中に、星の光を不自然に歪めている空間があった。
私が手元の端末から、祖父より極秘に受け継いでいた『アクセス・コード』を送信する。
すると、空間の歪みがゆっくりと晴れ、光学迷彩が解除されていく。
「あ……」
私は、観測窓に手をつき、言葉を失った。
そこに姿を現したのは、全長数百メートルに及ぶ、強靭な超電導チタン合金で覆われた巨大な十字型の要塞。
かつて祖父が、大国の軍事中枢を一瞬にして蒸発させ、世界に絶対的な沈黙を強いたとされる、究極の抑止力――『神の雷』だった。
数十年の間、誰の目にも触れることなく、宇宙の暗黒空間で沈黙を守り続けてきた伝説の兵器。
その神々しくも禍々しい威容を直接目の当たりにした瞬間、私は、祖父がどれほど重く、恐ろしい罪を一人で背負ってきたのかを、肌で感じ取っていた。
祖父は、この巨大な兵器を使い、文字通り世界を恐怖で縛り付けた。
世界中の人間が彼を『悪魔』と呼び、歴史の裏側でどれほど血塗られた采配を振るったのか、大人になった私にはおおよその想像がついている。
だが、私はその十字の要塞を見つめながら、静かに涙を流していた。
無重力空間に浮かぶ涙の粒が、青い地球の光を反射してきらきらと輝く。
これほどまでに強大で、恐ろしく、冷酷な兵器。
……なのに、なぜだろう。私にはこの兵器が、祖父の優しく、不器用な『抱擁』そのもののように見えたのだ。
「……おじいちゃん。こんなに途方もないものを、たった一人で創り上げて、たった一人で背負ってたんだね」
祖父が、なぜここまで過剰で、狂気じみた絶対防壁を必要としたのか。
それはきっと、彼がただ純粋に恐れていたからだろう。この理不尽な世界で、愛する家族の命が脅かされ、失われてしまうことを。
『――ユウキ主任? どうされました? あの構造物は一体……』
インカム越しのオペレーターの不安げな声に、私は涙を拭い、力強い声で答えた。
「心配ない。……あれは、この地球の平和を永遠に守り続けている、名もなき『守護神』だ。我々が手出しをする必要はない」
私は、手元の端末を操作し、地上で平和な余生を過ごしている祖父――神盾宗一の個人回線へと、短いテキストメッセージと、一枚の画像データを送信した。
画像は、観測窓から見下ろす、傷一つない青く美しい地球の姿だ。
『おじいちゃん。約束通り、俺は宇宙へ来たよ』
送信ボタンを押し、私は再び、静かに眠る『神の雷』へと視線を向けた。
祖父が血に塗れて背負った世界の重みと、この兵器の存在。
私はそれを否定しない。隠蔽された歴史の真実ごと、すべてを受け入れ、引き継ぐ覚悟はできている。
だが、この兵器が再び火を噴く日は、二度と来させてはならない。
祖父が恐怖で縛り付けて創り上げたかりそめの平和を、今度は私たちが、正しい科学の力と、人と人との繋がりによって、本物の、優しい平和へと変えていくのだ。
「見ててよ、おじいちゃん。……俺が、この綺麗な地球をずっと守り続けるからね」
私は、地球と、そして宇宙で眠る巨大な十字の要塞に向けて、誇り高く敬礼をした。
極東の悪魔の闘いは、完全に終わった。
彼が遺した血塗られた遺産は、その深い愛情と平和への祈りだけを抽出され、次世代の希望を背負う青年の手によって、確かに受け継がれていく。
青く美しい地球を見下ろす青年は、祖父から受け継いだ『平和』という名のバトンを強く握りしめ、人類の新たな歴史へと確かな一歩を踏み出した。
(完)
これにて『神の雷』のすべての物語が完結となります!
物語はここで終わりますが、また新しい作品でお会いできれば嬉しいです。
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。




