7.未知
帰宅部の人は既に帰っていて、部活生はまだ活動中という時間で帰りのバスは空いていた。
乗ると、一番後ろの席の窓際に無理やり追いやられた。俺の方が疲れているのに、頭を無遠慮に俺の肩に載せてくる。俺の方が凭れたいくらいだ。載せたままどちらも口を開かなかった。
真っ黒な髪が視界半分を占めている。さらさらの太くもなく細くもない髪質はきっと女子が羨むものだろう。もしや将来禿げたりするんだろうかと妄想したが、こいつは神から与えられた奇跡でハゲは産まれたときから回避している気がする。なんなら、ある一定の年齢から歳をとらないとか漫画か小説のような能力を持っている気がする。もしそうだとしても俺は驚かない。
顔が見えないせいか特別棟の廊下の時ほどは緊張しなかった。それに、喉仏を食まれた時と同じくなんだか満たされている感じがあった。何が満たされているのかはよく分からない。ただ経験したことのない心地よさというか充足感というか。
うーん?と首を捻っていると矢野がのそりと頭をあげて降車ボタンを押した。
「俺、次で降りるから」
「うん」
乗って十分ほどだった。また明日と手を振った俺に矢野は一度コクリと頷いて降りていった。また明日、くらい言えよ。
帰り着いたのはいつもより遅い時間だった。薄暗い中で玄関に入る前に両手に顔を埋める。耳が熱い。
「ただいま」
「おかえり。今日、部活見学に行ってきたんでしょ、どうだった?」
夕飯の準備をしていた母に、うんと生返事をして二階の部屋へと向かう。入りたいところあった?という質問には聞こえなかったふりをして答えなかった。
自分の部屋に入り鞄を床にドサッと落とす。ベッドに思いっきりダイブした。矢野を思い出して枕に顔を押し付けた。
今日だけで矢野のことが少し分かった。極度の面倒くさがりだ。表情を作るのも面倒だから無表情。しかし面倒なだけで、できない訳じゃない。青滝高校を選んだ理由も、家から近いからという理由な気がする。いや、絶対そうだ。
でも先生に言われた言葉にちょっと傷ついた俺を荒っぽく不器用に慰めてくれたのは嬉しかった。他人を慰めるなんて面倒だと言いそうなやつなのに。
俺に表情があるって!あるって!わかるって!そんなの今までいなかった!
矢野の目に嘘はなかった。きっと本当だ。
興奮するままゴロゴロ転がりその勢いで床にびたんっと落ちた。痛い。
今なら顔が緩んでいるかもしれないと思い、痛む腰を抑えて立ち上がる。部屋の姿見をじっくり眺めたが残念ながら唇は横に伸びているだけだ。もっとこう…と口端を指で持ち上げていると首の付け根に歯形が残っていた。
行儀良く並んだ歯形は、イケメンは歯並びも揃ってることを教えていた。歯形の周りがうっすらと赤くなっている。仕方ない今日は許してやろうと今は広い海のような心でいるのは矢野の言葉のせいだ。まあこの歯形をつけたのも矢野だけれど。
歯形をなぞりながら、あの満たされた心地を思い出していた。知らなかった感覚は抗えない魔力があった。また味わいたいと欲する今までなかった感情、俺はその正体が知りたい。




