2.理不尽さは空中に消える
青滝高校はほぼ女子高である。一週間経って至った結論は至ってシンプルなものだ。
どこの世界でも数が多い方が優位だ。多数決だって数が多い方が勝つ。つまり青滝高校では男子などいないにも等しい。しかしながら、これまたどの世界でもいるのが例外だ。
「矢野君、部活決めた?」
「…」
女子に話し掛けられているのが聞こえるが、返事はない。
おい、返事くらいしてやれよ。もちろん思うだけで口には出さない。
矢野は、本当に無愛想な男だ。
誰とも馴れ合うつもりはないとばかりに誰が話し掛けてもあまり反応を示さない。表情をあまり変えることもなくただ無言で座っているだけだ。
皆最初は矢野を遠巻きに眺めていたが、どうにも関心を惹くその容姿を女子は無視できなかったようだった。三日もすれば休み時間になる度に前の席の『矢野君』の周りには人だかりができるようになっていた。他のクラスからも女子がやって来る上、上級生も覗きに来る始末だ。
たまに面倒そうな反応が返ってくると女子達は色めき立って、その様子はさながらクララが立ったと言いそうな様相を帯びていた。
休み時間になる度完全に定員オーバーになる教室内に男子の居場所などなく、女子の勢いに負けて廊下に追い出されていた。そのお陰というかクラスの男子とはすぐに仲良くなれた。
「今日もすげえな」
隣に立っている牧君がそう呟いて、俺も他二人も無言で頷いた。しっかりしたリーダー的存在の牧君は、矢野の席の後ろで女子に囲まれてオロオロしていた俺に声を掛けてくれ連れ出してくれた。
「矢野ってどんなやつよ?」
のんびりとした声で聞いてきたのは中村君。学年で今のところ一番身長が高いらしい。百九十近い身長と柔道で鍛えた体は縦にも横にもでかい。体育会系特有の威圧感があるから女子達から少し怖がられているが本人は特に気にした様子はない。
「さあ」
矢野のことを聞かれても知らない。矢野との会話はプリントが前からやって来た時等の必要最低限に留まっていた。俺としては出来れば話したくない。あの一言目が突き刺さっている。言った本人はすっかり忘れているのかもしれないが、言われた方は一生忘れない。俺は結構根に持つタイプだ。
「まあ、あれに耐えられるくらい神経ふっといやつなんじゃないの。見ろよ、平然としてやがる」
廊下に座っている梅谷君が隙間から見える矢野を指差して言う。はっきりとイケメンは敵だと言い切ってしまう梅谷君自身もイケメンの分類だと思うのだが、その遠慮しない物言いのせいで初日から女子達に煙たがられていた。
「梅谷、言い過ぎ」
「…だってさあ、牧は悔しくねえの? 校内の女子全員矢野に持ってかれてんだもん。何のために青滝選んだと思ってんだよ」
「俺は別になあ…。それ目的に来たわけじゃないし」
「俺も俺も」
「彼女持ちは黙ってろよ。中村」
梅谷君が吐き捨てるように言った。そうなのだ。中村君は一つ上の先輩に彼女がいる。幼なじみなんだ、と照れ臭そうに言った中村君はこの前梅谷君からヘッドロックをくらっていた。痛くも痒くもなさそうだったけれど。
「ああー心の友は和田だけだな! 俺達はイケメンに貼り付くギャル集団じゃないヤマトナデシコみたいな彼女をゲットしような!」
梅谷君は床から伸び上って肩を組んでくる。
「俺は、まずは普通に話せるようになれればいい。中学じゃ女子に笑われるか怖がられるかしてなかったから」
話し慣れていないから女子を前にすると緊張して明らかに顔が硬くなってしまうのだ。まずは緊張しないくらいに慣れて普通に楽しく会話ができればいい。
「お前良いやつなのにな…」
まあ、表情はだいぶ分かりにくけどな!と言う言葉は今まで数えきれないほど聞いてきた。
「お、そろそろ休み時間終わるらしいぞ」
牧君は教室からわさわさと人が出てくるのを見ながら言った。人だかりがもはや時計の代わりとなっている。
席に着いて机の中から教科書を取り出していると斜め前から声がした。
「和田君、部活決めた?」
また始まってしまった。心の中だけでため息をつく。
実は今朝から俺の斜め前の席、矢野の隣の保科さんから話し掛けられるようになった。だが、喜んでいたのは初めだけ。
「…まだ。今日、ちょっと見学に行」
「じゃあ矢野君は?」
何も言えないが、人の話は最後まで聞くべきじゃないか。話を振ってきたくせにこちらさえも見ていない。彼女は『矢野君』しか見えていないのだ。
「さあ」
「バスケ部とか似合うと思う! 背も高いし! ねえ和田君」
「ああ似合うと思」
「ってか運動部はどれでも似合いそう! ねえ和田君!」
「そうですね…」
「和田君は運動得意?」
その後続くのは、じゃあ矢野君は?だ。どうせ聞いてないんだから返事は必要ないだろうと思って黙っていると睨まれる。怖い。俺の話なんてどうでもいいのに俺は返事をしなければいけないらしい。
「好きだけどそんな」
「じゃあ矢野君は?」
「そこそこ」
へえ!という大げさな声に俺はぐったりと机に突っ伏した。
「私、バスケ部のマネージャーになったんだけどバスケ部とかどう? 和田君」
「バスケ」
「矢野君は?」
俺バスケしか言ってない。
「さあ」
「絶対いいよね、ねえ! 和田君!」
何度も繰り返されてようやく理解したのだ。保科さんは俺を緩衝材として使っている。彼女の目的は最初から『矢野君』で、俺は返事をするただの置物だ。本命の『矢野君』から反応を引き出すのが目的なのだ。色々と飛び越してもはやすごい。よく思いついたな、さすが偏差値の高い高校というべきか。できれば違うことに使って欲しい。
「なあ」
どうせ俺なんか誰もが気にしちゃいないんだ。へぇとかはぁとか相槌さえ打っておけばいいに違いない。
「なあ」
ああ、世の中って世知辛い。
「…ぃ……なあ、つってんだろ!」
突然頭に衝撃が来た。
「…なんすか」
矢野のやたらでかい手のひらで掴まれたらしい。顔を上げると矢野の顔がすぐそこにあった。保科さんは恨めしそうにこちらを見ている。
「お前頭ちっせーな」
珍しく驚いた顔をしている。まさか同じ年齢の男の頭を片手で掴めるとは思っていなかったらしい。俺だってびっくりだ。
「見学」
「は?」
「部活見学どこに行くんだよ」
さっきの話をこいつは聞いていたらしい。授業のチャイムが鳴った。
「まあ、文化系をとりあえず何個か」
「文化部かよ」
チッと舌打ちして前を向いた。理不尽だなこいつ。
一週間経ってまともな会話をしたのは初めてだった。