結婚の定義(sideアディル)-後
「――くっ、」
「どうした?その程度か、悪羅王。」
『呪』を空中に複数個展開し、すべてを親父にぶち当てる。
その度に魔界の一角が崩れ落ち、崩壊する。
だが、自身の溢れるほどの魔力は未だ底を見せない。このままいくと、本気で地獄ごと壊せそうだ。
俺はかなり弱った親父の胸倉をつかみ上げ、低い声で言った。
「ニーアとの結婚を認めろ。そして彼女の居場所を教えろ。さもなくば――」
「…どうすると、言うのだ。」
「貴様ごと地獄を破壊する。」
静かに息を飲む親父。
それは、すでに『命令』だった。
だが、親父自身も俺の力を持ってすれば、それが可能であることくらい分かっているはず。
それでも要件を飲まないと言うのなら――本当に全てを、壊してやる。
完全な闇色に変化した瞳で、悪羅王にそう伝えた。
そして、
「……ああ、もう、分かった!小娘とお前の結婚を認める!!小娘の転生を止め、無事に地獄まで連れ出すことが出来たなら、血族にでもなんでもすればよい!」
「言ったな?」
「地獄を壊されては敵わん…もう、勝手にしろ!」
ついに、親父はヤケになったようにそう撒き散らした。
同時に俺はふっと緊張を解き、『呪』を解放する。
――ようやく、勝った。あとはニーアを探すだけだ。
聖域だろうがなんだろうが、今の俺を阻むことができるものなど何もない。
絶対にニーアの転生を阻止してみせる。
バサッと外套を翻し、転移の『呪』を発動させる。その際にちらりと悪魔の方を向いた。
「…というわけだ、聞いてたか、クソ悪魔。」
「はいはーい。さっすが若様。やっぱりこうなっちゃいましたか。」
「準備を。」
「もう進めてありますよ。若様は花嫁を迎えに行ってください。」
「……ああ。」
最後に親指をぐっとつきたてる悪魔を見て、やはり食えない男だと思った。
――
――本当に危ない所だった。
俺が聖域にもぐりこんだ時、ニーアは輪廻の輪に片足をかけていたところだった。
それを遮り、彼女の両手を掴む。
「…ニーア。俺に黙ってどこに行こうとしていた?」
わざと低い声を出すと、彼女はおびえるように体を揺らした。
―『転生』をあっさり受け入れ、俺から離れようとしたニーアには、確かに怒っていた。
それでも彼女を目の前にしてみれば、そのような怒りはすぐになくなった。
彼女の手の温もりが、確かに彼女の存在を証明する。
そのことが、嬉しくてたまらなかったから。
だが、反対にニーアの方は複雑そうな表情を作り、顔を曇らせた。
「私、今日、転生するんだって。貴方とはもうお別れしないといけないの。」
やがて、ためらうように彼女の口から放たれた言葉。
ああ、言ってしまった…と顔に書いてある。
転生について聞かされた時、きっと色々な葛藤があったのだろう。
そう、ニーアは優しいから、残していく俺の心配とか、親としての責任だとか。
――だが。
「…そんなこと誰がさせるか。」
「え。」
そんな心配は、一切無用だ。
「ニーアは、今日俺と結婚するのに。」
「……へ?」
彼女が目を丸くする。口を開け、パクパクと動かすのがなんとも可愛い。
俺はくすりと笑った。
結婚、という言葉を繰り返すと、彼女は面白いくらいに混乱した。
何で、何かの間違いだ、私は育て親なのに、としどろもどろの言い訳をする。
俺はそれらをやんわりと否定し、
「…俺も、ニーアに言ってなかったことがある。最初から――俺は貴女を親として見たことはない。」
ずっと言いたかった――でも言えなかったことをはじめて言葉にした。
すると次々としまっておいた気持ちが湧きおこり、心の中を駆け巡る。
言葉にする前に溢れだしそうなほど。
さあ、次は何を言えばいいか――緊張しつつも気のきいた言葉を選び、さらなる台詞を考える。
だが、ニーアの顔を覗いた瞬間、ぎょっとした。
彼女が泣いていたのだ。
すぐに手で涙をぬぐうが熱い液体は柔らかな頬をすべり幾筋も流れるばかり。
ボロボロと綺麗な涙がこぼれた。
何が悪かったのか、と慌てて先程の会話を振り返り――もしや彼女がとんでもない誤解をしているのでは、と思い当たった。
『親として見たことはない』とは、『育て親』としての彼女を否定する台詞だったのではないか。彼女が役立たずだと、暗に示しているとも取れる。
違う、そういった意味合いで言ったわけではないのだ――!
俺は泣きながら離れようとする彼女を、ぎゅっと抱きしめた。
「聞いて。俺、ニーアが好きなんだ。赤ん坊の頃から、ずっと。」
―俺は話した。
生まれたばかりの赤ん坊の頃、俺は親父の目を盗み、
下界へと通じる水盤を見て、ある人間の女を見つけた。
その女の名は、『日當閨乃』。
一目見て、何て楽しそうに笑う人なんだろうと思った。
学生服に身を包み、きらきらと輝かんばかりの笑顔を見せる彼女から文字通り目が離せなくなった。
透明な水盤の前で、俺は一丁前に顔を赤くしていたそうだ。
それ以来、ずっと彼女を見ていた。
その時から、ずっと――ニーアが欲しかったんだ。
「ニーアと一緒に暮らして、俺は幸せだった。」
「………。」
「そして、これからもずっと…一緒に、いたいと思ってる。」
――だから、どうか、拒まないで。
俺には、貴女が必要だ。貴女しかいらない。
ずっと、傍にいてほしい。
「ニーア…いや、ヒトウ・ネヤノさん……俺と、結婚してくれますか。」
俺は彼女の肩に手を置き、そう求婚の言葉を口にした。
ニーアは途端に顔を真っ赤にして俯く。
耳元で囁くと、びくっと体を震わせ何も言わなくなった。
ああ、目を潤ませたその顔もなんて可愛いんだ――
俺がさらに口説き文句を言おうと口を開いた時。
「…アディル様ったら、空間壊し過ぎですよー。俺が結界張ってなかったらどうなっていたか。」
そう間抜けな声が空から聞こえた、と思えば。
あのクソ悪魔――デレクが黒い翼をはためかせながら地に降り立った。
そういえば、入ってきた時は無我夢中で気付かなかったが、改めて見るとここ、『聖域』の破損は酷いものだった。亀裂がそこかしこに走り魔力が漏れ出して聖力と混ざり合い、危険な状態だ。
――あとで補修が必要か。
俺はひとり頷くと、悪魔の方へ眼を向けた。
「手配は、済んだか。」
「滞りなく。」
さっと俺のもとに跪いて報告をする悪魔。どうやら結婚の準備は整ったようだ。
俺はそれを聞き、ニヤリと笑った。
「て、転生ってのは嘘だったんですか!?」
俺たちの様子を見て不審に思ったのか、ニーアは驚いたように叫んだ。
―そういえば、説明を省いていたのだったか。
失念していた、と頬をかくと、デレクがいつもの笑顔でここまでの経緯を説明してくれた。
俺のニーアの転生阻止、親父との喧嘩、寿命を延ばすための儀式、そして…結婚。
話が進行するにつれ、青くなったり赤くなったりと次々に変化するニーアの表情を見るのは面白い。
デレクが話している間、俺はずっと彼女の顔を観察していた。
最後にデレクが何やら耳打ちすると、ニーアはいきなり固まった。
どうやらかなり衝撃的なことを耳にしたようだ。顔色は青、を通り越して白色に近い。
俺はジロリとデレクを睨みつけた。
「おい、何を話したんだ。」
「べっつにー。内緒ですー。」
ぷん、と顔をそむけて悪戯っぽく笑う悪魔に、一瞬ぶん殴ってやろうか、と思ったが、止めておいた。
…俺とニーアの結婚式をセッティングしてくれたことだし、今日くらいは大目にみてやる。
――この悪魔はやはりムカつく、が、物事を都合のよい方向に転がすことに長けていると思う。
親父の味方をしていたかと思いきや、寝返ってさっさと俺の下につき、裏で色々とことを進めていた。
思えばニーアが地獄に来る時や『迎え』の時、デレクがすべてを受け持ち、処理していた……
もしや、最大の食わせものは、俺でも親父でもなく――コイツではないか。
…ふん、まあいい。
俺が即位した後にはせいぜいこき使ってやるとするか。
「…ニーア。」
―それよりも、今はニーアだ。俺は愛しい彼女に一歩近寄る。
そっと肩を掴み、流れるような黒髪にキスを落とした。
「今度は本当の家族になるんだ。…嬉しいな。」
「……。」
「ね、ニーア?」
「…ソウデスネ。」
まるで夢のようだ、とばかりに呟きニーアの肩を抱く。
ニーアの顔を覗くと、彼女もこくりと頷いて同意してくれた。
―その時の嬉しさと言ったら。
生まれて初めて、喜びという感情が体中の隅々までいきわたったような気がした。
その溢れる感情のまま、俺はもう一度彼女を抱きしめた。
――俺の、最愛のひと。
やっと、俺のものだ。
***********
祝福の鐘が鳴る。
俺の隣で、ウエディングドレスに身を包んだニーアはとても綺麗に見えた。
しばらくその姿に見とれていると、ニーアがジロリと俺を睨む。
「アディル。」
「何だ?俺の花嫁。」
「…よくも図ってくれたわね。」
「何のことだか。」
「とぼけないで!選択肢という選択肢を全部つぶしておいて――んむっ!」
「誓いのキスでは口を閉じてるもんだぞ、ニーア。」
「~~っ」
俺は綺麗に笑みを作り、彼女の腰に手をまわした。
そうして盛大に結婚式をあげ、俺の血族に、そして妻となったニーア。
その後、位を受け渡され悪羅王となった俺との間に5人もの子を成し、ともに温かな幸せな家庭を築いた。
俺は言うまでもなくニーアにすべての愛をそそぎ、ニーアも俺を愛してくれた。
これ以上ない幸せだ。これを幸せと言わず何と言おう?
「ぱぱー!見て!大きな魔界ツノジカー!」
「ああ、今行く。」
にぎやかな子供たちの声を聞きながら、
俺は今日も真っ赤な空を見上げ、世界のすべてを手にしたように笑った。
END
輪廻の輪が回る。
この歯車は何千、何万年もの間動き続け、死人の魂を来世へとつないできたものだ。
俺は宙に浮かぶそれを見上げ、傍らの人物の手をぎゅっと握った。
俺の最愛の妻、ニーアのほっそりとした右手を。
――ニーアと結婚して数十年。
とうとうニーアの『寿命』が尽き、転生する時がやってきた。
この何もない空間に舞い戻った今、今度こそ彼女は輪廻の輪に乗るのだ。
「じゃ、行こうか。ニーア。」
「分かってるって。ていうかアディル、本当に転生して人間になるつもりなの?」
ニーアが心配そうに俺の顔を覗く。
純粋な魔族である俺にはあと数百年の命が約束されていた。
これから先もずっと現役の悪羅王として仕事をすることも可能だ。
だが。
「当たり前だろ?お前を一人にするわけないじゃないか。来世でも絶対、一緒だ。」
「……はいはい。」
―ニーアのいない人生など、考えられない。
故に俺は彼女とともに転生し、同じ人間となることを選んだ。
跡目は子どもに継がせたし、何年たっても気に食わない悪魔も傍につけた。
だから安心して新たな道を踏み出せる。
世界は俺の存在がいなくてもうまく回って行くのだろう。
この、輪廻の輪のように。
だが、ニーアの換えはいない。俺にとって彼女は唯一無二の存在だ。
だから。
――これからも彼女の隣で、ずっと。
END