第1話 王子の憂鬱。
僕はパストラ公爵令嬢レオノーラが死ぬほど苦手である。
流れるような金髪に菫色の瞳…ほんのりとバラ色の頬…形のいい唇…。そこから繰り出されるのは…
「まあ、殿下?もう降参ですの?さあお立ちになって!」
剣の練習をすれば叩きのめされる。
「まあ、殿下?この数式は先週家庭教師に習いましたわ。もうお忘れですの?」
机を並べて勉強すれば、僕のノートを覗き込んだレオノーラが呆れたようにそう言う。
「殿下?お足元ばかり見ないで、私の顔を見て、笑って!ダンスの基本ですわよ?」
ニッコリ笑ったレオノーラが僕に足を踏まれながらそう言う。
勘弁してくれ!と何度叫びそうになったことか!
しかもレオノーラは、僕が13歳から近隣諸国への留学に出かける前に、僕と婚約したいと騒いだらしい。断ったけど。
それで僕は留学先で勉学と剣術に励んだわけだ。もうレオノーラにバカにされないように。それに…留学中、一通の手紙さえあいつからは届かなかった。
***
「はあ?レオノーラ?僕があいつを選ぶことは、万に一つもないな」
侍従が広げた上着に腕を通しながら、アステリオはそう言い捨てる。留学を終えて帰国した僕のために祝賀会を兼ねて舞踏会が開かれる。まだ婚約者がいない僕の嫁選びも兼ねているらしい。
「いやしかし殿下……レオノーラ嬢はこの4年間で非の打ちどころのない美しいお嬢さんにお育ちですよ?陛下にも王妃陛下にも気に入られておりますしね」
侍従がなおもそう言うので、思わず睨んでしまった。
「非の打ち所がない、ねえ…かわいげもない」
そう。僕はずい分と背も伸びた。もう、レオノーラにおちびちゃんと呼ばれていた頃の僕とは違う。いとこ達と一緒に小さいころからあいつは僕の遊び仲間の一人だったが…僕はあいつに剣では勝てず、勉強でも勝てず、ダンスの練習でも引きずられ…なんか…今思い出してもいい思い出が一つもない。挙句に…12歳まで背も追い越せなかった。留学が決まったときも、ブリア語もフール語もあいつに教え込まれた。
だから僕は剣術も勉強もなにもかも、あいつに負けないことだけを目標に今まで生きてきた。留学先でだって、その程度しか学べなかったのか、と言われるのが嫌で、むちゃくちゃ勉強した。剣術だってサボらず頑張った。おかげで結構筋肉も付いた。
…そのレオノーラを婚約者に?あり得ないだろう??
「小さいころから、殿下とレオノーラ様は仲良しだったじゃありませんか?」
「は?」
タイを直して、ピンを止めながら、侍従がにまにまして言い出したことに驚く。小さいころから僕についてくれていた侍従は、すっかり白髪頭になった。
「小さいころから、いつも殿下と一緒で、何でも一緒にやりたがっておられましたよねえ…。殿下と留学も一緒に行きたかったようですが親御さんの許可が出ませんでしたね。あの頃から可愛らしいお嬢様でしたが、磨きがかかりましたよ?」
「僕は…付きまとわれて、迷惑だったんだ」
「はははっ。そうでしたか?」
…可愛らしい?…憎たらしかったの間違いじゃないのか?
「僕は慎み深い、おとなしい女性がいい。剣など握らず、政務にいちいち口を挟まないような、な」
「はははっ、そうですか」
侍従が笑いながら、僕を姿見の前に立たせる。
そこには、17歳になった健康的な(自分で言うのもなんだが)好青年が映っている。ブリアでもフールでも言い寄ってくる女の子は多かった。あんまり色恋にうつつを抜かすほどの暇がなかったのでご遠慮したが。
…そうか、あいつはまた僕にまとわりつくつもりなのか?婚約者候補として根回しでもしたのかな?
アステリオは憂鬱そうにため息を一つつく。
***
「まあ、お兄様、見違えましたわ!昔、レオノーラお姉様のスカートを掴んで泣いていた子には見えませんわね?」
「…泣いてないし」
支度が済んで階下に降りていくと、二つ下の妹のカリーナにからかわれた。妹は今年から学院に通いだして、レオノーラのファンクラブ会員になったと聞いた。学院の男子はもちろん女子も入っているらしい。
その妹は今日はオレンジ色のドレスを着て、僕を眺めている。
「ふむふむ。お兄様はいい男になりましたね。レオノーラお姉様にはお会いになった?」
「は?なんでさ」
「まあ、だって今日踊るんでしょ?」
当たり前のようにそう言う妹に、ほんの少しむっとする。
どいつもこいつも…。
「……踊らない。僕にだって選ぶ権利はある」
「へええ。まあ、そうよね。レオノーラお姉様にも選ぶ権利はありますものね?あんんなに何でもできる方、ほっとく方がどうかしていると思いますけど?」
「…なあ、カリーナ。あいつ、苦手なものなんてあるのかな?」
「え?どうかしら?無いんじゃない?」
「……」
***
その夜の祝賀会という名目の舞踏会で、僕は驚くべきものを目にすることになる。
来賓への挨拶が終わって、パストラ公爵家が呼ばれたのは当然だが割と早い時間。位の高い順に挨拶に来るから。
両親と兄上に挟まれて、レオノーラがゆっくりと頭をあげる。ドレスは薄いきれいな青。
…え?
僕が驚いたのは目が合ったレオノーラが美しかった以上に…その表情だ。
驚愕の表情?え?
その後、苦虫を嚙み潰したような顔?え?
…おい、そこはほんのりと頬を染めるとかじゃないのか?おい!
もっと驚いたことに…挨拶が終わってから、体調が悪いとレオノーラが帰宅したと聞いた。僕は並んだ諸侯とそのご令嬢の挨拶をにこやかに受けて……妹と踊った。
レオノーラと踊る気はさらさらなかったが、いや、全くなかったが、舞踏会が終わるまで、あの微妙な表情が気になって気になって仕方がなかった。
あいつ…僕が好きだったんじゃないの???
僕と婚約したいって騒いだんじゃないの??
あいつが当然のように僕とダンスをするつもりなら、目の前で違う女の子と踊っちゃる、とか考えていた僕は……少々困惑した。
妹が言った「レオノーラお姉様にも選ぶ権利はある」というセリフがぐるぐると頭の中を回り続ける。
何なの?




