忍ぶれど
予想外の一言を受けて停止したルカの脳が再起動するまで、たっぷり数秒を要した。
「色々と言いたいことはあるが、まず聞こう。どうしてそう思った?」
「その前に答えてよ。好きなの?好きじゃないの?」
「それは……難しい問いだな」
ルカは天を仰いだ。
「難しくないと思うけど……」
確かに、好きか好きでないかは一言で答えられる。だが、答えが単純であることは、それに行き着くまでの過程も単純であることを必ずしも意味しない。
というのも、この問い自体が幾つもの選択を迫っているからだ。果たしてその答えを今出すべきなのか、出したとして口に出すべきものなのか。
「答えになってるか怪しいが、好きかそうでないかは分からん。俺は恋愛面で人を好きになったことがないからな……」
「好きかもしれないってこと?」
「……そうとも言える」
クロエは芝居っけたっぷりに手を挙げて、大袈裟なため息をついた。
「お姉様が男の人を連れて帰ってくるなんて初めてだよ?なのに好きかどうか分からないって、ホントお子様なんだから……」
ルカはムッとした。
「そういうお前は分かるのか」
「自分の好き嫌いくらい分かるに決まってるじゃん。分からない方がおかしいよ」
(子どもゆえの感性の鋭さか?いや違う。こいつは物を知らぬ子どもだ。良くも悪くも対人経験に乏しく、想いを伝えたりすることで思わぬ方向に話が拗れるリスクに思い至らない。だから……)
だから感情に素直で、思い込みという枷を嵌められていないから自由に見える。
「……お前のような子どもには、大人の機微など分かるまい。それより、さっきの質問の答えを聞かせろ」
「うーん……良いよぉ、教えてあげる」
ルカはジッとクロエを見つめた。面と向かって問いただされるほど変な様子を見せただろうか。もしも自分の態度に不自然なところがあったのなら、これが改めるチャンスになる。
「お兄さんがお姉様のことが好きだと思ったのはー?視線が嫌らしいからでした!」
「ハァ……真面目に聞いた俺が馬鹿だった」
「嘘じゃないもん!ホントにやらしかったもん!」
「はいはい」
クロエは唇を尖らせた。そしてすぐにまた嫌らしい笑みを浮かべた。ころころと表情の変わる子どもだ。考えがすぐ顔に出る。
それ故に分かる。碌なことを考えていない。大方、また何かルカを動揺させるネタでも考えついたのだろう。
「良いのかなー?そんなこと言ってぇ、うじうじしてる内にお姉様取られちゃうよ?」
「取られるとは何だ。物みたいに言うな」
「リッターのこと覚えてる?」
剣術指南役とか言っていた青年か。歳の頃は20代後半だろう。体格の良い好青年だった。それなりに鍛えているのだろう。
「ああ。さっき別れたばかりだしな」
「リッターはね……お姉様の初恋の人なんだよ」
「何!?」
ルカは目を剥いた。
「なに!?なに!?あははは!」
クロエは変な顔をしながら大袈裟にのけぞった。ルカの真似をしているのだろうか。これは鬱陶しい。
「今も好きかどうかは知らないけど、リッターは手強いよぉ。ほら顔も良いし性格も、ね?お兄さんの方は……あー、面白さくらいしか勝ってるところないかも」
(ほう。俺が勝っているのは面白さだけ、と)
ルカはヒクヒクと眉を動かした。面白い、という言葉を素直に賞賛として受け取るほど、ルカは純朴な人間ではない。
(お前の言う面白さとは、人を笑わせる能力ではない。からかうと楽しいとか、詰まるところ人に笑われる能力であろうが)
ルカは複雑な表情を浮かべたまま、先を行く小さなつむじの後を追った。
――――――
しばらく歩くと、男爵領を取り囲む山脈の麓に辿り着いた。そこには、青白い大結界に接する形で無骨な大岩が鎮座していた。
「着いたよ。凄いでしょ!」
クロエは大岩の前で立ち止まり、薄い胸を張った。
「ああ、年季の入った凄い岩だな。実に立派だ。感心した。で、探検は終わりか?もう昼食も終わってるだろうし、そろそろ帰っても良い頃合いだぞ」
「だめだめ、お楽しみはここからだよ」
クロエは大岩に向き直ると、パンチの時と同様、小さな背から気体を放出して突進した。
「あっ、馬鹿……」
ルカが止める間もなく小さな体躯は岩に吸い込まれていった。すり抜けるように。
(消えた?)
もし岩をすり抜けたなら、大結界の内部に侵入したことになる。誰も入れないはずの、絶対的な聖域内に。
(今すぐ捕まえて連れ戻す!)
ルカの判断は早かった。クロエ同様岩に突っ込む。
岩を抜けると、そこは木々生い茂る大森林であった。吸い込むだけで心地よい清浄な空気に、柔らかな陽光。鼻腔を土の匂いがくすぐり、心地良い風が肌を撫でる。
しかし、不自然だ。
(どんな場所であろうと、ほんの僅かな歪みや危険の兆候はある。ここにはそれが、まったくない)
何の違和感も危険も感じない。木の陰に、生い茂った草むら。死角は無数にあるのに、それらが一切不安に結びつかない。
ルカの全身に悪寒が走った。
「ネージュ?いないのぉ?」
大声で誰かを呼ぶクロエを問答無用で抱き抱え、再び岩に突っ込む。
暗闇を抜けて周囲を見回すと、大結界の外に出ている。
どうやら戻ってこられたらしい。
しかし、陽が沈みかけている。岩に突入した時点では太陽が燦々と輝いていたというのに、今は夕暮れが空を紅く染めている。
大結界への侵入と、不自然な時間の経過。イレギュラーが発生してしまった以上、警戒するに越したことはない。自らを脅かす異変の兆候を見逃さぬよう、ルカは周囲を見回した。
すると、山の中腹付近に小さな光が見えた。
(気のせいか?いや……)
ルカが目を向けるのとほぼ同時に消えてしまったが、何かが光っていたのは間違いない。
それが何かは断言できない。だが推測はできる。
(……いくらなんでも、さすがに考え過ぎか?いやしかし、俺が目を向けるのと同時に消えた。それがどうにも引っかかる。普通、山中にあんな光を放つものなど存在しない)
闇の中で輝く狼の瞳が頭を過ぎる。ユリウスと共に狩りに出た時の記憶だ。
しかし一帯は夕陽に照らし出されている。真夜中じゃあるまいし、獣の眼光がここまで届くとは考えにくい。
(赤光に照らされて人間の眼球が光を反射した可能性……すぐに消えたのは目を閉じたか、或いは光を遮ったからか?)
「ちょっと……」
何事か抗議しているクロエを完全無視して剣を抜く。自然現象、もしくは単なる気のせいならそれはそれで構わない。
確かめることができれば、不安材料を確実に一つは減らせる。
「コイツを絶対的保護対象の一人に指定する。必ず守れ。俺は周囲を探ってくるから、必要に応じて援護しろ」
非戦闘員を無闇に光源に近寄らせたくない。たとえルカ単独では手に余る敵が待ち構えていたとしても、この距離なら紳士の目が届く。逃げる隙くらいは作ってくれるだろう。
仮面の紳士が頷くのを確認してから飛び上がる。勢いに任せて飛翔し、山の中腹へ。
視線の主は、そこにいる。




