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#089 「久遠野市へ帰還」

 バスの中には、柔らかな夕焼け色が差し込んでいた。西へ傾いた陽射しは窓ガラスを淡く染め、揺れる光が六人の制服の袖や頬を静かに撫でていく。窓に映る横顔は、それぞれ違う方向を向いていながら、どこか同じ疲労を帯びていた。長い任務を終えた安堵と、まだ整理しきれない感情。その両方を抱えたまま、誰もすぐには口を開かなかった。

 静かなモーター音と、道路の継ぎ目を越える微かな振動だけが、車内に規則的に響いていた。窓の外では、夕暮れの久遠野市がゆっくりと流れていた。買い物帰りの市民。帰宅を急ぐ学生。空を横切る配送ドローン。見慣れたはずの景色なのに、数日ぶりに見るだけで、どこか遠い場所のようにも感じられる。

 不意に、要の端末が短く振動した。静かな音だった。だが、その場にいた全員の意識を引き寄せるには十分だった。要は画面を確認し、小さく息を吐いてから皆へ視線を向ける。


「……中央からだ」

 自然と、全員の視線が集まった。要は端末を操作し、スピーカーをオンにする。


『こちら中央部。出張任務は本通信をもって終了とする』

 感情を抑えた淡々とした声が、静かな車内へ機械的に響いた。

『久遠野外域での一連の対応、ご苦労だった。各自、帰還後は通常任務に復帰せよ』

 一拍の間。そして、最後だけ少し人間らしい抑揚が混じる。

『——以上。皆様、お疲れ様でした』

 通信が切れる。一瞬、張り詰めていた空気がふっと抜けたようだった。誰かが大きく動いたわけでもない。それでも、車内に漂っていた緊張だけが、静かに形を失っていく。


「……終わったな」

 最初に口を開いたのは隼人だった。背もたれへ深く体を預け、天井を見上げる。

「少なくとも、“出張”は」


「そうだね」

 美弥が小さく笑った。その笑みには、安心と疲労が半分ずつ混じっている。


「長かったような、あっという間だったような」

 いちかは膝の上で指を組み合わせ、少し迷うように視線を落としたあと、小さな声で言った。


「ねえ……結局、私たち、ちゃんと役に立てたのかな」

 その問いに、すぐ答える人はいなかった。

 バスは静かに交差点を曲がり、夕陽の反射が窓一面に広がる。誰もが、自分なりの答えを探していた。


 やがて、想太が窓の外から視線を戻す。

「全部は救えてない。でも……」

 一度言葉を切る。簡単にまとめてしまいたくない、そんな間だった。

「話す場所は、残せたと思う。黙ったまま終わらせずに」


「うん」

 要が静かに頷く。

「対立も不安も、消えてはいない。でも、記録には残った。“なかったこと”にはならない」


「それって、結構大きいよね」

 美弥が窓の外を指さした。

 沿道では、市民が手を振り、笑顔を向けている。小さな子どもが跳ねるように両手を振り、その隣では年配の男性が帽子を取って軽く会釈していた。

 けれど、その少し後ろには、無表情のまま様子を見守るスーツ姿の人影もある。端末越しにこちらを記録している者もいた。


「歓迎と監視、両方」

 隼人がぼそりと言う。

「でも……前より、隠さなくなった気がする」


「隠さなくていい、って分かっただけでも」

 いちかが小さく続けた。

「前より、ちょっと楽かも」


 その言葉に、誰も否定しなかった。

 はるなは、皆の会話を聞きながら、胸の奥に残る温度を確かめていた。成功と言えるほど綺麗な答えはない。問題は山ほど残っている。きっと、これからもっと複雑になる。

 それでも。確かに、「何か」は残った。

 誰かが声を上げたこと。誰かが耳を傾けたこと。そして、自分たちもまた、その中に立っていたこと。その実感だけが、胸の奥で静かに灯っている。

  ──『はるな』

 耳の奥で、ともりの声がやわらかく呼びかけた。


 はるなは、小さく目を伏せる。

「……うん」

  ──『出張は終わりました。でも、関係は続きます』

 その言葉は、不思議なくらい自然に胸へ落ちてきた。


 終わったのではなく、続いていく。任務でも、命令でもなく。人と人の間に残ったものとして。


 はるなは、静かに息を吸った。

「……それで、いいよね」

 返事はなかった。けれど、耳の奥に残る微かな温度が、それだけで十分だと言っている気がした。

 バスは緩やかな坂道を登っていく。夕焼けに染まる空の下、やがて灯ヶ峰学園のシルエットが見えてきた。

 校舎の窓は黄金色に輝き、懐かしい鐘楼が長い影を地面へ落としている。部活動を終えた生徒たちの姿が小さく見え、風に乗って運動場の笛の音がかすかに届いた。

 その光景を見た瞬間、車内の空気が少しだけ変わる。仲間たちが自然と前のめりになり、目を細めた。


「……帰ってきたな」

 誰ともなく零れたその言葉が、静かな車内へゆっくりと染み込んでいった。

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