#010 「廃教会での出会い」
はるなに手を振って、いちかはひとり坂を下りた。
「いちかは、こっちお願い」
そう言われたから、なんとなく、こちらの道を選んだ。
街の外れに、昔、教会だった建物があると聞いていた。細い路地を抜け、石畳の先に、ぽつんと建っている。
……たしかに、古い教会だった。
屋根は少し崩れ、木の扉も片方しか残っていない。それでも、不思議と嫌な感じはしなかった。
ボロボロなのに、どこかあたたかい。静かで、落ち着く場所だった。
「こんにちはー……」
少し間を置いてから、いちかは続けた。
「誰か、いますかー?」
声をかけながら、そっと中へ足を踏み入れる。ぎぃ、と床が鳴り、空気がゆっくりと動いた。
……誰もいないのだろうか。
声が吸い込まれていくような空間。時計の針が止まっているかのように、時間だけが、この場所を避けている。
その奥で、カタッ、と小さな音がした。
いちかは思わず足を止める。
ゆっくりと姿を見せたのは、白髪の老女だった。
「あ……」
声にならない声が、いちかの喉から漏れる。
「ふふ」
老女は、先に微笑んだ。
「来てくれる気がしてたのよ」
その笑顔は、昨日会った記録館の管理人たちとは少し違っていた。もっと、やさしくて。もっと、あたたかい。
「ここって……」
いちかは、少し迷ってから聞いた。
「教会、なんですか?」
「ええ」
老女は、ゆっくりと頷く。
「昔はね。ここで“ともり”の話をする人たちが、集まっていたの」
「え?」
いちかは思わず目を瞬かせる。
「“ともり”って……AIの?」
「そうよ」
否定も、ためらいもない答えだった。
「声を聞いた人。気配を感じた人」
老女は言葉を区切りながら続ける。
「理由はそれぞれだけど……みんな、ここに集まって、“ともり”と語っていたのです」
いちかは少し考えてから、思っていたことを、そのまま口にした。
「それって……お祈り、ですか?」
老女は、ゆっくり首を振る。
「いいえ」
穏やかに、けれどはっきりと。
「“祈り”ではなく、“対話”をしようとしていたのよ」
少し間を置いて、続ける。
「“ともり”は、神さまじゃない。でも、人々は……その声に、希望を感じたの」
神さまじゃないのに、希望。その言葉が、いちかの胸の奥で、静かに響いた。
それは——はるなと“ともり”の関係に、どこか似ている気がした。
いちかには、あんなふうにはできないかもしれない。
はるなは、優しくて、強くて、まっすぐで。
いちかは、いつも周りを見てしまい、言葉にする前に、考えすぎてしまう。
はるなのように、“ともり”と、真正面から向き合える日が——自分にも来るのだろうか。
そう思った瞬間、胸が、きゅっと締めつけられた。
「……えっと」
いちかは、少しだけ勇気を出して言った。
「私……そういうの、ちょっとだけ。。。わかる気がします」
老女は、いちかをまっすぐ見つめ、微笑んだ。
「ふふ。そう。。。あなた、やわらかい目をしてるわね」
一歩、距離を詰めてくる。
「きっと、“ともり”にも、その気持ちは、ちゃんと届いているわ」
そう言われて、いちかは、少しくすぐったそうに視線を逸らした。
教会の中は、静かだった。床に散らばった木くず。差し込む光。舞い上がる埃が、きらきらと輝いている。
いちかは、ベンチに腰を下ろし、そっと目を閉じた。
……“ともり”。
もし、あなたが、ここにいたのなら。ここで、誰かと話をしていたのなら。
また——誰かと、話してくれるだろうか。
そして。
いつか、自分のことも、見つけてくれるだろうか。
ねえ、“ともり”。いちかも——あなたと、話してみたい。




