45話 オルフェ伯爵家は見られてる!
その日もまた、ルーセント辺境伯家のタウンハウスに手紙が届いた。
ここには当主はもちろん、正妻と嫡子も滅多に訪れない。そして今は第二夫人と養子もいないのが知られていても、辺境伯家は王国北部の大貴族。王国の安全保障はもちろん、経済的にも重要な役割を担っている。
そのため、当主に変わって社交を熟す代官の元にも多くの貴族や商人、各ギルド幹部からの手紙が届く。
「ギルバード様宛か。最近はまた増えて来ましたね」
「逆にゲオルグ様宛は減っております。公表はされておりませんが、情報が広まっているのでしょう」
分厚い手紙の束を眺めるグレゴール・ルーセントは、今年の春に本領から来た新任の執事長の意見に頷いた。
「ゲオルグ様とダルナス王国のナヴィア姫との交流は隠していませんからね。当家に関心を寄せる者にとっては、既定路線なのでしょう。
……例の騒動を伏せておけるのなら、私はそれで十分です」
視線を天井に向けて、グレゴールは今年の年始から春先に起きた騒動に思いを馳せた。
執事の一人が第二夫人ガラテア暗殺を企て、前任の執事長を拉致監禁した大事件。しかも、ガラテアが臥せていた病の正体が呪いで、黒幕は本領で要職についていた現当主の従兄弟。
表沙汰になったら大スキャンダル。実行犯の執事はもちろん黒幕は王都で公開処刑され、身内から重罪人を出したルーセント辺境伯家の威信は地にめり込む。
始終蚊帳の外にいたグレゴールは法的な罪に問われなくても、責任を問われ失職していただろう。
「あの騒動は、多くの痛みと教訓をもたらしてくれた」
「教訓、ですか?」
「ええ、己を顧みましたよ」
あの騒動で、グレゴールは王国政府の事情聴取を受けた。あれはもう尋問、精神的な拷問だった。己を顧みる貴重な体験だったが、あんな思いは二度としたくない。
(すべては、何も知らないように立ち回って来た私の責任だ)
グレゴールはガラテアとギルバードから、距離を取った。
名前だけの第二夫人と、独身の代官。接近して悪い噂が立ったら困る。
養子のギルバートの『魔眼』に利己的な日和見主義の本心を見透かされるのも怖かった。
だが、同時に将来辺境伯を継ぐ可能性が高い彼と、その実母に疎まれるのも避けたい。
なので、グレゴールの対応は中途半端になった。二人のために配慮するが、直接自分が関わるのは最低限。会う時は間に誰かを入れ、徹底的に事務的な態度を維持しようとした。
そのせいで実行犯の執事が二人に接する時間が増え、グレゴールが事態を知ったのは全て終わった後。
王国政府から共犯を疑われても仕方ない。
「面倒を恐れて目を背けると、面倒なことになる。それを思い知りました」
おかげで今もガラテアとギルバートだけではなく、当主からも信頼されていない。代官の職は維持しているが、例の騒動を解決に導いた功労者について、何も知らされていないのがその証拠だ。
その功労者探しに関われてもいない。
「もう手遅れかもしれませんけどね。まあ、職と収入を維持できれば私はそれで十分ですが。
……はて? オルフェ伯爵家から?」
愚痴っぽくため息を吐いて視線を戻すと、束の一番上にあった手紙が目に入った。そこには、オルフェ伯爵家の家紋と署名があった。
「はい、オルフェ伯爵家のアルベルト様からです。レオディーナ嬢からの手紙も同封されていると」
「レオ……? あの家にそんな名の令嬢はいなかったはずだが」
グレゴールは、貴族名鑑に乗っている貴族の名前はだいたい記憶している。その関係者や主な家臣の名前も同様だ。挨拶と社交辞令を交わしただけのアルベルトの顔と、彼の大まかな立場も例外ではない。
「ルナリア嬢、ではないのか。まあ、ウェンディア伯爵家次男の婚約者である彼女がギルバート様に手紙を出す理由もないだろうけれど」
署名を確認して顎に手を当てて考え込むグレゴール。歴史しかない落ち目の伯爵家、その正体不明の令嬢からの手紙を本領に素通ししていいものだろうか?
「グレゴール様、オルフェ伯爵家と言えば最近伯爵夫人が亡くなったと聞いております」
「ああ、そう言えばそうでしたね。お悔やみの手紙を出したのを忘れていた」
あの騒動の事後処理や情報操作に忙しく、心労も抱えていたグレゴールの記憶からカタリナの急死は零れ落ちていた。
「なら、レオディーナ嬢というのはアルベルト殿が認知した庶子か、養女に取った娘か。目的は、伯爵家再興のための政略結婚と言ったところかな」
庶子や養女を駒にして政略結婚を狙うのは珍しくない。貴族だけでなく、商人もよく使う手。
「だとしたら、ずいぶんと大物を狙ったものですな」
不快そうに相槌を打つ執事長に、「私の推測通りならね」とグレゴールも頷いた。
ルーセント辺境伯家の跡取り令息と、歴史しか誇るもののない伯爵家の庶子か養女では釣り合わない。
「いや、第二夫人か愛妾を狙って今の内から、ということかな?」
現当主が第二夫人を娶ったから、もしかしたら。そう考えたのなら、軽挙が過ぎる。もっと事情を調べるべきだった。
「だとしたら気の毒かな。ギルバート様は令嬢……というか女嫌いだから」
家との繋がりや援助目当てなんて、あの気難しい少年が最も嫌いそうな手だ。しかも、どんなに外見が良くても『魔眼』で内面を見透かしてしまう。
それ故に彼が当主になったら後継ぎが作れるか心配だが……。
(できれば三代続いて養子が継ぐ事態は避けてほしい。だが、彼もまだ十一歳だ。大人になれば潔癖症も治るかもしれない。それに、内面まで愛せる相手が見つかるかも)
最後のは儚い希望だろうな。そう自分でも思いながら、グレゴールはオルフェ伯爵家からの手紙を、ひょいと本領へ送る手紙を入れる箱とは別の箱に入れた。
「さて、後は……特に目を引くものはないな」
「その手紙はどうしますか?」
「他の要注意の手紙が溜まったら、一緒に送ります。どうせ急ぐ内容ではないでしょう」
その頃、グレゴールが関われない騒動解決の功労者……ガラテアの呪いを解いた『レオ』探しを命じられた者達の捜査は難航していた。
『レオ』について知らされたルーセント辺境伯爵は、ギルバートに無断で『レオ』について調べることにした。『レオ』が恩人であることは理解しているが、素性が謎過ぎる。
ルーセント辺境伯爵の立場では、跡取りの貴重な友人を謎のままにしておけなかったのだ。手掛かりは彼の立場を理解したガラテアと、元々主君に忠実なお抱え魔道士のグレンからの情報が頼りだった。
しかし、調査員たちが捜しているのは『レオ』という偽名を名乗っていた、『銀髪』に『アイスブルーの瞳』をした『白い肌』の『少年』である。
意外と絵が上手いグレンから提供された似顔絵によって、顔は分かっている。
メイドに変装した際に偽名を『レオナ』とした事から、本名も『レオ』に近い名前ではないかと推測される。
十歳にして大きな魔力の持ち主で、呪いの解除以外にも様々な魔法を使うことが出来ることも聞いた。
スラム街で暮らしていたそうだが、旧貴族街に引っ越している。その後、高度な教育を受けている。ダンスでは、ギルバートより上手かったとか。
そして、ガラテアによるともしかしたら『少年』ではなく『少女』かもしれない。
手掛かりは多いがさっぱり見つからない。見当もつかない。
「魔道士ギルドにも特徴の合う少年少女は登録されていない。一人、名前の近い少女がいたが……」
「本当か? ならその少女かもしれないっ」
「いや、調べたが褐色の肌に紫の瞳だったらしい。しかも、短期だがギルバート様の家庭教師を務めた魔道士の弟子のようだ」
「なら違うか」
調査員たちは、ルーセント辺境伯爵からくれぐれも強引な手段はとるなと厳命されていた。調査対象に気づかれてはならないし、悪印象を持たれるようなことは絶対にするなと。
「我々だけではこれ以上の調査は難しいと、報告するべきでは? ギルバート様に打ち明けて協力を仰ぐか」
「諦めるのは早計だ。他の調査と並行し続けるべきだろう」
「そうだな。幸い、調査期限は設けられていない」
秋の訪れとともに社交シーズンが始まり、アルベルトはますます忙しくなった。
新しい使用人の当て……彼が以前から交流を重ねていたラング子爵達他の家から人材の紹介。その面接。
神殿や各ギルドに働いた先代当主の不義理へのお詫び行脚と、司祭の派遣再開や支部再建の交渉。
(やりがいはある。充実もしている。だが、体がついて来ない!)
これが老いか。そんなことを考えつつも、彼は来年の秋までに秘書を雇うことを決めた。
(頼りになるが商人のパウルに、家の内政まで頼るわけにはいかない。ライオット達は、オルフェ伯爵家の外ではまるで役に立たん!)
新しい使用人の面接のためや、自分達が留守にしているオルフェ伯爵領に残しておきたくないからライオットやケイティを連れて来たアルベルトだが、彼らの働きには期待していなかった。
ライオットは約五十年ぶり、ケイティに至っては生まれて初めての王都だ。夜会の従者として連れ歩くことにも、不安しかない。
「ルーセント辺境伯家第一子、ゲオルグ・ルーセントがダルナス王国のナヴィア姫への婿入りをすることとなった。これを機に両国の絆が一層深まることを期待する。
今年も実りの秋を皆と迎えられたことに感謝を。女神の祝福が在らんことを!」
特に、今アルベルトが出席している現ラドグリン王、エルドラン国王主催の夜会には、連れてこられない。
(やはり周囲の空気が違うな)
去年までと同じように、従者も連れず一人での出席。しかし、周囲から向けられる視線が異なっていた。それは国王も例外ではない。
「アルベルト・オルフェ伯爵、大変だったようだな」
「ご心配頂き感謝いたします、陛下」
今まで挨拶をしても「うむ」以外の言葉をエルドラン国王から賜ったことのないアルベルトは、内心仰天しながらも恭しく応えた。
「後添えを向かえたそうだな。新たな伯爵家はどうか?」
「ラドグリン王国の臣として、亡き義父、亡き妻が嘆くことがないよう、盛り立てていく所存です」
「うむ、励むがよい」
「ははっ!」
そしてエルドラン王の前から下がったアルベルトは、大きく息を吐いた。
書類を提出したのだから、彼とナタリーの結婚を知っているのは当然だ。驚いたのは――。
(国王陛下がそれを気に留めて、態々私に言ったことだ。オルフェ伯爵家は陛下が関心を払うに値する……いや、注意するに値する家だったということか)
忠臣だったのは昔の話。今では興味を失い、没落するに任せて放置されているとアルベルトは思い込んでいた。しかし、そうではなかったのかもしれない。
「これはアルベルト・オルフェ伯爵。一年ぶりですね。国王陛下へのご挨拶はお済ですか?」
「お久しぶりです、クピスト伯爵。ええ、先ほどお言葉を賜りました」
「そうですか。では、こちらで少しお話など……」
「もちろんです。私も伯爵と話したいと思っておりました」
しかし、考えを纏める間もなく顔見知りの貴族がアルベルトに近づいてきた。便利な『良き友人』として利用し合ってきた貴族と、案内された先で待っていた顔ぶれに彼は内心苦笑いを浮かべた。
(そうか。私が思っていた以上に注目を集めていたのだな。今年のオルフェ伯爵家は)
「奥様の件、お悔やみを言わせてもらうよ」
「ええ、皆さまに悼まれて妻も喜んでいることでしょう」
「今年はご息女のルナリア嬢を王都に連れているそうですね。姿が見えないようだが?」
「娘はまだ勉強中でして、お恥ずかしい限りです。ですが、来年には紹介できるかと」
形だけの悼み。本題は亡くなった先妻ではなく、その忘れ形見のルナリアについて。
「それは楽しみだね。今は購入したという新居かな?」
「いえ、まだ改装中で。何とか春までには披露できるといいのですが。その際には、是非遊びに来てください」
「ああ、機会があれば喜んで」
「そのルナリア嬢だが、魔道士ギルドに登録したと聞いたが?」
「ええ、家庭教師の魔道士殿の推薦で。娘は私も驚くほど多才でして、なら伸ばしてやるのが親の務めかと」
「そう言えば、早くもご結婚されたとか? 是非紹介していただきたいわ」
「妻も夫人と友人になれれば喜ぶでしょう。しかし、妻は身重でして」
「まあ、それはおめでとうございます! 何時頃かしら? お名前は考えたの?」
「新年を迎える前には、と聞いていますよ」
次に話題は、国王陛下も口にした後妻について。質問をアルベルトは次から次に捌きながら、内心では息をついていた。
(違うのは注目されていることだけで、後は去年までと同じか)
クピスト伯爵は、夫妻ともに社交界の事情通を気取っているが扱うのはゴシップ中心。夫妻の周りの貴族達も似たようなものだ。
今アルベルトに注目しているのも、大好きなゴシップの気配を嗅ぎつけたからだろう。
(注意を引いているのは、ルナリアとナタリー。そしてタウンハウスの購入。ディーナやナタリーの妊娠についてはまだ知られていなかったのか?
ラング子爵夫妻が情報を流す相手を上手く選別してくれているのと、ディーナの客も秘密を守ってくれているお陰か)
とはいえ、ゴシップも立派な情報だ。知らないよりは知った方が助かる。
それによれば、ルナリアの死亡説は流れる前に消せたようだ。後は、ルナリアの有能さや後妻と異母妹との関係が良好であることを広められればいいのだが。
「そう言えば聞いたかね? ルーセント辺境伯家を継ぐ事になるだろう養子の少年について」
「去年出席したお茶会で娘が手を払われて、睨みつけられたと怯えていたのよ」
そのゴシップで、若干心配になることを聞いた。どうやら、ギルバート少年の令嬢嫌いは娘から聞いていたより深刻だったらしい。
「その令息も、今は王国北部の本領で生活しているとか。ルーセント辺境伯家と言えば、我が国の北を守る盾にして剣。現辺境伯爵の監督の下、立派に成長してくれることでしょう」
そう聞こえのいいことを言いつつも、アルベルトは不安だった。先日、レオディーナがやっと書き上げた手紙。 『レオ』本人だと分かるよう、例のブローチを『転写』した絵等色々と同封したそうだ。だから、開封して一目見れば分かるはずだが――
(他の令嬢からの手紙と一緒くたにして、開封しようともしない……なんてことにならないといいのだが)
そんなことを考えていると、視界の隅にそのルーセント辺境伯爵の代理のグレゴール・ルーセントが映った。こちらを見ていた気がしたが、アルベルトが視線を向けた時には顔を背けていた。
気のせいか、それとも避けられているのか。
(後者だろうな。私が彼の立場でもそうする)
自分の家が微妙な時期に、スキャンダルの気配がする相手と近づきたいとは思わないだろう。元々交流も利害関係もないなら、猶更だ。
しかも、今アルベルトの周りにいるのは社交界の中でも特にゴシップを好む紳士淑女ばかり。下手に近づいて、ボロが出たらまずいと考えるはずだ。
そうした情報管理のお陰か、クピスト伯爵たちも例の騒動については知らないようだった。ギルバート達が王都から本領へ移ったのも、不自然に思っている様子はない。
(さて、そろそろラング子爵達への挨拶に向かうか)
流行のゴシップもだいたい聞き終えた。話も一段落したし彼らから離れる頃合いだ。
アルベルトは、ラング子爵達にオルフェ伯爵家やタウンハウスで新たに雇う家臣や使用人の紹介を依頼していた。ポスト不足で転職先を探している家臣や使用人、就職先を探しているその子弟達は探せばいる。そうした人材を集めるのに、社交界のコネは有用なのだ。
……ただ募集広告を出すだけでは、世間一般からのオルフェ伯爵家の印象が悪い。
数十年古参の家臣や使用人の子弟だけで回して来た家だ。衰退著しい歴史ある名家で、社交界には入り婿一人しか出てこない。屋敷に招かれた者も、出てきた者も誰一人いない。
もしアルベルトだったら、他に選択肢があるなら選びたくない就職先だ。
ラング子爵達の協力がなければ、必要な人員を集めるのに相場よりも数割高い給料を提示しなければならなかっただろう。
そのため、挨拶と礼を言いに行くために歓談から抜けることをアルベルトが切り出そうとしたその時。
「皆様、歓談中申し訳ありません」
そう聞き慣れない声がしたかと思った瞬間、クピスト伯爵たちの顔が強張った。
「少しオルフェ伯爵をお借りしてもよろしいですか?」
その声の主を見たとき、アルベルトの心臓が跳ねた。彼は、現宮廷魔道士長の息子キャスバル・レドリック。彼自身も優秀な魔道士で、今年の春に王立学校卒し魔導大学へ進学している。
「イグナス王子から、彼をご案内するよう言い使っておりまして」
そして、ラドグリン王国第一王子の側近だ。
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