第八節 敗死
「やはり、防ぎきれぬか……?」
「はっ、申し訳ありませぬが、カラ兵の馬とやらの力、なかなかに手ごわく……」
「よい、そなたのせいではあるまい、そなたはようやってくれておる」
「申し訳ありませぬ」
「して、具合はどうじゃ」
「まず、第二隊のヤマト兵は数およそ百五十まで減らされたところで、何とか谷あいに戻ることができ申した。ただ今のところ残りの第二隊は第三隊と合わさり、サガ兵の攻めを防いでおります。されど、敵はサガ兵五百にマツラ兵千が代わる代わる攻め込んできており、こちらは進むことも退くことも叶わず、何とか持ちこたえておるのがせいぜいか、と」
「うむ、それではこの二隊は本隊とひとつになることは叶うまいのぅ」
「恐れながら……」
「次に、殿ですが、兵五百のほとんどがすり潰されてしまい申した」
「うむ、我が兵ながら弱いことよのぉ……」
「恐れながら、多くの兵が王をお守りするため命を掛けて戦い、戦場に斃れ申した」
「そうか……みなに礼を申さねばなるまいのぅ」
「また恐らく、中には援けの兵を呼び連れるため、アサの地に駆けて戻る兵もおりましょう」
「さようか、更に多くの兵を苦しませることになる。みなに申し訳ないことであるのぅ」
「ヤマト王のお気持ち、兵にはよう伝わっておりますゆえ……」
「……」
「また、殿の残っておる小兵はヒタ兵の第五隊と合わさり、ただ今敵の攻めるを防いでおるところにあります」
「しかるに、その防ぎにもそろそろ限りが見えてこよう」
「仰せの通り。この隊には矛を地に埋め、逆茂木として馬の駆けるを防ぐよう命じており申すが、それもほとんどが叩き折られ、今や敵の好きなように寄せて参ります。これを防ぐに矢を以って当たらせておりますが、今や矢も尽き、もはや防ぐに手のない有様にて」
「よぅ分かった。やはり苦しいのぅ」
「されば、ヤマト王にはいよいよここを脱して頂きたく」
「それは……」
「さよう、危うい道ではありますが、既に矢も尽きつつあり、また、兵の疲れも溜まっており申す。このままここを固めても道なく、こちらの利は薄うございます」
「されど、脱すると言うても、馬兵をどのように躱すのであるか?」
「我がヒタ兵五十には赤金の盾を持たせてありますれば、木の盾より少しは持ちこたえましょう。されば、まずは盾兵で王の廻りをお囲みし、敵兵の中を突き抜けようか、と」
「うむ、やはりそれしかあるまいか……」
「他の道筋であれば両の山の中に入ることも叶いますが、この道は両が崖になっているゆえ、逃げ込めませぬ……」
「思えばヒタ殿もそのことを気にしておった。まこと、ヒタ殿の申すことを聞かなんだ儂の過ちよ。戻らばヒタ殿に詫びねばならぬのぅ」
「我が主も、ヤマト王の仰せを聞かば、却って恐れ入ることにありましょう」
「いずれにせよ、ひとたび敵兵の中を突き抜けること叶わば、逆にこちらが敵兵を谷あいに押し込めることも叶いましょう。また、そろそろ陽も落ちる頃にあり申すゆえ、敵の追い討ちも鈍りましょう。その隙に山の中に入れば、もはや馬で追うことも叶いますまい」
「なるほど、ほんの少し時を稼げれば、この地を脱することが叶うということじゃな……」
「仰せの通りに。多くの兵を置き去りにし、あまつさえ、危うい道にはあり申すが、どうぞヤマト王のお許しを頂きますよう」
「うむ。サガ殿の裏切りを知った時より、儂は既にそなたを我が知とし、そなたに全てを任せると決めておる。そなたのよいように率いるとよい」
「ありがたき幸せ。それでは今すぐにでも兵にしらせを。王にもしばらくは駆け通して頂くことになりますが」
「構わぬ」
「ヒタ兵よ、王の廻りに集まり、王をお守りせよ」
「おうっ!」
「これより王をお守りし、ここより王を落とし参らせる。みな、盾をかざし矛を掲げて固まり、敵の矢剣より王をお守りせよ。矢の一本、剣の一振りでも王に近づけさせるな」
「おう!」
「みなのもの、ここがみなの働きどころじゃ。お主らの命、儂が預かる。いくぞっ!」
「固まれ! 走れ! 敵を突き破れ!!」
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「タケよ、兵も少のうなってきたのぅ」
「はっ、されど、まだ敵の矢も剣も、王の廻りには届いてはおり申さず」
「うむ、してどうじゃ、見通しはっ!」
「はっ、このまま進めば、突き抜けることも叶いましょう」
「そうであるか、それならばあと一息、このまま突き進もうぞ」
「みなのもの、王の仰せじゃ。このまま一息に突き進むぞ」
「おうっ!」
「何としても王をお守りするのじゃ!」
「進め! 進め!」
「ヤマト王、もうじき前の兵が敵の馬兵を突き崩しましょう」
「おうっ、みなのもの、頼むぞ」
「よし、そこだ。前の兵どもよ、道を開いて王をお通しせよ! 残りの兵はみなで両の側を固めるのじゃ。敵を王に近づけさせるな」
「ヤマト王、今のうちにこちらへ」
「ヤマト王、ここはわれらで支えますので、どうぞお退きください」
「タケ様、どうぞヤマト王をお守りください」
「みな、すまぬ。必ずヤマト王をお守りするゆえ、みなでここを支えてくれ。赤金の盾の者、十五は我らについてこい。残りはここを支えよ。敵の一人もここを通すなっ!」
「お任せ下さいっ! タケ様!!」
「追え、追撃じゃ! 必ず王を生きては帰すな!!」
「突撃、突撃! 何としてもあの兵の壁を突き崩せ!」
「敵の数は少ない。密集隊形を取り中央突破せよ。所詮敵は歩兵部隊。騎兵の打撃力には叶うはずもない。突撃じゃ」
「押せ、押し戻せ、命を捨ててもここをお守りしろ」
「一人たりとも兵を王に近づけさせるな」
「ヤマト王、我が兵が何とか持ちこたえている間に、少しでも早く退きましょう。あちらに見える林に逃げ込めば、敵も追ってはこれますまい」
「おうっ、ここはとにかく駆けようぞ」
「矢だ! 矢を放て!!」
「突撃だ! まだ突破できぬのか!」
「一騎でもよい、とにかく突破するのだ」
「押せ、戻せっ」
「中の兵と挟み撃ちにするのだ」
「まだ数はこちらの方が多い、押せ押せ」
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「タケよ、敵の追い討ちはどうか?」
「はっ、今のところ、兵どもがよう押さえてくれているようであります」
「そうか、みなには礼を申さねばのぅ」
「ヤマト王、それはお帰りになられてからのこと。まずはあの林まで……もう少し駆けましょうぞ」
「タケ様、後ろに土煙が見えまする……」
「追ってきたか……数はいくつじゃ?」
「一、二、三……馬が三であります」
「そうか、しからば十人はここに残って馬を押さえよ。幸い、敵も疲れている頃であろう。矢戦で敵の脚を鈍らせ、盾で脚を止めさせよ。敵を王に近づけさせるな。頼むぞ」
「分かり申した。しからばここにて留まり、必ずや敵を倒してみせましょうぞ。タケ様、ヤマト王をお願い申し上げます」
「おぅ、お主らの想い、確かに受け取ったぞ」
「いくぞ、お前ら、ここで死んで、タケ様にお褒め頂くぞ」
「みな、すまぬな儂のせいで……後できっと詫びるゆえ、今は許せ……」
「ヤマト王……」
「タケ、あの者らはまこと押さえてくれるであろうか……? いや、すまぬ……聞かなかったことにしてくれぃ。儂が信ぜぬでは、あの者らも命を掛ける甲斐もないというのにのぅ」
「兵どもはみな力をみせてくれることでありましょう。されど、敵とて王を追う身にあらば、ただいたずらに残された兵だけにかかることもございますまい。恐らくは、片や兵とぶつかる勢、片や兵を避けてこちらを追う勢の、二手に分かれてくることでありましょう。敵の数は三。残した兵は十で、こちらは王を入れて七。敵のうちの二人までがあちらにかかってくれるとありがたいのですが……」
「敵のうち二人がこちらに来た時にはいかがする?」
「その時には臣が残りて敵を防ぎ、王を落とし参らせます」
「されどタケよ、我が兵五百が束になっても突き抜けるのがやっとだった馬兵を相手に、タケ一人でいかにして防ぐというのじゃ?」
「臣には我が主より預かり申した黒金の剣がございます。これあらば、いかにカラ兵が馬に跨り黒金の剣を佩いていようと、恐れるものではありませぬ」
「そうか、ヒタ殿はそこまで……」
「タケ様、悪い報せです」
「何じゃ?」
「敵は二手に分かれた上、馬兵二がこちらを追っております」
「さようか……ヤマト王、王は残りの兵と共に先に参らせ給え。臣はここで敵を防ぎ申す」
「タケ様、せめて我らもこの場に……」
「いや、お主らは王のお側を固めるのじゃ。決して敵を近づけさせるなよ」
「タケ様……」
「そうじゃ、弓と矢を置いていってくれ。そう……矢は十本ほどでよい」
「分かり申した。この中で最も強い弓を置いていきます。それと、矢を十五本。いづれも黒金の鏃ゆえ、馬にも効きましょう」
「うむ、礼を申す。それでは王をお守りしてお主らは先へ参れ!」
「はっ、タケ様、先に林まで退き、タケ様のお着きをお待ちしております」
「よしっ、いけ!」
「さて、敵はどう出てくることか……」
「……」
「やはり、二手に分かれおったか……一人はまっすぐ前からこちらに向かうておるが、もう一人は少し広がり、脇から王を追うか……脇にそれた兵が王の元に届くまでには少しく時がかかるであろうゆえ、まずは前の敵を射倒し、その後に脇の兵を倒すこととしようか」
「よく見てみれば敵も弓を持っているが、どうも倭国の弓よりは短いようであるのぅ。馬の上から射るためには小さい方がよいのであろうが、その分、倭国の矢の方が遠くまで届くであろう。兵は弓を遠くまで射るため、常には矢を上に向かって射るもの。おそらく此度の戦でも、兵はみなそのように矢を射ていたことであろうが……」
「されど、上に射た矢が届くには時を要する。その隙に馬は逃げるし、盾で払うこともできよう。じゃが……こちらの矢は敵より遠い。前に向けてそのまま射ても、敵より先に射ることが叶う。また、前から射れば馬が差し障りとなり、盾で矢を払うこともできまい」
「全く、なにゆえもうちと早く気づかなんだか……馬を先に射てしまえばあとはただの兵、数で優るこちらが楽に勝てたであろうに……」
「されど、そのためには鏃が鹿の骨では、あの大きな馬を射倒すにはちと心もとない。剣はともかく、せめて鏃だけは黒金にせねばならぬのぅ……」
「いずれにせよ、それは後のこと。まずはここを支えねばならぬ。そろそろ前の兵に矢が届く頃合であろう」
「ゆっくり矢を引き絞り……そうじゃ、まっすぐこちらよ。そう、この矢は強いぞ。お主なぞが避けられるものでもあるまい。そうよ、そう。今じゃっ!」
「よしっ! 敵の馬が倒れた。これで少しは時が稼げる。その隙にもう一人を」
「うむぅ……、既に敵は矢を射始めておるか……王の守りはいかに?」
「いや、急ぎ矢を射なければ敵は王に近づくばかり。矢を絞って……今じゃっ!」
「ぐぅっ、横合いから矢を射てこれを当てるのは、なかなか苦しいのぅ。しからば続けざまに射続けるしか……矢を射かければ、敵もおちおちと王に向けて矢を射ってばかりもいられない。矢はあと八本……」
「……」
「うっ、残りの矢は三本か……ところで王の守りはどうじゃ?」
「???」
「動きが止まっておる、よもや王の身に何か……とにかく敵を射倒さなければ」
「心を鎮めて、よう狙いを定めて、矢の届く時に馬のおるところに向けて、静かに……」
「よしっ、当たった。前から来ておった兵はどうした……? 馬が倒れたと同じ時に斃れたままのようじゃな。しからば脇の兵を防いだ後、王の元へ掛けようぞ」
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「ヤマト王、ヤマト王はお確かか?」
「ぐふぅっ、タ、タケか……?」
「王、ヤマト王、いかがなされた!」
「いや、大したことはない。ちと敵の矢に当たってしもうたわい」
「お主ら、何をやっておったか!」
「申し訳ございませぬ、タケ様。何とか王を担ぎ参らせ、ともかくもこの林にお連れしたのですが……」
「もうよい、そなたら。タケも……この者どもの、せいではないゆえ、そう責めるな……」
「王の仰せのままに」
「して、矢傷は……」
「タケ様、その……王は背に二本の矢を受けられ、一本は浅かったゆえすぐに抜けたのでありますが、もう一本は腹まで突き抜けておりまして……」
「その一本は折りまして腹と背から抜いたのですが、何しろ血が止まりませぬゆえ……」
「うむ、とにかく布を巻いて強く押さえ参らせよ」
「はっ!」
「うむ、うぅっ、タケ、もうよい。もうよいのじゃ……儂もここまでの、ようじゃのぅ。タケよ、そなたに、頼みがある。聞いてはもらえぬか?」
「……」
「タケ、いやタケ殿、ヒタ殿に、儂が詫びておったと、伝えてくだされ……思えば、此度の戦、ヒタ殿の申すとおり……」
「ヤマト王、臣は主より、必ず王をお守りしてヒタの地までお連れするようにとの命を受けておりますれば、恐れ入りますが、いくら王の命とはいえ、そのような命をお受けすることはでき申しませぬ。どうぞ、ヒタまでお連れ申しますゆえ、お気を確かに」
「うむぅ、よろしく頼むぞ……ぐっぅ」
「みなのもの、まずは盾を四枚並べて木の弦でしばれ。その上に王を寝かせ参らせ、四人で盾ごと王をお運びせよ」
「ここはじきに追い討ちの兵が寄せてくるやもしれぬ。もうちと奥まで入りったところで、今宵の寝床を定めることとする」
「ヤマト王、よろしいですか?」
「うむ、そなたに全て、委ねておる、ゆえ、そなたのよい、ように……」
「それではみな、いくぞ。敵がいつ寄せるか分からぬゆえ、回りへの目配りは忘れるな」