境界線の向こう
屋敷の外に出るのは、久しぶりだった。
扉を押し開けた瞬間、湿った空気が肌にまとわりつく。冷たいはずなのに、どこか生ぬるい。生きている世界の匂いだ。
庭は荒れ放題だった。
かつて丁寧に整えられていた花壇は崩れ、薔薇の蔓は絡まり、棘だけが元気に伸びている。踏みしめた土は柔らかく、足が少し沈んだ。
私はゆっくりと歩いた。
急ぐ必要はないし、誰かに見せるための姿勢もいらない。ただ、外と内、その境目を確かめたかった。
門の手前で、足を止める。
鉄製の門は錆びつき、半分開いたまま固定されていた。その向こうには、霧に沈んだ道が続いている。人の世界へ繋がる道。
そこに、誰かがいた。
三人。
前に来た探索者たちとは違う。武器は構えていないし、松明も低く持っている。警戒はしているが、敵意は薄い。
私は何も言わず、門の内側に立った。
向こうも、踏み込んでこない。
「……やっぱり、いるな」
低い声。
別の男が、喉を鳴らす。
「襲ってこないって話、本当みたいだ」
私は一歩も動かない。
腐った足でも、ここから先へは行かないと、自然に分かっていた。
「ここは私の家よ」
声は静かだった。
震えも、怒りもない。ただ事実を置いただけ。
男たちは顔を見合わせる。
しばらくの沈黙のあと、一人が帽子を取り、軽く頭を下げた。
「……分かった。俺たちは通らない」
「だが、聞いておきたい」
視線が、私の目に向く。
生きていない目。それでも、見返す。
「外に出る気は?」
少し考える。
答えは、もう決まっていた。
「ないわ」
即答だった。
驚くほど、迷いがなかった。
「私は、ここにいる」
それだけで、十分だった。
男は小さく息を吐き、頷いた。
「なら、いい。俺たちは、この屋敷には近づかない」
「噂も、止めておく」
彼らは、門の外へ下がる。
誰も、振り返らなかった。
境界線が、そこで引かれた。
私は門に手を置く。
冷たい鉄。錆が指に付く。生きていた頃なら顔をしかめていただろう感触が、今はただ「そこにある」だけだった。
門を、閉める。
ぎい、と低い音がして、世界が一つ遮断される。
屋敷の中に戻ると、空気が落ち着く。
腐った匂いも、軋む音も、全部が馴染んでいる。
ここが、私の内側。
外は、もう関係ない。
私は階段を上り、窓辺に立った。
霧の向こうで、人影が完全に消えるのを見届ける。
「……さよなら」
誰にも聞こえない声。
それでいい。
ゾンビであることを、隠さなくていい。
お嬢様であることを、捨てなくていい。
その両方を抱えたまま、私はここにいる。




