何年後かの彼ら (ifの世界)
キサラは朝の慌ただしさから脱出し、微睡みに移行しつつあった居住区の中を優雅に歩いていた。ここ数年で元から片鱗があった美しさにさらに磨きがかかり、その姿はもう女神そのもののようである。相変わらず本人にその自覚はないのだが。
艶やかな黒髪を翻してやっと馴染んできた少し高めの女性もののヒールをコツコツ言わせながら、背筋をピンと伸ばして気の強そうな、それでいて気だるそうな相反する瞳で前方を見据えて、目的地に向かっていた。
同じような住宅が密集している。どれをみても同じもののように感じてしまう。あえてそれを選んで彼が住み着いているので非難は出来ないのだが、いつもその中の一軒の前で立ち止まり扉を叩く、そこで迷ってしまう。
改めて通りを見て、目的地がそこで間違いがないことを確かめると、意を決したように扉をノックした。返事はない。しんとしている。
「入るよ」
今回も無事に正解だったようだ。返事を待たずに、鍵もかけられていないその扉をくぐる。まず、最初に入ったときに感じる違和感を飲み込みながらキサラは奥へと進んだ。
「返事、してないんだけど」
「何時もいるからいいかなって。」
「キサラは目立つからあんまり来てほしくないんだけどなぁ」
「相変わらず慣れないね、ここ。いつ来ても誰もいないように感じる。」
個人の物が一切ない殺風景なその部屋。あるのはベッドと机くらいであとは生活感が全くない。
「こんなのでアイリ、生きてられてるの?」
「生きてるでしょ」
「自炊した形跡もないんだが」
「キサラの口から自炊という言葉が出てくるとは思わなかったよ」
アイリは唯一個人が特定できそうな机に向かって何かの用紙を読んでいた。キサラに気がつくと、サッとその用紙を机のはしに置く。仕事のことだろうか。それを視線で追うのだが、アイリは決して見せる気はないらしい。机のなかにしまった。
コーヒーの湯気がゆらりと揺れる。それも、好みが全く特定出来ない真っ白なマグカップだったのだが。
「なにしに来たの?」
「生きてるかなぁって思って」
「たまに手紙送るでしょ」
「あぁ、たった一言生きてますってやつね。」
「………………………だめ?」
「それだけでいいと思ってんの」
「へへへへ」
学生の時より、やや背が伸びた。髪が固くなっている。目付きが鋭くなった、声が低めになっている。何より、纏う雰囲気が変わっている。女装は相変わらずなのだが、今までの少女よりの服装ではなく黒っぽいロングのドレスだ。それが更に雰囲気を近寄りがたいものにしていた。
「最近どうなの?ジャーちゃんは元気?」
話を変えてきた。アイリはそれに対応した表情をとる。
「元気だよ。相変わらず、剣ばっか振ってる。聞かなくても知ってるでしょ」
「キサラの口から聞きたいんだもん」
にやりと笑った顔はあの頃のものだった。それにほっと息をつく。
無邪気で、可愛らしい、私とユーリの家族。
「へへへ、今度昇格するみたいじゃん。すごいね!第四騎士団副団長さんは」
「そーなの、知らない」
「あ、もしかして言っちゃいけないことだったかもーやべー忘れて?」
「いや、今夜聞いてみる」
「や、多分言わない方がいいかもしんないから、言わないであげて」
アイリは立ち上がると、ベッドにキサラを案内した。まともに座る場所のないその部屋では座れるばしょといったらそこしかない。やたらと背中の開いたドレスの首の後ろのリボンを解きながら台所である場所に向かう。その途中、するりとドレスが脱げきって、脱皮あとのようになる。振り替えることなく同じく殺風景な台所に向かっていった。
「ちゃんと脱ぎなよー」
「いーの、置いといて。後で捨てる予定だから」
炎が上がる音がして、彼が小声で魔法を使ったのだと知る。湧き水を汲み貯めた大きな坪から、ポットに水をいれて沸かし始めた。
「ってか、ほんとに何のようなの?」
「家族が用もなく会いに来たらいけないってか」
「そういうわけではないんだけどー」
やや声のボリュームを大きくして、アイリの質問が飛んでくる。それを聞きながら、ベッドから立ち上がり、ゆっくりと机に向かう。先程アイリが意味ありげに隠した用紙を取り出していた。
『神室家の調査事項』
極秘、と書かれたそれ。
内容に目を通す前に、サッとその紙が抜き取られた。
「おイタも相変わらずだねぇ」
「アイリ、それって」
「忘れて?」
「……………………危ないことは、やめな」
「キサラには関係ないよ、忘れて?」
「…………………レオも、心配してる。」
笑った表情のまま、彼はピタリと止まった。そしてゆっくりとした動きで紙を破り始める。その音が閑静な居住区に、誰も住んでいないこの部屋に響いた。キサラは、背筋がぞっとする。
細切れの紙吹雪が、視界を覆った。アイリが視界から消えたと思ったら、突き飛ばされた。
ベッドに向かって、飛ばされたのだと気がついたのは、クッションに身体が跳ねたから。痛くはなかった。だが、そのあとにきた、肩への圧迫の方が痛かった。視界いっぱいに、アイリの顔が映る。いつの間に、こんなに雄臭い顔になったのだろうか。ドレスを脱ぎさって、ほぼ裸の細身の肢体をさらす。女装をするためだろう男のそれより少し柔らかめの白いその身体は、しかしイヤに色気に満ちていた。中性的なその顔は、女装をするには男臭く、男になるには女臭い。いつの間にこんな顔をするようになったのだろうか。
「痛い、」
「あ、ごめんね」
緩めることはない。むしろ、さらにぐっと押さえ込まれて、身動きがとれなくなる。
「忘れてくれないならさ、このまま、僕とイイコトする?なんも覚えてないくらいトばせようか?」
「……………………」
「拒否してくれないと、僕本気だよ?」
アイリは汲み強いたキサラを眺める。白いシーツに広がった黒い髪や、押さえつけられたからだろうか、しかめられたその顔がまたそそる。ジャスラもほんとこの天然女をモノにできたもんだと感心する。
「初恋のひとりだからねぇ、願ったりかなったりだよ」
静かな午後。女装を解けば明らかに男だと分かる人に汲みしかれる女。流れる緊張感なんて何処へやら、遠くで子供が笑う声が微かに聞こえてきた。
「へぇ、私らが初恋だったんだ、知らなかった」
「気づいてくんなかったもん」
「ま、なんにせよ、アイリなら別にいいけど」
視線を反らさずに、まっすぐにその顔を見つめて言ってやる。黙って笑ったままのアイリの顔からは次の行動は読めなかった。
「…………………………」
落ちてきた唇に、身を竦ませる。それは、頬にキスを落として去っていった。
「強がりだなぁ、しないよ」
圧迫の解けた身体を起こしてみる。ぎしりと身体が痛い。アイリは脱皮したドレスを片手にキサラにコーヒーを渡した。
「痛いんだけど」
「キサラがわるいんでしょー。飲んだらかえってねー」
ゴミ箱にドレスを突っ込み、さらに床の紙を拾い集める。
「ユーリは元気なの?」
細い指で、一枚一枚。服を着なよ、と声をかけたが、面倒だからと言われた。
「元気だよー。っても、この前、日にちのたったプリンを勿体無いからって食べて、お腹壊してたけどね。」
「ばかなの?」
「否定はしない。ってか、会いに来なよ。ユーリとか、れ…………たち寂しがってたよ」
ぴくりとアイリの眉が動いて、そこでレオの名前を出しかけて踏みとどまる。
一体二人の間に何があったのか知らないが、逆鱗に触れることは先程の態度からも分かっていた。只のケンカやそんな軽いものではないことは流石の彼女でもわかる。学生の時はあんなにべったりだったのに。今はもう何年も会っていない。レオもアイリの様子は聞いてくるのだが、決して会おうとはしないのだ。ただ、静かに俺じゃダメなんだよ、と呟くのだ。
「無理。………………他になんか変わったことはない?」
「あぁ、その事なんだけどね」
コーヒーは苦い。でも最近飲めるようになった。
「ラディオから連絡があったんだって」
ぴたりと紙を拾う動作が途切れた。
「誰からって?」
「ラディオから。ユーリに。」
「……………………なんて?」
「会いたいって。郊外の教会に滞在中だからって。皆で行こうって思ってるんだけど、行こう。」
ゆらりと立ち上がり、アイリが拾い集めた紙をゴミ箱に捨てる。そのまま振り返り、キサラに無表情に告げた。
「行かないで。」
「だって、ラディオだよ?会いたいって。卒業式にも出なかったアイツが何年かぶりに連絡とってきたんだ。会わなくちゃなーって。」
「頼むから!」
声を荒げて、アイリが叫ぶように言った。
「絶対、それ、行かないで。」
蒼白になったその顔に、頷くしかなかった。
「あ、………………わかった、」
「分かってくれた?よかった。」
蒼い表情のままだったが、アイリはふわりと笑った。
「今度、そっちいこうかなぁ」
部屋の隅っこにあった四角い箱から服を引き釣り出して、もぞもぞと頭から被る。
「さっきは無理って言ったじゃん」
「気が変わったのー。久しぶりにジャーちゃんとユーリを苛めたくなったの!」
「んじゃ、伝えとくよ」
「ん。そうして」
アイリの態度の変わりように疑問をコーヒーと共に飲み下す。湯気だけがゆらりとその場に漂う。
キサラが帰ったあと、アイリは手紙を書くために、また机に向かった。
『神に動きあり』
それだけ書かれたそれを胸に抱え、人気のない、自分さえいない部屋を振り替える。夕刻の闇に、明かりのない部屋は暗かった。
そっとその、闇に声をかけた。
「ツィツィーリア?これ、届けてくれる?」
ひっそりと立ち上がった影にそれを渡す。
「……………………なによー、あんたも危ないことはやめろっていうの?これはそんなに危なくないよ?ウラル先輩に届けてほしいだけだから。ほんとにヤバイ手紙、アンタニ届けさせるわけがないでしょ」
闇は口を開かないままに、闇は気遣う気配を見せる。
「大丈夫大丈夫!さ、それ運んできてちゃんとラブレターも仕込んであるからって言ってね?」
ツィツィーリアを見送り、アイリが息をついたのは、すっかり部屋のなかが真っ暗になってからだった。
「大丈夫だよ。きっと、なんもかんも上手くいって………また元通りになるから。」
その声は、ただ、暗い部屋のなかに消え去っていった。




