到着
「うわー、まだまだいる。すっごいね……これ」
チェシャは馬車に大量に張り付いた百足らしき生き物を引き剥がす。何かの粘液でネバネバとしているそれらは重なって張り付いているため、ベリバンとルージュも含めて三人がかりでも進捗は半分届かずという具合。
あれから暫くして洞窟を通り抜け、ロクショウ村手前の平原に到達したチェシャ達の乗る馬車。
ベリバン達の指示に従って、気力を削られた乗客が馬車を降りて見た光景が、この百足地獄だった。
乗客はチェシャを除き、わっと沸いた。
精神的に疲れている彼らは木を背もたれに休憩中。
比較的に元気なチェシャはベリバン達の百足はがしを手伝っている。ベリバンはチェシャに何度も頭を下げていた。
「本当に助かります」
流石のチェシャも不気味な液体に直に触るのは避けたかったので、ロープとセットで使っている軍手を着けている。仕事柄、毎度この作業をやっているらしい彼等は見慣れぬ素材の軍手を使っている。
不気味な液体を弾いている事からしても質が良さそうだ。
「だから、気にしなくても大丈夫です」
これで何度目の感謝かは分からなかったが、少し面倒になってきたチェシャはぶっきらぼうに言う。
「アンタ、流石にしつこいよ。逆に迷惑かけてるだろ?」
「でもさ……」
「手伝ってくれてるんだから、お礼を言った。これでおしまいで良いじゃないか。シャキッとしなっ」
そんなベリバンも仕事はキッチリこなしていて、備品の差もあるが、チェシャが百足を一匹剥がす間に、三匹は剥がしている。
流石だなと感心している内に張り付いていた百足軍団も終わりが見えてきた。
「これ、タイヤは動くの?」
チェシャは引き剥がした百足を後ろの百足の死骸の山へと放り投げようとして剥がれないそれを手をブンブンと振るって落とす。粘液の鬱陶しさがよく現れていた。
「いーや、あんまりだね。だから、すぐ近くの村……イスサ村って言うんだけど、そこで洗い流すのさ」
「赤字にならないの?」
馬車を一度に洗浄できるかと言われると出来なくはないが木が傷んだり、あまり良いことはない。車内には粘液が入っていないとはいえ、車外はひどい有り様だった。
「問題ないさ、それに、馬車は乗り換えるからね」
「……?」
「僕達はタリナ村とイスサ村にそれぞれ馬車を余分に置いてあるんです。この洞窟を通り抜けた後、僕らはそれに乗り換えて、乗ってきた馬車を村の人にお金を払って洗ってもらってます」
「ってことは三つも?」
ベリバン達がやっている事を成立させるには、最低でも三つの馬車が必要である。
「えぇ。五百ゼルもあれば子供達が駄賃として受け取ってくれますからね」
「へぇ~、すご」
素直にチェシャは感心した。とてもではないが彼には思い付かないし、わざわざあの百足の蔓延る洞窟を通りたいとも思わないかった。
「でも、説明した方が良かったんじゃない?」
関心はしても、心身ともにくたくたになって座り込むチェシャ以外の客を見ては感心だけでは済まなかった。
「知ってると一度目は乗らない方が居ましたので……。でも、これを経験しても乗ってくれる方は居ますから。ははは……」
「はは、そっか」
否定も肯定もし難い答えにチェシャは愛想笑いを浮かべるのみだった。
「チェシャみたいになんとも思わないやつも居るからね。そういう客がアタシらの狙いってわけ。元より人をたくさん運ぶんじゃなくて、少量を早く届ける事だからね」
ルージュの擁護。割と説得力のある、というより事実の一言。
そんな会話をしている内に百足を剥がし終わり、馬車が再運転。アリスが粘液で塗れた馬車に嫌々乗り込むのがチェシャには印象的であった。
*
イスサ村で馬車を乗り換え、心機一転綺麗になった馬車は起伏のある道を進む。そろそろチェシャが見覚えのある景色が見えてくる頃。
「あ」
「どうしたの?」
「あの矢倉みたいなの、分かる?」
突然声を上げたチェシャにアリスが尋ねると、彼は遠くに見える木製の見張り台らしきものを指さした。
「うーん、それっぽいのは」
距離的にはまだまだ遠い。アリスの視界に確かにそれらしきものは見えたが、確証には至らない。
「あれが村の物見矢倉」
「何の為にあるの?」
元より、その矢倉のある村は現在馬車が登っては下る坂道の頂点辺り。あれがなくとも周りは見渡せそうだった。
「積雪の月に冬眠しにやってくる熊を見つけるんだ」
「熊には自分の巣があるんじゃないの?」
「だから、餌になる果物を先に取っておくんだ。豊穣の月の内に集めて、積雪の月に餌を集めに来た熊とか、巣を作りに来た熊を狩るってわけ」
「へぇ。……なんだか可哀想ね」
「積雪の月だから仕方ないよ。それに、熊だって必死に抵抗するから死人だって出る」
「大変、なんだね」
妙に実感のこもったチェシャの言葉にアリスは彼もまたその村の一員である事を思い出した。
なんだか彼を遠くに行ってしまったような錯覚にぼんやりとしていると、村もハッキリと見えてきた。
「……お二人とはとはそろそろお別れですね」
ユリアがポツリと言った。彼女の膝下に座っているアルフはそれを悟っていたのか先程からだんまりとしている。
「これ、あげる」
チェシャはアルフに屈んで近寄り、手の中の物をアルフの手に乗せた。彼の小さな手に余るそれは閃光玉だった。
「これなぁに?」
「魔法の玉だよ」
「まほうっ!?」
魔法、男の子にとって憧れの産物で、アルフの顔を輝かせた。
「叩きつけるとピカッて光るんだ」
「すごいっ!」
子供だましに近いので少し罪悪感を抱いたチェシャがほんのり眉を寄せる。
「もしもの時はこれでおかあさんを守るんだよ?」
「うんっ!」
「じゃあ、やくそく」
「やくそくっ!!」
「よしっ。じゃあ……ありがとうございました」
アルフとがっしりと握手を交わしたチェシャは膝を叩いて立ち上がり、会釈をして馬車を出る。アリスもそれに続いた。
「またあったら宜しく頼むよ。君達に追いつけるように頑張るからさ」
マークスからの言葉に二人はニッと口角を上げる。返事は無かったが、それで十分だった。
「また乗りなよ~!」
何も無かったかのように再度進み始める馬車からルージュが乗り出して手を振ってくる。二人は手を振り返す事でそれに応えた。
彼女の自慢の馬が引く馬車はあっという間に二人から遠く離れてしまう。
行き道を共にしただけの人達。帰りを共にする人もいるだろうが、少ない日だけを共にする人たち。
それでも少しだけ寂しく感じた。
「行っちゃったね」
「だね……」
チェシャは相槌を打ってから懐かしい村に目を向ける。たった一年。短いようで長いような。そんな時間だった。
懐郷か、後悔か、後ろめたさか、判別のつかない感情が彼の中で浮き上がっては沈んでいく。
「ほらっ、行くよ!」
バシンッ! とアリスに背中を叩かれてチェシャは我に帰る。
竦んでいた足を動かしてくれたことに感謝しながら半歩を行くアリスに並んで歩き始めた。