収穫祭・1
朝の冷えた空気が立ち込めるセントラルの広場。
その中央に立つ壮年の男性が指揮棒を構える。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュン!
指揮棒が風を切り、小さな音を刻む。
その男性の前には大通りの広場に広がるオーケストラ。
ダンッ!──ダンッ!──ダッダッダダンッ!
目覚まし代わりの太鼓の音。朝の冷える空気に重低音を轟かせる。
本来なら戦争で指示に使われるその大太鼓の音は、祭りの始まりを告げるファンファーレ。
パッ~、パラッラッラッ、パ~!
低音を刻み始める太鼓に付随するのは高らかなラッパの音。続いてフルートが、クラリネットが、トロンボーンが、様々な楽器が音を奏でる。
響き渡る音に呼応し、街中の家の扉が開いて、人々が飛び出していく。池に落ちた雫の様に、オーケストラの演奏は波紋を作る。
わぁわぁ、と歓声をあげてあちこちに散ってゆく人々をぶつからないように統制する騎士達。
店を出すものたちも大声で宣伝を始めた。
街は一瞬で賑わいを見せ、波紋のように広がっていった。
収穫祭が、始まったのだ。
*
「じゃあ、行ってきまーすっ!」
「いってらっしゃい」
元気に飛び出して行くアリスを送り出したチェシャ。手を振りながら去って行く彼女の足取りは非常に軽い。
「どうしようかな……」
具体的な道順は決まっていなかった。
とりあえず、目当ての魚介料理が食べられれば彼の目的は為されたと言っても過言ではない。
「とりあえず、行こう」
せっかくのお祭り。右往左往していても仕方がないと、物騒なものが取り除かれたウエストポーチを身につけて、家を出た。
大通りに近づくにつれ、賑やかな声が大きくなってくる。
「外れにもあるんだ」
チェシャは意外そうに呟いた。
路地よりは広い横道には、カーペットを敷いて仕切られた露店が並んでいる。
「兄ちゃん兄ちゃんっ! 健康祈願の腕輪はどうだい?」
朗らかに売り込んでくる露天商。
チェシャはチラリと視線は向けたが、すぐに興味を無くした。彼は神頼みは好きではなかった。
──運に左右される運命より、自分で選ぶ運命がの方が素敵だ。
彼の持論。というよりは彼の憧景に影響された思考回路。
立ち並ぶ露店にチェシャの興味を惹くものはなく、スタスタと早足に歩いて大通りに出た。
喧騒。
響く楽団の音色。
所狭しと並ぶ店と人。
あちこちの建物が花や小物で彩られ、飾られている。
「──」
言葉を失う。
彼の故郷では絶対に見られないほどの人の密集。
目に見える範囲の建物に行くだけでも面倒だろう。
それでも、視界に映る人々の喜怒哀楽のうち怒と哀が消え失せた感情の面は彼の後ろ向きの感情を吹き飛ばす。
自然とチェシャの足取りは進みは遅くとも軽くなる。
手始めに彼は鹿肉のステーキを食べようと、人の波を潜り始めた。
人の波は無秩序ではなく、等間隔に立っている都市の騎士達が整理していて、中央を境に右と左では波の進む向きが違っていた。
チェシャはコンパクトに折り畳み、知りたい部分だけを写した地図を見ながら人の波に加わる。
「鹿かぁ。久しぶりだなぁ」
チェシャにとって、鹿とは少なからぬ因縁のある動物だ。とはいえ、食べると慣れば普通に美味な食材であり、どれだけ美味しいのかと期待を膨らませながら少しずつ目的の店に近づいて行く。
「うわ」
店にはついた。
けれど、その前には短くはない列が。考えることは皆同じ、というやつなのだろう。
「しかたない」
最後尾と記された看板を掲げる売り子の元へ行き、後ろに並ぶ。身長を生かしてどのくらいの人が並んでいるかを見渡す。背伸びをすれば周りの頭を飛び出せるので、最前列までよく見えた。
「あのー?」
下から声をかけられ、背伸びをやめて視線を落とす。
そこにはチェシャがよく世話になる少女職員、アルマ。その私服姿。
ロングスカートの白いワンピース。
アクセントに黒いベルトを巻き、時間によって冷えるのを防ぐ為か薄手の上着が肩にかかっている。
髪はいつもは上で括ってまとめてあるものが下されていて、非常に清楚な姿だった。
「あのー、今なんに──チェシャさん?」
「……?」
チェシャは彼女の制服姿しか知らず、髪型も違うアルマが目の前の少女と同一人物だとはすぐに思い至らなかった。
とはいえ、彼の知人かつ自身をさん付けで呼ぶ人というのは限られている。
「あっ、アルマ?」
彼女は黒髪をふわりと舞わせて頷いた。
「はいっ! チェシャさんもこの店を?」
「ん。美味しそうだったし」
「そうなんですね。組合の同僚は皆さん違うところに行ってしまって……」
一人になってしまったとぼやいた。
「みんなはどこに?」
「えーと、なんでしたっけ……」
肘にちょこんとかけられた小さな鞄から、綺麗に折り畳まれた地図が現れる。
「クリームたっぷりのフルーツタルト……だったと思います」
クリーム、フルーツ、タルト。
どこかで聞いたことが、とチェシャが過去を漁る。
思い出したのはアリスが地図に入念に印付けていたこと。
「あぁ。あれか、仲間も食べに行ってると思う」
「やっぱり人気なんですね」
「アルマは食べないの?」
「私はあまり甘いものが好きじゃなくて……」
アルマの返しにチェシャは内心驚く。
彼には、女性は甘いものが好きという固定観念があった。
「代わりに、こういうガッツリとしたもの、好きなんですよっ」
店内から漂う、香ばしい肉の匂いが二人の鼻をくすぐった。客寄せの為か、キッチンの一部は外からでも見える仕組みで、ジューッと焼かれる肉の音が彼らのお腹を鳴らした。
キュ~と可愛らしい音。
グゥーッと低く震える音。
「えへへっ」
「ふははっ」
二人は顔を見合わせて笑う。
列が少し進み、それに合わせて詰めた。
「チェシャさんはここ以外に何か行きたい所はあるのですか?」
彼女の質問にチェシャは少しシワのついた地図を取り出し、黒い円で印付けられた場所を指さした。
「ここ。魚を料理してるんだって」
「魚……。珍しいですね」
「食べた事は?」
「ありますよ。実家はサースラルですから。カラフルなお魚が沢山いましたよ」
「カラフル……美味しいの?」
カラフルな魚を想像し、それがとても食用に見えなかったチェシャが不安げに尋ねる。
「種類に寄りますね……。赤身か白身かでいえば赤身です」
「赤身……。苦手だなぁ」
彼は赤身は味が濃厚で嫌いではないが、数を出されると困るので、苦手な分類に分けていた。
「赤身は生のものにタレをかけると美味しいですよ」
「ほんと?」
基本的に魚には火を通すのが当たり前なチェシャに小さなカルチャーショックを与えた。
「ほんとですっ」
しかし、勤勉で物知りな知人が自信有りと太鼓判を押すのだ。想像してみても悪くはない色合いではある。
──食わず嫌いはダメか。
「じゃあ、食べてみたいな。ここにあるの?」
声に期待の色を乗せて問う。
彼の脳内には先程から漂う匂いで構築された鹿肉のステーキが六割、残り四割が新鮮な赤身魚にタレをかけられた期待の代物。
「いえ、残念ながら」
かぶりを振りながら下された答えは彼の肩をガクリと落とした。
*
高級感漂うレストラン。
その中のある机に対面で腰掛けている白衣姿の男性と、所々が動きやすいように裾を上げられたローブ姿の女性がいた。
「んん~っ!」
顔一杯に幸せを広げて、頬を押さえる女性ことカナン。その動作で眼鏡が僅かにずれ落ちる。
「そこまでか?」
ボイドは丁寧な所作でナイフを使い切り分けた生ハムを、フォークで口にいれた。
咀嚼。
塩漬けにされた肉の風味と非常に柔らかい食感。
ボイドは目を見張り、口を動かす速度を上げる。
溶けるように柔らかいそれは瞬く間に消えていった。
「……確かに、美味いな」
ポツリとそれだけ言うと、切り分けられたもう一つの生ハムを口にした。
今度はゆっくりと味わいながら肉の風味を楽しむ。
「これ、プロシュートと呼ぶのですよ」
少しずれ落ちた眼鏡を戻す。
「ん? 生ハムではないのか?」
知的好奇心が働いたのか、右手がナイフから離れ、横のカゴに入れられた鞄に手を突っ込む。
「流石に今はやめましょう?」
ボイドの性格をよく知るカナンはその行為がメモ帳を取り出すものと気付き、やんわりと非難する。
「……すまん」
右手をナイフへ戻し、次の生ハム、もとい、プロシュートを食べにかかる。
「話を戻しますよ。生ハムの作り方はご存知ですか?」
「塩漬け、だったか?」
「ええ、そうです。塩漬けするのは基本ですが、工程が少し違います」
「ふむ」
二人は前菜だったそれを時間をかけずに食べ終え、カシスオレンジを一口含み、喉を潤した。
「プロシュートは長い時間をかけて塩漬けし、乾燥、熟成によって出来たものです」
上品な正装を身に纏った給仕が小皿を二つ。その上に持っていた籠の中のパンを一つずつ載せる。
そして、空になった皿を回収して去って行く。
「ほお」
メモ帳がない為、一字一句聞きのがさないよう姿勢を整えて聞きいる。食に対してではないのはともかく、その姿勢は話し手としても嬉しいもので、カナンは機嫌を良くして話を続ける。
「プロシュートが生ハムの仲間なのか、その逆なのかは私は知りませんが、プロシュートの場合、肉の風味をより味わえるそうです」
「だからこそ、この味か」
先程味わった食感と味を反芻し、記憶に埋める。
彼の頭の中の本棚は雑多ながらも沢山の知識が収められているだろう。
「お値段分の価値はありますからご心配なく」
カナンはニヤリと笑う。
このレストランは食券が使えない、と言うよりは高すぎて食券がかさばるほど出さないといけないので現金で支払ったほうがいい店。
そんな店が祭りで乱立されては都市側も困るので、店の立て看板には、審査を通って現金での支払いを認められたことを示す印が付けられている。
「五万ゼルは流石にと思ったが……」
「騎士の方や組合職員の給金の半分と同じですからね。私達に視線が集まるのも自然ですよ」
対面で会話する彼らは神の試練の最前線を行く探索者。給金は命をチップにハイリスクハイリターンに勝ち続けたが故の高さ。
そうでなければ、やんごとなき身分と分かる服装に伴った所作で食事をする人達の中には居られない。
服装からしてこの場に似合わぬ二人は、その周囲の人々から視線を集めていた。
「視線は、苦手だ」
ボイドが視線から逃げようと顔を逸らす。
窓側に位置する彼らが、窓の方を向けば視界に周りの視線は映らない。
「何を言ってるんです? 古代技術の論文を発表していたんでしょう?」
カナンは呆れる。
論文の発表となれば、今以上の人、学者や研究者に囲まれ、今以上に鋭い視線で取り囲まれるはずなのだ。
「それとこれとは別だ。奇異なものに対する視線は慣れていない」
──彼らしい。
心底嫌そうに言うボイドにカナンはクスクスと笑う。
「な──」
「オニオンスープの揚げ芋添えです」
コトリと皿が並べられ、給仕を目の前にボイドは笑うカナンに追及する事はできず、わなわなと震えた。
給仕は皿を置くと、一礼して去って行く。
ようやく去ったとボイドが口を開こうとした瞬間。
「冷めないうちに早く食べましょう?」
先手を取られた。
しかし、彼女が言っていることは間違いではない。
「……」
ボイドは小さなため息を吐き、スプーンを手に取った。




