豊穣の祭
「昨日の朝の騒ぎはそれだったのか。」
ボイドが眠たげな目を擦りながらそう言った。
昼前のバー・アリエルに人は滅多にいない。
元よりバー。サイモン曰く、夜ならば多少の人は居るらしいが、チェシャ達は夜にはそれぞれの寝床に帰るのでそれを確かめることは出来ないし、しようともしない。
「そう。でもまあ、こいつが手に入ったからプラスマイナイスゼロかな。」
壁に立てかけてある斧槍をさすった。
重厚感のある刃は天井の照明からの光を鈍く反射している。
「んで? 第五試練、いくのか?」
ソリッドがミルクのグラスに刺さったストローをチューチューと吸いながら言う。
「何を言っている。まだ次の転移装置が見つかってないだろう。」
「あ、そっか。」
「その辺りももう一度コルさんに聞いてみなきゃね。」
彼らはヤヴンをなんとか討ち取り、そのまま帰ってきただけ。しかも大迷宮一直線だったため、それ以外には何も調べていない。
「グングニルは、行く?」
アリスは一人離れた机で銃をバラして手入れをしている。最初はチェシャも彼女の作業を興味深そうに見ていたが、ふと動かした手が部品に当たり、机の一角をぶちまけた。
そんなわけで、今度シェリーが試作する氷菓子代を全額支払うことになったチェシャはアリスと最も離れた椅子に座っていた。
「正直、誰かさんが昨日で疲れを回復する予定をぶち壊しにしてくれたからな……。少し後回しにしたい。」
「うっ……。」
八百万はボイド達が取っている宿の近くにあった。
自業自得ではあるが、踏んだり蹴ったりなチェシャは縮こまって影を薄くすることに注力する。
「あれ、すごかったよなぁ。周りの人らもみんな飛び起きてたぜ。」
「当たり前よ。あたしは起きてたけど、あんな音は想像ならないもの。どこかの荷車が転倒した音でもなかったしね。」
「まあ、そんなわけだ。少しゆっくりしたい。ちょうどおあつらえ向けの祭りもある。」
「収穫祭だよなっ! 宿のおっちゃんが食券くれたぜ、オレは肉くいてぇ!」
ソリッドが机をバンッと叩いて立ち上がり、力説する。
あまり雑誌や新聞の類を読まない彼も、収穫祭にの出店予定の店の一覧表を握りしめている。
「それ、何処にあったの?」
話題が切り替わり、チェシャが復活。
「さあ? ボイドがくれた。」
「新聞に付いていた。チェシャ君も新聞は取っていたよな?」
「え、取ってるけど見たことないよ?……いつのやつ?」
「いつも何も昨日のやつだ。」
「昨日はちょうど武器と防具を買いに行ってたんだ。」
「じゃあ帰ってから確認してくれ。」
「ん。ソリッド、ちょっと見せて。」
「いいぜ。」
ポケットにでも押し込められていたのだろうか、クシャクシャ気味なそれを広げる。
表面にセントラルの地図。
収穫祭の出店の範囲のみなので都市全域ではない。
その拡大された地図には番号が振られていて、裏には番号に対応した店の名前と短い説明文。
それらにはぐるぐると丸された印と、簡潔なチェック印、丁寧な丸印がそれぞれ羽根ペンで描かれている。
ぐるぐると強く記されている店は肉類が多く、チェック印のものは主に珍味の素材を使ったもの。丸印には甘味処が多かった。
「これ行きたいっ!」
銃の手入れを止めてチェシャの後ろから一覧表を覗くアリスは丸印された店を指差した。
説明文には“様々な果実をふんだんに乗せ、生クリームもたっぷりなフルーツタルトですっ!”と。
「だと思った。」
丁寧に記されている丸印もやや濃い。
「そっちは帰ってからまた見てくれ、仕事の話だ。」
ボイドの声。チェシャは地図をソリッドに返した。
「……防具の新調のせいもあって金が心許ない。」
「嘘おっしゃいよあなた、所に腐るほどあるじゃない。」
「あっちまで戻るのは面倒なんだ。それに腐るほどはない。」
裏を返せばそこそこはあると言うこと。
「……前から気になってたけど、ボイドって何をしている人なの?」
銃の手入れを終え、部品を元へと戻したアリスが尋ねた。
「ノースラルの研究所の下っ端だ。」
「え、所長じゃなかったのか?」
ソリッドの声にボイドが彼に鬱陶しげな目線を向けた。
所長。つまるところ一つの支部を預かる身であり、かなり上位の身なのだ。
「ボイドって偉かったんだ。」
へぇ〜とアリスが意外そうな表情で言う。
反対側にいるチェシャは所長の位の位置を分かっていないようで、頭に疑問符を浮かべてる。
ソリッドも知識としては“なんか偉い”ことしか知らない。
「それも議題じゃない。とりあえず、比較的安全にお金を稼ぎたい。ついでにここの依頼もこの時期なら良いのがある。」
いつもは余白の多い掲示板も、今は所狭しと紙が張り出されている。便利屋として名が少し売れているのも原因だ。
「うちはこじんまりとした事をやりたかったんだがなぁ。」
お冷を継ぎ足しに来たサイモンがトレイ片手にぼやく。
「前からそんな量じゃなかっただろ。」
チェシャが初めて訪れた時の掲示板は紙が片手で数えられる程度しかなかった。しかし、第二試練攻略の最中には両手で数え切れないほどになり、今では掲示板の半分が常に埋まっている。
「商人っつうのはみんな目敏いんだよ。……全く、いつからうちは便利屋になっちまったんだ。」
はぁ、とため息をつきながら去っていくサイモン。
けれど、常連であるチェシャ達は毎日依頼が増えるにも関わらず、その量が減らない事。面倒な専門道具がいる依頼では、受けた瞬間カウンターからその道具を貸し出される事を知っている。
前よりもカウンター下に仕舞われていた食器類が、カウンター裏の壁に新しく増えた食器棚の中に充実している事も。
「変なの。」
「言ってやるな、中年男性というものは皆素直ではないんだ。」
不思議そうなアリスに、ボイドは苦笑しながら言う。
「お前らぁー!! 聞こえてんぞー!!」
その声に皆がどっと笑った。
*
第四試練、極彩色の森。
「加工し易い木ってどんな?」
再び見晴らしのいい丘を背にチェシャが問うた。
「集成材に使うと言っていたから……あまり大きすぎなければいいんじゃないか? 私も建築については知らん。」
「集成材?」
アリスが最初の言葉を拾う。
「継ぎ接ぎの木材だ。腐食や劣化は早いが、二日間使うだけなら大きさは自由だからやり易いんだろう。」
「へぇ、じゃあ別にどんな木でもよくないかしら? くっ付けるだけでしょう?」
「物好きなんだろうよ。わざわざ何が採れるか把握できていない第四試練の木を希望するぐらいだからな。」
「とりあえず、硬かったら良いんじゃない?」
「今朝調べたが、針葉樹の方が良いらしい。……当てはそのくらいだな。」
ボイドが持ってきた斧をチェシャとソリッドが担ぎ、木材探し。ボイドは地図をアリスに預けて分厚い図鑑を取り出した。
焦りが無くなった少し緩い時間。
勿論、迷宮生物が居ないわけではないが、早くしなければならないというプレッシャーが無くなり、彼らに心の余裕を作り出している。
「風、気持ちいいね。」
背中の髪を揺らしながらアリスがふわりと微笑む。
風に乗って運ばれる森の匂いが、彼らの鼻をくすぐる。
防具を付けていると蒸れてとても暑い。
お昼時の日差しが強くなる頃、その日差しを心地が良い程度に抑える木々の傘と、木陰を通って冷やされた清涼な風はまさしく癒しの風。
特に、重装備なクオリアにとっては気持ち良さそうに目を細めている。
そんな涼しげな女性陣とは対照的に、斧を担ぎ我先にへとボイドが指示した木へと駆け寄り、気迫と共に斧を叩きつけている男性陣。
ザンッ。 ザンッ。 ザッ、ドシーンッ!
「おい、お前ら!何も考えずに切るんじゃない! あと、切ったやつを放置するなっ!……はぁ、聞いてないな。」
辺り一体を更地にせんとばかりの気合いで斧を振るう二人。彼らの進んだ後には倒れた木々が。
転移装置周りの木々はそれほど大きくはなく、迷宮外で見かける一般的なサイズ。
それゆえに、人間よりは力の強い彼らにとって楽な作業だった。
「ヤヴンさん、強かったもんね……。」
アリスがポツリと呟く、あの時は必死だったが、今になって、知人が敵として現れたことを改めて思い出した。
そして、その脅威の強さは五人の糧となり、確かな人外への一歩でもあった。
「こうして見てると、なんだかあたし達、遠くまで来たみたいよね。」
転移装置でセントラルに戻れるが、その転移装置によって何処まで遠くに来ているかは分からない。
神の試練が見せるのは試練ごとに異なる、不思議で神秘的な世界。
命を容易く奪いかねない試練を乗り越えた者にはそれ相応の力が還元される。
力の振るい方として、今のチェシャとソリッドがやっていることはどうなのだろうかと、クオリアは疑問を抱きつつ、見た目は同じでも出来ることが変わっていくことに変化を感じていた。
「おーい! アイツらが倒した木を切り分けるのを手伝ってくれぇー!」
ボイドがノコギリ片手に叫ぶのが聞こえた。
非常に情けない声だが、もやしのような彼でもノコギリで小さくはない木を切れるのかとまたも同じ考えに至る。
「クオリアー、行かないの?」
「おっとごめんね、さっ、行きましょうかっ。」
クオリアはすくっと立ち上がり、アリスと一緒にボイドの元へと駆け寄っていった。