躍動する血塗れの獣
ボイドは目の前の出来事に瞠目し、繰り広げられる槍と槍の高速戦闘に戦慄し、魅入っていた。
黒騎士と槍を交えるのは先程倒された少年。
クオリアが防御に徹しても耐えきれなかった攻撃を裁きながら反撃すら仕掛けるほどの槍捌き。
槍と槍が鳴らし合う金属音が一数秒で幾度も鳴り響く。
彼があの時負った怪我はこんな戦闘を行えるほど浅くはない筈。
何故。
彼のその疑問をさらに膨れあげさせるのは少年の表情。
まるでプレゼントを貰ったかのように純粋無垢に笑うその姿。
年頃の少年ならきっと楽しく遊んでいれば同じように笑う筈。
けれど、この場は命のかかった戦場。
そんな笑顔を浮かべているのに、皮の軽鎧の留め具は外れて抜け落ちていて、膝当てなどの最低限の防具のみを纏い、血に染まったインナー姿で戦っている。
狂戦士。
彼の頭に今のチェシャを指し示す丁度いい単語がよぎった。
痛みに恐れも知らず、寧ろ喜びにさえ変換する。
戦う事こそ生き甲斐と闘争本能を爆発させている。
死戦を潜り抜けることこそ快感と、チェシャは防いだ方が堅実策な黒騎士の攻撃をすれすれで避けてお返しに槍を一閃。
先程までは命中しても硬い鎧に阻まれていたその一撃は芯を当てると黒騎士をよろめかす程にまで変わっていた。
彼の槍をよく見ると黒く淡い光が纏わりついている。
黒騎士の持つ槍とどこか似ている。
そんな幻視を振り切るように頭を横に振ってまた戦いに魅入る。
押している。
槍が打ち合えば打ち合うほど黒騎士は気圧されるように後ろへと後退していく。
チェシャはまさに獅子奮迅の如く、一人で、今までの強敵よりも小さくとも遥かに大きい力を秘めた黒騎士相手に渡り合う。
黒騎士の愚直ながらも単純に速く重い攻撃とは異なり、まるで狩りをする獣の様に黒騎士の周囲を動き回りながら高速で突き刺し、傷を負わせていく。
時には黒騎士を飛び越えて兜に向かって思い切り槍の柄を当てさえもする。
黒騎士は完全に翻弄されていた。
彼は何処か戦闘に慣れている。
そう思っていたが、そんな予想は遥かに飛び越えていた。
気配の察知に長けている。
皆がそう知っているから彼はよく先頭に立つ。
当たり前のように先頭で不意打ちを防いだりと活躍していたが、よくよく考えればおかしいのだ。
──歳の割に能力がやけに高い。
本当は第一試練の時に疑問に思うべきだった。
彼は皆が恐れを抱き、思わず動けなくなるほどの威圧を放つ獣王に当たり前のように動いていた。
あの時は今のように動いてはいなかったため実際のところ彼がどう思っていたかはボイドにはわからない。
ともかく高すぎるポテンシャルの源は今現在繰り広げられている戦闘で暴れ回っている。
パーティの一員として、このままうかうかとしている訳にはいかない。ましてや年下だ。
才能云々など言い訳に過ぎない。
ボイドはこの戦いを見ていたい自分を押さえつけて思考の海に潜る。
「さて……」
あのままいけば勝てるかもしれないが、可能性があるではダメなのだ。
確実に勝てる。
どこまでそれに近づけるかを支えるのが自分の仕事だと自負している。
ボイドは視界に入ったアリスは今まで見たことのないチェシャの姿に驚きこそすれ、戦慄も恐れもなかった。
きっと彼女は彼を信頼しているのだろう。ボイドやクオリアよりも早く立ち直り、銃を構えて機を窺っている。
あの姿を見てボイドもただ突っ立っている訳にはいかなかった。
彼女の得意分野は戦況を直接動かすのではなく、チェシャやソリッドを十全に機能させるための下地作り。
適材適所。
彼の座右の銘であるその言葉を胸に頭をフル回転させて、彼女の攻撃に合わせる為のタイミングを探し始めた。
*
ああ、楽しい。体が軽い。
さっきの痛みが嘘みたいだ。
けれど、この感覚はだいっきらいだった。
村で狩りをしくじった時に死に物狂いで戦った後、彼女が、村の人が、怯えた目で俺を見ていた事を覚えている。
その時の俺は確かに返り血と自分の血で赤く染まっていたから分からなくもないけれど、少なくとも返り血をここまで浴びる必要性などなかったし、文字通りバラバラになった獲物の惨状も見れば当然と言えば当然だろうなって。
まるで化け物を見る目だった。後から考えれば納得は出来たけど、我に帰って直ぐの俺には怖くって。
だからこの感覚は封印した。昂らないように、常に冷静に落ち着いて。
それでも血を見ればなんとなく昂るし、好敵手に出会えば楽しくなるし、闘いたくなる。
痛みなど寧ろ快感に変わる。
あぁ、たしかに人間じゃないや。
じゃあ俺は誰だ?
……今はどうでもいいや。
だって楽しいから。
──だって、アリスは受け入れてくれたから。
友達は多い方が良いってよく言うけど、実際簡単になくなりかねない友達が百人いるより不動の親友が一人居る方が良い。
実際に見たのは初めてだろうから後で嫌われたりしたらちょっと、いや、結構へこむかもしれないけど、正直立ち直れる気がしないけど……。
でも、後悔はない。
……喉が渇いた。
……腹が減った。
黒騎士は父さんよりは多分弱い。
雑念混じりでも戦えているのがその証拠。
最後に父さんと戦った時よりは強くなっているからもしかすれば違うのかも。
アリスに手伝ってもらって、積雪の月には帰ると手紙は書いて送ってはいる。
その時にきっとまた戦うだろう。
今度は負けるつもりなんてさらさらない。アリスに勝ったぞ、って報告したいから。
だから、真っ黒騎士さん、その踏み台になってもらう。
相手の槍の動きに焦りが混じり始めた。
単純な突きや払いが多くなってくる。
簡単に受けたり流せるだろうけど、それをスレスレで避ける。
頬を撫でる死戦の風さえも心地いい。
頭は冴え渡っている。
たまに槍が掠って痛む傷さえも頭を起こす良い目覚ましに過ぎない。
厄介な機動力を削ぐために足を執拗に攻撃して、万が一は避ける。
そんな事を考えられるくらいにはただ戦いに狂うだけじゃなく、冷静さも帰ってきた。
そして、後ろに射線を感じた。慣れ親しんだ相棒のそれ。
おかげで忘れていたことを思い出せた。
そうだ、一人でやる必要もないのか。
迷宮探索と家での練習で積み重ねたアリスとの連携。
今では俺の視界にはアリスの射線がなんとなく幻視できていた。
実際は本当に弾丸がそこを通るとは限らないけど、だいたいは通る。
離れてはいるけど背中を預けて戦っているような安心感。背中はあったかくは無いけど、胸は熱い。
あぁ滾るね。
すると、今度はボイドが魔術を編んでいることに気付いた。
あの印は多分力が抜けるやつ。
なら俺がすることは……。
足を狙うのをやめて右手を狙い始める。
その事に気づいた黒騎士が防御に専念し出した。
足元を防ぐのは難しいけど、手であれば防ぐのも難しくないからだと思う。
面倒だ。
俺一人じゃ黒騎士が防戦に回れば崩せない。
だから射線を通す。
黒騎士の頭上を飛び越えて、頭に槍を振るう。
──キンッ!
防がれたけど、幻視の中の射線は最初に傷を負わせた首に刺さってる。そして、それを防ぐための物は俺に使った。
幻視通りにアリスの弾丸が首元に突き刺さる。
黒騎士の力が抜けた。
今だ。
思い切り槍を黒騎士の右手へと叩きつける。
カランと虚しい音を立てて槍が黒騎士の右手からこぼれ、地に落ちた。
それを見てから後ろへと退避。
案の定黒い球体が黒騎士に飛来する。
槍も盾もない黒騎士にそれを防ぐ手立てもなく、機動力を削ぐ事に力を注いだお陰で避ける選択肢も奪った。
破裂。
遂にあいつが膝を着く。
「強かったよ。あんた」
俺は敬意を込めて無防備になった黒騎士の首へ歩み寄り、槍を突き刺した。
槍を掴む手から確かな感触が帰って来る。……殺った。
「れ……いをいう。つぎの、まもり……」
兜の中からくぐもった声が聞こえたと思えば、迷宮生物と同じように魔力の霧になって消え去る。
何かを言いかけて。
──次の?
「……」
さっきまで変な言葉しか喋ってなかったくせに。
スッキリできたと思ったのに……最後まで鬱陶しいなと、そう思った。