1-8 対価と報酬
迷宮を脱出した一行はサーシャの土地勘を頼りに最寄りのアゴルの村を目指した。道中サーシャが根掘り葉掘りとアッシュの事を尋ねていたがアッシュは記憶喪失の一言で片づけ取り合ってはくれなかった。半日ほど歩き一行は目的のアゴルの村に到着した。感覚が現代人のアッシュとしては半日も歩き詰めでの移動に慣れておらず体力的には問題ないのだが背中には意識のない少女を背負っての移動だったので精神的にかなり疲弊している。到着したアゴルの村は人口100人にも満たない。村は寂れており産業らしいものもなく、ほとんどの住民はアゴルの栽培や野菜などの作物を生活の糧としていた。もちろん宿屋といった設備もないのだが寝床を求める為、村長に会いに行く。ここに至る道中でサーシャからゴブリン被害の酷い村だと聞かされていたので巣の討伐も合わせて報告し寝床を与えてもらおうという魂胆もある。アッシュは久しぶりの寝床を得られるかもしれないといった気持ちがはやり、疲れを忘れ早足になる。村長の家までは村の中を見て歩くが驚くほどに若者の姿が少ない。畑仕事をしている者なども老人であったり、逆に幼い子供が手伝いをしていたりと廃れた村という印象に拍車を掛けている。しばらく歩き、村の奥まった部分に村長の家があった。裏手には一面にアゴルの木が植えられており大規模な農園を営んでいるようだ。表でアゴルの実を選別している老婆に声を掛け村長に取り次いでもらう。しばらくすると村長が出てきたのでゴブリンの件を報告するが、まるで興味が無いかのように形式的な謝辞を述べた。
これにはアッシュも少しばかり気を悪くしたが感情を声に乗せないように努めて問う。
「ゴブリンの被害より深刻な問題でもあるのか?」
「すでに何度にも渡って襲撃され、その度に村の若い者が防衛に出て怪我をしたり殺されたりで働き手は足りなくなる一方。しかも怪我人を看病したくても碌な設備もない、薬品の備蓄も底を尽きて手の施しようもありません。日に日に弱っていく家族を家に抱えていては、もはやゴブリンの巣がどうなったところで・・・・。」
最後には言葉が詰まり、悲痛な表情を浮かべる。
「怪我人がいるなら癒してやる。村人全ての怪我人を癒すと約束しよう。対価として暫くの間この村に滞在したい。我々の泊まる場所と食事の世話も頼む。」
アッシュの提案にサーシャは驚き腕を引っ張る。少し村長から離れアッシュに耳打ちする。
「怪我人が何人いるか分かんないのよ。一人二人ならまだしも、私一人じゃ無理よ。回復の魔法だって力使うし、怪我の程度によっては助けられないかも・・・。」
心配するサーシャを宥め、
「大丈夫だって。怪我だけなら俺も多少は癒せるからさ。それ以上のは、お願いするけどね。」
「癒しの力使えるって・・・・。だからあんた何者なのよ。」
サーシャを軽く無視しながら村長に向き直り返答を待つ。
「寝床と食事くらいで怪我人を癒して頂けるならお安い御用です。是非ともお願い致します。」
「それでは早速だがこの子を休ませたい。まずは泊まる場所に案内してくれないか。」
「失礼を承知で申し上げますが、その亜人の娘は奴隷では?奴隷を部屋に入れるなどご遠慮ください。厩舎をご用意いたしますので。」
村長は当然といった様子でアッシュとサーシャを自分の家に招き入れようとするがアッシュは動こうとしない。戸惑う村長を一瞥し
「村長、交渉は決裂だな、好きにすると良い。奴隷だからと言って厩舎に転がしておくことが出来るなら背負って連れてきたりしない。それに我々のと言った筈だ。怪我人の治療の対価が厩舎で寝泊まりさせるってことなら必要無い。野宿とさほど変わらん。」
サーシャを促し、踵を返す。本来なら行動を共にする理由はないのだが迷宮から脱出した連帯感からなのかサーシャも疑問に思わずついてくるようだ。歩き出すアッシュに村長は五体投地の勢いで頭を下げる。
「申し訳ございません。私が勘違いしておりました。皆様、同様におもてなしさせて頂きます。何卒ご容赦ください。」
村長は村人全体の利益と慣習を秤にかけ一番必要な判断を即座に下した。村長としても手詰まりだった状況を打破出る解決策など持ち合わせていない。今回の被害では30名以上の死傷者が出ている。死亡したものも多いが未だ傷が癒えない20名からなる村の働き手たちを抱えているのだから慣習など溝に捨ててしまえと言う状況なのだ。
「この子を休ませたい。まずは泊まる場所に案内してくれないか。」
「ありがとうございます。」
こうしてアッシュは寝床と食事を確保することが出来たのだった。空き家を用意してくれる事となり大急ぎで寝具が用意される。背負っていた娘を休ませ、アッシュたちは行動を始める。村長に案内されながら怪我人がいる各家庭を回って治療を施していく。アッシュとサーシャは手分けをしながらその日のうちに全ての村人の治療を終えたのだった。