二十二話 『旅立ちの夜』
月明かりに照らされる一室。エリルの父親にあてがわれた部屋の窓際で
俺は夜空を見上げていた。
見上げながら思う。闇を照らす月明かりの温かさはどの世界でも共通するのだな、と。
月を見ながらこれまでのことを思い出していた。突然現れた魔法陣に触れたことで異世界に飛ばされたこと。
そこで一人の少女と竜騎士に出会ったこと。それから学園に
通うことになり模擬戦に出場したこと。この短期間で本当にいろいろなことがあった。
下手したら日本で暮らしていた頃の17年間分と同等、いやもしかしたらそれ以上に密度の濃い数日感だったかもしれない。
といっても俺は翻弄されていただけだけどな。
何かを考えてやったわけじゃない。強いて言うなら模擬戦で優勝してやる、って
宣言したことくらいか。あれも動機はエリル、というよりリピローグ家を俺のせいで侮辱されたからだった。
こうして考えると俺自身の意思で何かをやったわけじゃない。
知り合いが誰もいない世界に飛ばされたところにエリルが俺に手を差し伸べてくれた。
知識も金もない俺はその手にただすがりついていただけだ。言い方を変えれば甘えていただけだった。
そのことについて何も考えなかったわけじゃない。だができるだけ余計な
ことは考えないようにしていた。模擬戦で頭がいっぱいいっぱいだったからだ。
その模擬戦が終わったからこうして改めて『これから』のことについて考えているわけで。
「ふぅ」
短くため息をつく。
『考えている』なんて言ったがこれからどうするかなんていまさら考えるまでもなく決めていた。
それでも、それでも少しの迷いがあった。俺にとって初めて『仲間』と
呼べるような存在ができて、そいつらとこれから過ごす学園生活のことを考えると
悪くないな、と思ったこともあった。
だがその迷いは『女王』と出会ったことで断ち切った。
『アルバノスの為に力を捧げて欲しい』という彼女の言葉を聞いて。
このまま何も考えずにここで暮らしていくのはきっと俺にとって楽で、そして
楽しいだろう。なんやかんやで学園生活を楽しみ、俺の力が評価され騎士団
とやらにエリルたちと一緒に入隊することが出来るかもしれない。
そんな未来もある。俺はその未来を選び取ることができる。けれど
俺に用意された未来はそれだけじゃない。そしてふとある言葉が頭を
よぎる。
『どこまでも自由に行けたらいいのに』
日本にいたころずっと考えていたこと。ろくに友達もいなかった俺にとって変な表現だが『友達』と言えるのは生まれ持った『超能力』だけだった。
どんなときも俺と共に有り続けた力。この力のせいで周りに恐れられたこともあったけど、それでも俺にとって無くてはならないものだ。
この世界でなら、普通に『魔法』なんていうものが飛び交うこの世界でなら出来るかもしれない。自分の力を信じて生きていくことが。
昔の自分のことを思い出したせいか一人の『知り合い』のことを思い出した。
『へぇ。君も持ってるんだ。同じだね!』
そう言ってにっこり笑って右手を俺に差し伸べた少女のことを。
俺が小学生の頃だったかに出会った少女。俺と同じように『超能力』を持っていた。
何度か戦ったこともある(子供の喧嘩レベルだが)が一度も勝ったことが
なかったな。あいつは元気にしているのだろうか。『友達』と呼べるほど親しい
仲だったかは疑問だが、それでも向こうの世界において唯一『知り合い』と呼べる
ほどに交流があったのは彼女くらいなものだ。
たしか最後に会ったのは一年ほど前だ。俺がいなくなったからといって泣くほど
心配するような奴じゃないが少しくらい連絡が取れなくなったことを気に留めて
くれているのだろうか。それほど密に連絡を取り合っていたわけでもないが。
なんて『向こう』のことを思い出していても意味ないな。今の俺にとっては
関係のないことだ。これから、新しい一歩を踏み出そうとしている俺には。
俺の『荷物』と呼べるものは相棒の大型拳銃『天』『地』とエリルに買ってもらったコート(といっても着ているので荷物とは呼べないのか?)とあとは数本の短剣だけだった。
こういうとき漫画の主人公とかだと荷物いっぱいの袋を担いで旅に出る感じなんだが俺の場合袋に詰めるほどの持ち物がなかった。まぁ、荷物は少ないほうが動きやすいしな。
必要なものは追々買っていくとしよう。金ないけど。
部屋の窓を開け地面を見下ろす。高さは10mを軽く越えている。地面の近くに松明の明かりが見える。そのおかげで周囲の空間が照らされている。
俺はその空間に焦点を合わせ『飛ぶ』。
俺は音もなく地面に降り立つ。真夜中ということもあり周囲に人の姿はない。
恐らく門の近くに門番を務める私兵くらいはいるだろうが問題なく突破できるだろう。
静かな夜に地面の草を踏みしめる音だけが響く。旅立ちの日にしては少々静かすぎるような気もするがまぁ俺らしいといえば俺らしいか。
そろそろ門が見える頃かな、と思った時だった。
「どこに行くのですか?」
「!?」
暗闇の中から静かに声が聞こえる。ざっざっと草を踏み鳴らす音を伴い暗闇から
現れたのはエリルだった。
「エリルか。こんな時間になにしてんだ?」
目前の門番にだけ気を集中させていたのでエリルが近くにいることには気が
つかなかった。
「それは私のセリフです。こんな時間にどこに行こうとしているのですか?」
「散歩だ。ちょっと眠れなくてな」
「嘘ですね」
すばやくエリルに嘘だと断言された。俺って嘘つくの下手なのかな?
互いに見つめあったまま口を閉ざす。
それからしばらくの沈黙が続いたが先に口を開いたのは俺だった。
これ以上黙っていたらこの沈黙が何時間でも続くように思ったからだ。
「旅に出ようと思ってな」
俺は本当のことを口にした。嘘をついても通用しないと思ったからだ。
「どうしてですか!?せっかく模擬戦に優勝してユウナギ様の力がようやく
認められたというのに。それに、リサさんやナナさん、ギルバルトさんという
友達ができたのに!」
友達。確かにあいつらは俺にとって初めての友達と呼べる存在なのかもしれない。
互いに信じ合い模擬戦を戦い抜いた仲間だ。
「これからじゃないですか。これから楽しい学園生活が始まるんですよ!」
『これから』。この数日間ずっと俺の頭をよぎっていた言葉だ。
「確かにエリル、お前たちと一緒に過ごす学園生活は楽しいと思う」
「だったら!」
「だけど、それ以上に俺はもっと知らなきゃいけないと思ったんだ」
「……?何をですか?」
「ここで俺が出来ることを。俺に何ができるのかを」
それは元の世界に帰る方法を探すことかもしれないし、言葉通りこの世界で
の俺の『役割』を探すことかもしれない。あまりにも漠然としすぎているが、
だからこそ自分の思うように行き、時間をかけて考えたいと思った。
「それなら、それなら私も行きます!」
瞳がうっすらと光っている。
俺は静かに首を横に振った。
「エリル。これまでいろいろ力になってくれてありがとう。お前がいたから、
俺は自分の目で見て、自分の足で歩きたいと思ったんだ」
エリルは聞きたくないというように目を閉じる。
「お前が自分の意思で行動しているのを見て、そう思った」
彼女はアルバノス王国の騎士になる、という目標があって学園に通っている。
きっと彼女には彼女の信念があるはずだ。だが、俺にはない。
彼女が旅について来てくれたら、それはそれで楽しい旅になるだろう。
旅は道連れというし一人の旅より二人、二人の旅より三人と人が多い
ほうが賑やかな旅になるだろう。
けれど、もし今エリルと一緒に旅に出ればきっと彼女の優しさに甘えてしまう。
「いつか、必ず帰ってくる。それにお前に危機がもたらされたなら、必ず駆けつけるよ。どこにいても。」
お前と同じように、俺にも目標が見つかったとき。守るべき信念が見つかった
ときに。
俺は目に、脳に焼き付けるように目の前に立つ美しい少女と、その後ろにある
背景を見つめる。絶対に忘れないように。
「約束ですよ」
震える声でエリルがつぶやく。
「ああ。約束だ。お前に受けた恩、必ず返しにくるよ」
初めてエリルとあったとき、彼女が優しく俺の肩に手を置いたように、今度は
俺が彼女の肩に手を置いた。安心させるように。
「それじゃ、行くよ。元気でな」
「はい。待ってますから!」
俺は歩き出す。自分の足で。まっすぐ前を見つめて。




