第一話 婚約破棄は剣一本で
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
アシュリー・グラッツェオは溜息を吐いた。
目の前では王太子エドワードが、平民出身の少女メアリーの肩を抱いている。
学園の大講堂。
卒業パーティー。
貴族たちが見守る中、王太子はこれ以上ないほど得意げだった。
(今日ですわね)
アシュリーは確信していた。
最近の動きを見れば分かる。
メアリーと人目も憚らず逢瀬を重ね、周囲の忠告は無視。
挙句の果てには側近たちまで巻き込んで盛り上がっている。
正直に言えば。
ここまで来ると少し感心する。
普通なら誰かが止める。
しかし誰も止めなかった。
なら仕方がない。
人は自分で転びたい時には転ぶものだ。
それを支える義理はない。
ましてや。
私の仕事ではない。
「アシュリー・グラッツェオ!」
来た。
内心だけで呟く。
来た。
ようやく来た。
だが顔には出さない。
公爵令嬢としての仮面は完璧だった。
「はい、殿下」
「お前との婚約を破棄する!」
大講堂がざわつく。
アシュリーは静かに目を伏せた。
歓喜。
圧倒的歓喜。
十年近く押し付けられた婚約者という立場。
王妃教育。
外交。
貴族調整。
面倒事。
責任。
義務。
全部終わる。
終わるのだ。
(落ち着きなさいアシュリー)
(顔に出ておりますわよ)
必死に抑える。
口元が緩みそうになる。
危なかった。
本当に危なかった。
「……理由をお聞きしても?」
「お前はメアリーに嫌がらせを行い、さらには階段から突き落とした!」
メアリーが悲しそうに涙を流す。
泣くのが上手い。
少なくとも王太子はそう思っているらしい。
「よってお前を殺人未遂の罪で拘束する!」
騎士たちが前へ出た。
周囲からどよめきが起こる。
アシュリーは小さく首を傾げた。
「証拠はございますの?」
「メアリーが証言している!」
「それだけですの?」
「昨日の放課後、学園内でお前を見た者はいない!」
…………。
思わず目を閉じた。
(見た者はいないでしょうね)
その時間。
アシュリーは王城にいた。
王妃教育だった。
やりたくもない王妃教育だった。
城の記録を調べれば一発で分かる。
なぜ確認しなかったのだろう。
不思議だった。
王太子はここまで愚かだったのかと。
「……殿下」
「なんだ!」
「私の口からは申し上げません」
「?」
「ご自身でお調べください」
王太子が眉をひそめた。
周囲の貴族たちもざわつく。
その反応だけで賢い者は悟った。
何かがおかしい。
アシュリーがここまで余裕を見せている。
それだけで十分だった。
しかし。
王太子は気付かない。
「黙れ!」
騎士の一人が前へ出る。
「罪人が殿下に意見するな!」
剣が振り上げられた。
アシュリーは見た。
遅い。
あまりにも遅い。
この程度の剣。
前世なら目を閉じていても避けられる。
今世ですらどうということはない。
剣がアシュリーの体を通ったかのように見えた。
静寂。
騎士は固まった。
見ている者も固まった。
剣の刀身が無かった。
根元から消えている。
アシュリーの右手。
二本の指。
そこに刀身が挟まっていた。
ミスリル製の剣が。
まるで木の枝でも摘まむように。
「な……」
騎士の顔から血の気が引く。
「探し物はこちらかしら?」
アシュリーが微笑む。
騎士が後ずさる。
一歩。
アシュリーが前へ出る。
「どうなさいましたの?ひどい汗ですわね」
一歩。
「拭いてさしあげましょうか?」
もう一歩。
「あら、まるで子ウサギのようですわね」
さらに一歩。
「こんな丸腰のか弱い女性が」
騎士が尻もちをつく。
「汗を拭いて差し上げると申しますのに」
「ひっ……!」
「来るな!」
会場が凍り付いた。
誰も動けない。
王太子ですら青ざめている。
アシュリーは興味を失ったように刀身を放り捨てた。
そして再び王太子へ向き直る。
「殿下」
「な、なんだ……」
「あなた様は勘違いをされております」
静かな声だった。
けれど誰も逆らえない。
「一つ」
指を一本立てる。
「私は殿下にも、王妃の座にも興味はありません」
「嘘だ!」
「そう思いたいのであればご自由に」
即答だった。
「ですので、私がメアリーさんへ何かする理由もございません」
沈黙。
会場中が聞き入っている。
「二つ」
二本目の指が立つ。
「私の名誉のために申し上げます」
僅かに目が細まる。
「殺人未遂で処刑など、たまったものではございませんので」
「……」
「その時間、私は学園におりませんでした」
ざわっ。
空気が変わる。
王太子の顔色も変わる。
「なっ……」
「「ですが」
「?」
「私にも悪いところはございますわね」
「!!」
「メアリーさんが虐めにあっていることは知っておりました」
「が」
「私は何もしませんでした」
「じゅ、じゃあ!」
「だって」
沈黙。
「興味ないんですもの」
空気が止まる。
「殿下にも」
王太子へ視線を向ける。
「そこの性悪にも」
メアリーへ視線を向ける。
メアリーの顔が引きつった。
「ですので、お好きになさってください」
二人の顔が明るくなる。
その様子を見て、アシュリーは小さく首を傾げた。
なぜ喜んでいるのだろう。
まあどうでもいい。
「そもそも」
「私を欲したのは国ですし」
「……は?」
「私は一度たりとも殿下を望んだことはございません」
静かな声。
「王妃の座にも興味はありません」
「この婚約は国からの要請に従っただけですので」
ざわり。
会場の空気が変わる。
だが王太子は気付かない。
「何を言っている!」
「事実ですわ」
それだけだった。
怒りもない。
嘲笑もない。
ただ事実。
「それでは、失礼」
アシュリーは一礼した。
完璧な淑女の礼。
「愚かな王太子殿下」
そして続ける。
「契約に則り、私、アシュリー・グラッツェオは、この国を出ますので」
最大の笑顔。
だがそれは勝者の笑みでも嘲りでもない。
ようやく長かった仕事が片付いた。
そんな顔。
王太子は理解できない。
メアリーも理解できない。
貴族達も理解できない。
なぜ婚約破棄された令嬢が、そんな顔をしているのか。
ただ一部の重鎮達だけが顔色を失っていた。
アシュリーが言った言葉の意味を理解したから。
彼女は敗者として去るのではない。
契約を終えて去るのだ。
「これで自由ですわね」
お読み頂き、ありがとうございます。




