5.
ペネロペが呼んでくれた馬車にシャーロットとルイスは乗り込み娼館を後にした。
シャーロットは袖口をビリビリに裂いた。
「シャーロットさん、わざとですか?」
袖口はわずかに濡れていた。ハンカチは回収できなかったが、シャーロットは先程の床に飛び散った薬を袖に吸い込ませていた。
「いや……もう少し静かに瓶を回収しようと思ったが、うっかり落としてしまった」
シャーロットはため息をついた。
破れた袖口があった部位をみてルイスは思い出した。小さな瓶が割れて、ガラスの破片が落ちていた床にシャーロットは触れていた。
「手を見せてください」
ルイスの言葉にシャーロットは首を傾げた。どうしてかわからない様子だったためルイスは意図を伝える。
「怪我していないか確認しますので」
「それは問題はない。今は不用意に私の手に触れない方がいい」
怪我をしていないが、触れてはいけない。
変な言い方でルイスは引っ掛かりを覚えた。
「私のこちらの手は薬に直接触れてある。もし危険薬品だったらルイスに曝露するかも……」
「それをあなたは素手で触れたのですか?」
ルイスを思っての説明であったが、逆に怒られてしまったことにシャーロットは理解できなかった。
ルイスはポケットから手袋を取り出して、手にはめた。
「ほら、これなら触れます。手袋は後で処分するので問題ないでしょう」
ルイスから差し出される手にシャーロットはこくりと頷き、薬品を触れた手を見せた。
「怪我はしていないようですね」
確認しながらルイスは呟く。
「だから怪我はしていないと言っているだろう。私は仮にも医者だ。自分で対処できる」
「怪我に関しては俺の方が実地経験が上だと思います」
ルイスは十代を兵役で過ごし、実際の戦場にも出た経験があった。怪我の対処は一通り叩き込まれる。すぐに医者に診てもらえない状況を見越しての訓練も受けていた。
「それにシャーロットさんは無茶をするから安心できません」
「私はそんな無茶はしない」
「足場の悪い場所へ入ろうとしたり、怪しいオークションに行ったり、違法孤児院に乗り込んだり、……娼館に出入りして危険物を素手で触ってり」
ルイスの記憶の限りの危ない行動を指摘されるとシャーロットは黙り込んだ。
「それで、その袖口はどうするのです? 警察に持ち込みますか?」
「いや、ヨイチに調べてもらってから店に伝えてそこ経由で警察を呼ぶ順序にしようと思う」
怪しいといっても実際は問題の薬物じゃないかもしれないので、確認してからでも遅くはないだろう。
「液体の阿片、ですかね」
ルイスの言葉にシャーロットは首を横に振った。
「いや、あれはおそらくだがベラドンナだな」
あまり聞かない薬品名にルイスは首を傾げた。
「ベラドンナ……海外の言葉で『美しい女性』という名の、古くは女性の化粧品として利用されていた」
「ぱっと聞いた感じでは恐ろしい薬品に聞こえませんね」
「副交感神経の働きを抑制して、瞳孔が散大する。昔は目の化粧品として点眼されていた」
ルイスは思い出した。アリアドネの瞳は黒目が大きくて妙にきらきらと輝いていたように思う。
(あれは薬の影響だったのか)
「……瞳孔が散大すると視覚調節が難しく、光にも過敏になってしまう。使いすぎると眼圧があがり目に障害が残るし、喉が渇きやすく排泄調節にも障害が出る。興奮しやすく、重度にいたると精神にも支障をきたすな」
話を聞くと先ほどのアリアドネの様子と妙に合致してしまう。
「使い方さえ気をつければ医療界では有益な薬だ。瞳孔散大させると目の奥を評価しやすくなる」
最近はもっと安全性の高い薬が出たため取り扱いの見直しがされているが、それでも一部の医療現場では使用されている。
「アリアドネさんはこれからどうなるのでしょうか?」
「ベラドンナを美容目的で使用は違法だ。警察の預かりになるが、捜査の合間で治療を並行して行われる。しばらくは療養になるだろう」
娼婦の仕事はそれほど良いものではない。
だが、それを選ばざるを得なかった事情があり、彼女の生活にも支障をきたすだろう。
「一応、女性福祉の案内を受ける。まだ課題が多く、アリアドネからしたら不満かもしれないが……」
この国が女王の国になってから女性の権利について色々と見直されるようになった。
今は不十分でもいずれはアリアドネのような女性にとって良い道が開かれることを願おう。
◆◆◆
シャーロットが持ち帰った袖口を調べると、ベラドンナの成分が検出された。
警察の捜査介入となり、アリアドネは療養へと移される。
シャーロットはペネロペづてで書籍を彼女に送った。
『探偵ネロ』シリーズの新刊である。
目がどの程度回復するかわからない中渡すのは酷なものかもしれない。
「最近は朗読のボランティアもいるみたいだから、それに読んでもらうと言っていたわ」
ペネロペからの言葉ではどうやらアリアドネは受け取ったようだ。
ベラドンナの入手ルートだが、アリアドネは闇市場で入手したと証言した。
眼科受診の度に「目が魅力的」と客から褒められて検査薬に執着した。
警察ははじめはアリアドネが受診した眼科医を疑っていたが、彼は美しい娼婦の色仕掛けに動じずに個人的に薬物を渡すのは断っていた。
同じ効能のベラドンナが闇市場で売られていると知り飛びついたというのが経緯だ。
警察が介入する頃にはすでに闇市場の場所が移っており、売人の尻尾を掴むことはできなかったそうだ。
(終わり)




