第33話 少しずつ、でも着実に
「……チェリエ」
「……はい」
二人きりになったところでレイスから改まった口調で名前を呼ばれ、チェリエはわずかばかり緊張した。
「その……、なんと言えばいいのか……」
「…………」
レイスが気まずい空気を醸し出すほどに、チェリエもつられて気まずくなる。
しかし男尊思考の強いこの国では、レイスが喋り始めている以上その言葉を遮って言葉を挟むのははしたないこととされている。
故にチェリエは、ただ黙ってレイスの次の言葉を待ち受けることしかできなかった。
「……君のことを、たくさん傷つけて、本当に申し訳なかった」
押し殺したような声色で出てきたレイスの言葉を、チェリエは驚きながらもただ黙って受け止める。
「……最近、なんだか前よりも頭がスッキリして、物事をちゃんと考えられるようになって、改めて気づいたんだ。君が今までいかに周囲を思いやり、動いてくれていたのかということに」
「……そんな」
「……君は俺がひどい言葉をかけ続けていたにも関わらず、それにじっと堪えながら、みんなのためになるように動いてくれていたんだな」
どこか気まずそうな笑みを浮かべながらそう告げてくるレイスに、チェリエはなんと答えたらいいのかわからず曖昧に微笑む。
「リリーに助言をしていたのも、影でこっそりフォローしてくれていたのも、彼女を傷つけないように配慮してくれてのことだったのに。俺は全然そのことに気づいていなかった」
(……レイス様……)
今更ながらに、レイスから自分の努力を認めてもらえたことに、チェリエはなんだか泣きそうになる。
「君のいいところを、もっと早く気づいてやれればよかった。……本当に、本当に俺は馬鹿だ」
「……そんなことありません。わたくしは今、こうしてレイス様に優しい言葉をかけていただいただけで、ものすごく嬉しいですから……」
泣きたい気持ちを堪えながら、チェリエはレイスに答える。
己の行動に反省をしながら、逃げることなくチェリエに向かい合おうとしてくれるレイスを見て、じわりと胸の奥が疼くのを感じた。
――嬉しかった。
長い間燻っていた気持ちが、一気に昇華した気持ちになった。
「……今更こんなことに気づいて謝って許してもらおうなんて虫が良すぎるかもしれないが。でも俺は、ちゃんと君に伝えたかったんだ」
「レイス様……」
チェリエは、まさかこんな日が来るなどとは思っておらず、予想外の状況に胸がいっぱいになりかけていた。
今まで受けていた不当な扱いや、誰からも認められない努力が、報われたような気持ちだった。
そんな、チェリエの胸の内が感極まっているところに。
「……それに俺は、もう一つ気付いたんだ」
「……何をですか?
「……君が、サリュート殿下についてトリギアの職業婦人になるっていうのも、俺のことを思ってのことなんだろう?」
(――――ん?)
思いがけず出てきた別の話題と馴染みのありすぎる名前に、チェリエの頭は一瞬で疑問符でいっぱいになる。
「……君が、サリュート殿下に見初められてトリギアに嫁ぐことになったら。俺が捨てられた男みたいな見られ方をするから……」
「……それは違います」
(それは単に、わたくしのトラウマのせいですから――)
レイスの言い分が、『チェリエとサリュートは本当は想いあっているのに、それをあえて公せず隠しているのは、自分を気遣ってのことなのだ』と申し訳なく思っているのだと気づいたチェリエは、慌ててレイスの言葉を否定した。
「……そ、そうなのか?」
「そうです。わたくし、これを機に自分の能力をどこまで活かせるか挑戦してみようって思えるようになったんです」
――ですから、女性のわたくしでも職業人としてやっていくことができる道を模索するために、サリュート様に協力してもらおうと思ったんです――と。
キョトンとするレイスにチェリエが応えると、レイスは一瞬間を置いて、
「……ははっ」
と、毒気が抜けたような笑顔を見せた。
「――君は、俺が思うよりも全然強い女性だったんだな」
――冷たくて面白みがないなんてとんでもない。
どんなに辛い状況にあっても、挫けず前に進んでいける力を持っている。
そう思うとレイスは、自分の元婚約者が無性に眩しくて、目を眇めながらチェリエを見つめた。
「……チェリエ」
いつぶりだろうか? とチェリエは思った。
レイスから、こんなに親しみを込めて名前を呼ばれたのは。
「今まで、本当にすまなかった。君さえ嫌じゃなければ、今後は良き友人として、いさせてもらえないだろうか」
その言葉に、チェリエはふっと温かい気持ちが湧き上がる。
(……サリュート様からはまた『チェリエは本当にお人好しなんだから』と言われてしまうかもしれないわね)
そんな、サリュートの表情や口振りまで頭の中で再生されて、チェリエはまた可笑しくなった。
そうして可笑しくなって微笑んだまま、差し出されたレイスの手を取ると、
「……もちろん。よろこんで」
と答えた。
(……一度切れた縁は、二度と戻ることはないと思っていた)
――けれど、そうではなかった。
こうしてまた、レイスと友人として再び縁を繋げたことに、チェリエはまた泣きそうになる。
恋愛がきっかけで縁が切れたら、人と人はもうわかりあえることはできないのだと思っていた。
どこか、相手に対して気まずい気持ちを抱えたまま、接していくことしかできないのだと。
しかし、今日のレイスとの会話は、チェリエの価値観を大きく変える出来事だった。
(――よかった。レイス様と、わかりあうことができて)
こうやって人は、新しい世界を知っていく。
これが、一つの小さなトラウマの解消のきっかけになったということを、チェリエ自身はまだ気づいていない。
少しずつ。でも着実に。
人は変わっていく。
今日の出来事は、チェリエにそんな一つの自信を与えるきっかけとなったのだった。




