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プライベートカウンセラー  作者: Ohtori
第17章「ゲーム開発ディレクター・宇佐美翔太(32歳)」
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第82話「語る覚悟」

土曜の午後。永田町から離れた品川のラウンジは、週末らしく落ち着いた空気に包まれていた。窓の外では、桜が少しずつほころび始めている。香坂美月は、テーブルにノートとペンを置き、待っていた。


ほどなくして、北川美優が現れる。柔らかいグレーのスーツに身を包み、どこかきりっとした雰囲気が漂っていた。


「こんにちは、美月さん。今日は少し緊張しています」


「こんにちは、美優さん。お会いするたびに、顔つきが変わっていきますね。今日は、その“ノート”を持って来てくださったんですね?」


「ええ、はい……この1ヶ月、夜ごとに書き続けたものです。まだ整理しきれてないんですが……」


そう言って、美優は黒いA5のノートを差し出した。ページをめくると、几帳面な字でびっしりと政策メモが綴られていた。教育、雇用、子育て、若年層支援、女性のキャリア回復、そして議員秘書の待遇改善まで。いずれも、実務の現場に深く関わってきた者でなければ書けないほどリアルで、具体的だった。


「このノート……まさに“地に足の着いた政策の種”ですね。構想段階というより、すでに草案レベルに近いです」


「そう言っていただけると救われます。でも……本当に、私がこんなことを語っていいのか、やはりまだ迷いがあります」


「“語る資格”は誰が与えるものだと思いますか?」


美優は、少し考えてから答えた。


「……これまでなら“選挙で選ばれた者だけが持つ”と思っていました。でも今は、“現場を知っている者”にもその資格があるのではないか、と、少しずつ思えてきました」


「その変化は、極めて大切です。美優さんは今、裏方として積み上げた経験を“自分の言葉”で表現する準備段階に来ています」


「でも、議員秘書という立場上、これまで“個人の意見”を表に出すことは禁じられていました。いつも“上司の言葉”を代弁し、従う。それが体に染みついてしまっていて……いざ自分の言葉で何かを発しようとすると、どこかでブレーキがかかるんです」


「そのブレーキは、“組織の論理”に長年適応してきた証拠です。でも一方で、ノートにこれだけの言葉を書けたという事実は、美優さんの中に“語りたい意志”が確かに芽生えている証でもあります」


美優はノートをじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。


「実は、一番最初に書いたのは、“子育て支援”の項目でした。政策的にはよくあるテーマですが……私は特定の子どもが頭に浮かんでいて」


「どんなお子さんですか?」


「地元事務所の相談窓口で、ひとり親の母親が泣きながら連れてきた5歳の女の子です。保育園に入れず、仕事も不安定で。制度上は支援対象にならない。でも、明らかにサポートが必要な家庭でした」


「その子のことを、ずっと覚えていたのですね」


「ええ。何もしてあげられなかった自分が、悔しくて。あの子のような存在を“制度の隙間”から救いたい。そう思って、政策案に落とし込んだんです。誰かの“声なき声”を、拾い上げる仕事をしたい……それが、たぶん今の私の原点です」


美月は深く頷きながら、言葉を選んで続けた。


「では、次の問いです。美優さんは、その声なき声を“誰の名前”で届けたいですか?」


「……私自身の名前で、です」


その言葉には、わずかに震えがあったが、確かな決意も宿っていた。


「それが、“語る覚悟”の第一歩です。政策案を持ち、実務を知り、現場の課題を肌で感じてきた美優さんが、自らの名前で声を上げること。それは決して“野心”ではなく、“使命”と呼べるものです」


「私……議員になりたいと思っているのかもしれません。でも、そう認めることが怖い。周囲に“出たがり”とか、“勘違いしてる”と思われるのが怖いんです」


「その恐れを抱くことは、正常です。でも、逆に“何も言わないまま人生を終える”ことに対する恐れはありませんか?」


美優ははっとしたように、美月を見つめた。


「……あります。今を逃したら、きっと一生後悔する気がします」


「その感覚を、大切にしてください。今後は、このノートをベースにして、“出馬”という選択肢を現実的に検討していきましょう。必要なのは、理想ではなく“準備”です」


「はい、ぜひお願いします。私、やっぱり動きたい。名乗りたいんです。これまで支えてきた誰かのためじゃなく、今度は自分の信じるもののために」


美月は、笑みを浮かべた。


「次回は、“政策メッセージの軸”を一緒に整えましょう。そして、“どんな人に訴えたいか”というペルソナ設計をしていきましょう。選挙に出ることがすべてではありません。ですが、自分の言葉を社会に届けるルートを具体的に描くことが、今後の人生の地図を広げてくれます」


「……楽しみになってきました」


静かな春の日差しが、彼女の背中をやさしく照らしていた。

かつての“影の仕事人”が、いま、光に向かって一歩を踏み出そうとしている。

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