第2話「誤算と混乱」
都心のホテルラウンジ。柔らかな午後の光が差し込み、穏やかな雰囲気が漂っている。しかし、目の前の片瀬翔子の表情は、明らかに硬かった。
「こんにちは、翔子さん。前回のセッションで、CEOと財務戦略について話し合うと決めましたね。その後、どうなりましたか?」
美月がそう尋ねると、翔子はコーヒーカップを手に取り、一口飲んでから小さくため息をついた。
「正直、最悪の方向に進んでいます。」
「……詳しく聞かせてもらえますか?」
翔子は、少し苛立ったような表情でテーブルに視線を落とした。
「先日、CEOと改めて財務戦略について話し合う場を持ちました。私は、資金繰りの観点から、現状の成長ペースを一度見直すべきだと冷静に伝えました。データも用意して、無理な拡大戦略は財務の健全性を損なう可能性が高いことを説明したんです。」
「ええ。それはCFOとして当然の役割ですね。」
「でも、CEOの反応は予想以上に悪かったんです。」
翔子は苦笑しながら、肩をすくめた。
「『翔子は、リスクを恐れすぎている』と言われました。『攻めなければ、この業界では生き残れない』と。そして、私の慎重な姿勢を『会社の成長を妨げる要因』とまで言われました。」
美月は眉をひそめた。
「……それは、かなり強い言葉ですね。」
「はい。しかも、それだけじゃないんです。その話し合いの後、CEOが他の幹部メンバーに『翔子が資金繰りの問題を過剰に気にしていて、成長戦略にブレーキをかけている』と話していたと聞きました。私は、慎重な判断をしたつもりなのに、いつの間にか『成長を阻害する存在』になってしまったんです。」
美月は静かに頷きながら、翔子の言葉を受け止めた。
「つまり、社内での立場が危うくなってきた、ということですね。」
「ええ……。今まで財務チームも私の意見を支持してくれていたのに、最近は微妙な距離を感じます。みんな『CEOの方針に逆らうとまずい』と思っているんでしょうね。」
翔子は、苦笑しながらカップを置いた。
「結局、私は何も変えられなかったどころか、社内での信頼すら失いかけています。」
美月は、しばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「翔子さん、ご自身では『何も変えられなかった』とおっしゃいましたが、本当にそうでしょうか?」
翔子は少し驚いたような顔をした。
「どういう意味ですか?」
「今回のことで、CEOの真の考え方がはっきりと見えました。つまり、彼は短期的な成長を最優先にしていて、財務のリスク管理を軽視している。これは、翔子さんが慎重すぎるのではなく、CEOとの経営方針の違いが明確になったということです。」
翔子は少し考え込み、視線を落とした。
「……確かに、それはあります。でも、それが分かったところで、私はどうすればいいんでしょう?」
美月はペンを持ち、ノートに三つの円を描いた。
「以前お話しした、『スキル・強み』『価値観・働き方』『市場のニーズ』のバランスの話を覚えていますか?」
翔子は頷いた。
「ええ。でも、今の私は、そのバランスが完全に崩れています。」
「そうですね。特に『価値観』の部分で、CEOとのズレが大きくなっています。」
「でも、私はこの会社のCFOとしてやるべきことがあるはずです。今ここで辞めるという選択はしたくない……。」
美月は静かに頷いた。
「では、選択肢を整理してみましょう。今、翔子さんには大きく分けて三つの選択肢があります。」
1. このまま現状を維持し、慎重に立ち回りながらCEOとの関係を修復する。
2. CFOとしての役割を再定義し、自分が変えられる範囲を明確にする。
3. 会社に見切りをつけ、より自分の価値観に合った企業への転職を視野に入れる。
翔子は少し考え込んだ。
「1は、正直難しいですね。CEOの考え方が変わらない限り、私がどう頑張っても関係は改善しない気がします。」
「そうですね。では、2についてはどうでしょう?」
「CFOとしての役割を再定義する……つまり?」
「CEOの成長戦略に対して、単にブレーキをかけるのではなく、財務の観点から『よりリスクの少ない成長の道筋』を示す形での関わり方を模索する、ということです。」
翔子は小さく頷いた。
「……それができれば、少しは私の立場も変わるかもしれません。」
「ええ。ただし、それを実現するためには、より専門的な視点が必要になります。」
翔子は眉をひそめた。
「どういうことですか?」
美月は静かに微笑んだ。
「翔子さんは、これまで財務の観点から経営を見てこられましたが、経営戦略とファイナンスの両方の視点を組み合わせることで、CEOとの議論に勝てる材料を持つことができます。」
「……確かに。私はこれまで、財務リスクを示すことに注力してきましたが、それだけではCEOは納得しないんですね。」
「はい。そこで、次回のセッションでは、私の知人である 鳳修士郎 を紹介します。彼は、ライジング・ストラテジー・パートナーズという経営戦略ファームのパートナーで、特にベンチャー企業の財務戦略に精通しています。」
翔子は少し驚いた表情を見せた。
「そんな専門家の方と話せるんですか?」
「ええ。彼と話せば、翔子さんのCFOとしての役割が、もっと明確になると思います。」
翔子はしばらく考えた後、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました。ぜひ、紹介してください。」
美月は微笑みながら、カップを置いた。
「次回は、新しい視点で未来を考える機会になりそうですね。」
翔子は、少しだけ前向きな表情を取り戻していた。




