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「本当にごめんなさい。……でも、リーナさんがどんな相手を選ぶのか気になって……」
「それで、ずっと彼女を盗み見ていた、と」
「……はい」
すっかり気落ちした様子で、アルは頷く。しかも、何故か彼は地べたに正座させられていた。
もっとも、無様に倒れ込んだままの誰かさんよりかは、よっぽどマシだが。
「リーナさんは、素敵な女性なんです。僕みたいなのにも優しくしてくれるし、微笑みかけてくれるし……。他の人より魔法がうまくないのを気にしているようですけど、そんなところも、その、か、可愛らしいと言うか……」
「いやそんなことまで聞いてねーよ」
耳の穴をほじくりながら、彼女はそっけなく言い放つ。
「まあ、いいや。事情はわかったし、正直他人の恋とかどーでもいいし」ならば何故追って来たのか。「……けど、あんたはどうしたいの? 好きな女が他の誰かの物になるのを、黙って見てるだけでいいわけ?」
「そ、それは……リーナさんが、幸せになれるなら、僕は別に……」
「嘘だな。未練がなかったら、覗き見なんてしないはずでしょ。この嘘つき変態意気地なしが」
「よくそんな酷い言葉スラスラ出て来ますね。何かそう言う教材聴き流してる?」
と、低い位置からツッコミが入る。
「……て言うか、あんたはいつまで寝転がってんの? まさか、私のスカートの中覗こうってんじゃないでしょうね。キモっ、ゲボ虫が」
「何その罵声! 初めて聞いたわ! だいたい、姫様のせいでこんな状態になってるんでしょ⁉︎ パワハラ反対!」
「あー、はいはいうるさいうるさい。──で? 本当はまだ諦めきれないってことなんでしょ?」
アルは唇を噛み締めたまま答えない。しかし、その沈黙は肯定を意味しているように思えた。
「だったら、あんたにできることは二つ。──一つ目は、今から会場に乱入して、暴れまくって婚活パーティーをぶっ潰すこと。もう一つは、どうにかこうにかリーナを射止めること」
「……うん、実質一つだね」
そう言うことらしい。
「で、でも、僕なんかがそんなこと、できるでしょうか……?」
「そりゃあ、あんた一人だけじゃ、たとえエルフに生まれ変わったとしても無理でしょうよ。……けど、安心なさい。今回は特別に、この高貴なる身である私が、恋のキューピットになってあげる」
そうして不敵な笑みを浮かべるその姿は、どう控えめに見ても天使──ではなく、悪魔的であった。
※
「──え? エルフの女性が喜ぶこと、ですか?」
「はい。よろしければ、エリスさんに教えてほしいんですけど」
「うーん、そうですねぇ……」頬に人差し指を当てたエリスは、考え込むように斜め上を見る。「……これは、きっと男性のエルフもでしょうけど、やはり一番は、知識ではないでしょうか」
「知識?」
「ええ。私共は長く生きているだけあって、自ずとありとあらゆる知識が豊富になります。自分で言うのも気が引けますが、この世界のことで知らないことはごく限られている、と言うほどに。──ですから、ある程度成長したエルフなら、自分が今まで知らずにいたこと──つまり、新しい知識を得た時に、ものすごく喜ぶものなのです」
「なるほど、そう言うことですか……」
顎──の代わりに本の角に手を当てて、オグマは呟く。
ちなみに、姫様とアルの二人は、すぐ側の茂みの向こうに隠れ、こっそりと彼らの会話を聞いていた。
「申し訳ありません、こんな答えしかできやくて」
「そんな、謝らないでください。こちらこそ、突然変なこと聞いてすみません」
「いえいえ。──でも、どうかされたのですか? ……もしかして、村の娘の中で、誰かを見染められたとか?」
「いや、別にそう言うわけじゃ──少なくとも僕は」
「ふふ、冗談です。──ですが、もし本当にそうだったとしたら、結ばれるのは難しいでしょうね」
「えっ? と、言いますと……?」
「私たちエルフは、基本的に純血を重んじる種族だからです」
エリスはわずかに声をのトーンを落とす。その言葉に、アルの表情はいっそう暗くなった。
「きっと、元来プライドが高い生き物なのでしょう。他の種族と交流を持つようになったのも、つい最近──先の大戦が終結する、少し前のことでした。そう言った事情もあって、婚活パーティーは大切な儀式となっているのですが……やはり、『エルフの血は絶対に薄めてはならない』と考える者が、男女共に多いのです」
純潔至上主義とでも言うべきか──そうした思想が浸透しているからこそ、彼らは「辺境に住まう異人種」の一つに数えられているのだろう。
「……ですが、同時にこうも思うんです。もし仮に、エルフが他の種族の方と結ばれるようなことがあるとすれば、きっとそれは素晴らしい出来事なのだろう、と。いつかそんな瞬間に立ち会えたなら、『長生きしてよかった』と、心の底から思えるでしょうね」
「ですから、そう言った方がいらっしゃるのなら、私は応援致しますよ?」とエリスは締め括った。彼女の穏やかな笑みは、オグマを通り越して、茂みの方へ向けられているように思えた。
※
「さて。そんじゃあさっそく作戦を決行するわよ。題して──『当たって砕けろ大作戦』」
「いや、それ作戦でもなんでもないですよね?」
「細かいことは気にすんな。──と言うわけで、ほら! あんたはさっさと砕けて来ない!」
姫様に尻を蹴飛ばされたアルは、小さな悲鳴を上げつつ、転がるようにして会場へと飛び出して行った。突然宴の席に現れた異人種に、少なからずエルフたちの注目が集まる。
その中の一人──近くの席から振り返ったリーナが、目を丸くさせた。
「あら、アルさん? どうしてここに?」
「あ、えっと、これはその……」
しゃちほこ張っている為か、まともに話すこともできない。その様子を、恋のキューピットは苛立たしげに見守っていた。
「ところで、姫様。どうしてアルさんのことを応援しようと思ったんですか? やり方は無茶苦茶ですけど、そんないい人みたいなの、姫様らしくないですよ」
「蹴飛ばされたいんか? ──別に、特に理由なんてないわよ。……ただ、取材記録としては、この方が面白いでしょ。少なくとも、美男美女──もといエルフ同士がくっ付くだけなんて、クソつまらん」
「あ、だいたい予想どおりだったわ」
などと、やはり彼らがアホなやり取りをしている間、アルはモジモジとするばかりで、いっかな気持ちを伝えられずにいた。
すると、リーナの向かい座っていた男が立ち上がり、テーブルを迂回して彼の方に歩み寄る。
「なんだね、君は。今我々は大切な祭事を執り行っている最中なんだ。申し訳ないが、他の種族の者は立ち去ってもらいらたい」
ホビットを見下ろしながら、彼は高圧的な口調で告げた。
「い、いや、あの、僕は……その」
「……たいした用事ではないようだな。ならば、尚更だ。今すぐ出て行きなさい」
「で、でも……僕は、どうしてもリーナさんに伝えたいことがあって」
「私に?」と、当の彼女が小首を傾げる。
顔を真っ赤にして頷いたアル──その姿を見た男エルフは、何かを察したように眉をひそめた。
「……まさかとは思うが、リーナ殿に求婚するつもりじゃあるまいな?」
「えっ?」と、リーナが誰よりも意外そうな反応を見せる。
「もしそうだとしたら諦めるべきだ。叶わぬ恋など惨めなだけで、何の益も生まん。……それどころか、惚れられた方はいい迷惑だろう。
だいたい、異人種──それも、よりによってホビットだなんて。……こう言っては悪いが、魔法すらまともに扱えないような種族がエルフを見染めるなど、思い上がりも甚だしい。君たちが、我らエルフに勝る点など一つでもあるのか? 魔力においても文化においても──そして、何より知識において、そんな物ありはしまい」
冷淡な言葉を浴びせられながらも、青年は言い返せない。相手のセリフは全て正論だと言うことを、誰よりも彼自身が理解していたのだろう。
ホビットがエルフに敵うこと──ホビットが知っていてエルフが知らないことなど、あるわけが──
「あら、あるじゃない」
そう言いながら、姫様が茂みから出て来た。なんでこんなこともわからないの? と言いたげな、不敵な笑みを浮かべて。
赤い糸で繋がれたオグマは、慌てて彼女に続く。
姫様は、二人と正三角形を作るような位置で足を止めた。
「あんたにしか知らないこと──そこのクソいけ好かない奴も、そして何よりリーナ自身も知らないことが」
「僕しか、知らないこと……」
鸚鵡返しに呟いた彼だったが、ほどなくして何かに思い至ったらしい。ハッと見開かれた瞳の奥に、確信の灯が点っていた。
「そ、そうだ──あります! 一つだけなら!」
「何?」と、男エルフが訝しむ。
「だ、だから、リーナさん! どうか、僕の話を聞いてください!」
リーナは戸惑った様子ながら、「は、はい」と頷いた。
「り、リーナさんっ、あなたは──す、素敵な女性です! 僕みたいなのにも優しくしてくれて、微笑みかけてくれて──他の人より魔法がうまくないのを気にしているようですけど、そんなところも──か、可愛らしいです! 全然短所なんかじゃないです!」
彼の話を聞くうちに、魔法の花を爆発四散させていた少女の顔は、見る間に赤くなって行く。
「だから何だと言うんだ!」男エルフが声を荒げる。「そんな話、何の意味もないだろ!」
「い、意味ならあります! ……確かに、僕はリーナさんの全てを知っているわけではありません。でも、僕しか知らないリーナさんのこと──自分では気付けないいいところ──は、たくさんあります! ──こ、これが、リーナさんのことをす、好きな、僕だけの知識です」
ホビットの青年は最後には堂々と、臆することなく言いきった。