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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第四章 白い月が還る夜に
46/58

02

「オヤスミ」


 就寝前、にこり、相変わらずウソくさい作り笑いを浮かべた彼が、こちらに向かって手を振る。ぼくも「おやすみ」と返してリビングをあとにした。

 ベッドに横たわり、目をつぶると頭をよぎったのは、少し前に彼が言っていた言葉。


(君ってどうして女の人しか殺さないの?)


 しかし、そのとき答えたように、男の人を殺したこともある。一人はもちろん、元死にたがりやで現在は死神の彼。そして、もう一人はぼくの父親だ。思えば、それがぼくの最初の殺人だった。


 いつだったか、彼がまだ生きていたときに、彼は自分の過去を話すふりをしながら、ぼくの過去の話をしていたということがあった。彼の情報収集能力が異様に長けていることは、今までの付き合い――と言ってもまだ一年足らずだが。意外と短いな――の中でよく理解している。

 しかし、何でもお見通しだというような彼でも、すべての情報を知っているわけではないから、持っている情報をつなぎ合わせて想像したのだろう。あのとき、とっさにいくつか訂正したが、よく考えてみれば、彼の話の中で合っていたのは「ぼくが両親を殺した」ということだけだった。真実はそんなに単純ではない。

 ぼくの家は名家でもお金持ちでもなく、父親はサラリーマン、母親はパートタイマーか専業主婦という、いたって普通の家庭だった。特別に幸せというわけではないけれど、だからと言って不幸なわけでもなく、本当に平凡で穏やかな日々を過ごしていた。それを世間では「幸せ」と呼ぶのだろうか。


 そんな日常が壊されたのは、ぼくが五才のとき。やはりいたって普通のある日の夜のことだった。不幸は誰にでも、そして突然やってくる。


 その日、すでに就寝していたぼくは、リビングから聞こえた怒鳴り声で目を覚ました。近くにあった時計を見れば、針は夜中の零時近くを指している。

 声のしたほうへ向かい、開いていたドアの隙間から中の様子を見てみると、父親と母親が口論していた。いくら平凡な家庭とはいえ、喧嘩もときどきあったが、今回はそれとは比にならないくらい激しいものだった。幼いぼくに飛び交う言葉の大半の意味はわからなかったけれど、それがいつもの喧嘩とは違うということくらいは理解できる。

 やがて、母親は手で顔を覆って泣き始め、父親はトナリの台所へと消えてしまった。ぼくが母親を慰めようとドアに手をかけたとき、父親が戻ってきた。仲直りするのかと思ってほっとしたのも束の間、すぐにそれが間違いだと気付いた。何故なら、父親の手には包丁が握られていたのだから。

 それに気付いた母親はさっと青ざめ、本能的にあとずさったが、父親はそれをじりじりと追い詰め、ついに包丁を振り下ろした。しかし、母親はそれをよけ、勇敢にも父親の腕を掴んで包丁を奪おうとした。だが、女が男の力に敵うはずもなく、母親は振り払われてしまった。だけど、そのとき父親は包丁も一緒に投げてしまったらしく、カラン、と床にそれが落ちる音がした。


 思えば、それが運命の――運命なんてそんな不確かなもの、信じていないけれど――分岐点だった。その包丁は、ぼくが覗いていたドアのほうに飛んできたのだ。


 思いのほか遠くに行ってしまった包丁をあきらめたのか、父親は素手で母親に掴みかかり、その首を絞め始めた。苦しそうな呻き声が聞こえるが、父親はその手をゆるめない。むしろ、どんどん力をこめていた。

 何故そんなことがわかるのかって? だって、ぼくはドアの前に飛んできた包丁を両手で握りしめ、忍び足で父親の背後に近づいていたのだから。興奮状態の父親に、苦しさで目をつぶり、歯を食いしばっている母親。そんな二人がぼくに気づくはずがない。

 そして、完全に父親の背後に立ったぼくは、その背中めがけて包丁を思いっきり振り下ろした。その衝撃を受け、ゆっくりと振り向いた父親の驚愕に満ちたあのカオを、ぼくは一生忘れないだろう。

 動きが止まった父親から包丁を抜くと、噴き出した血がぼくの顔に飛び散る。それと同時に倒れていく父親。ぼくには、それがスローモーションで映って見えた。


 そう、これがぼくの人生で初めての殺人だった。


 ほおを拭ったときについた血がべったりとついた紅い手と、その手にある包丁を見たとき、ぼくは快楽に目覚めたのだ。紅い血を求める本能に、ね。

 やがて、かろうじて生きていた母親がセキをしながら起き上がり、血まみれになったぼくを抱きしめてきた。確か「ああ、よかった」とか言っていたかな。

 しかし、人を殺すという快楽に目覚めてしまったぼくは、もう一度それを味わいたくて仕方がなかった。母親は完全に安心しきっていたので、ぼくが包丁を持っていることを忘れていたらしい。いや、普通はこんな子供がそんなものに目覚めたなんて、夢にも思わないか。

 ぼくは母親を抱きしめるフリをして、持っていた包丁を背中に突き刺した。母親から離れ、わけがわからないというようなカオをしている彼女に向かって、ぼくは無邪気に笑って――いや、嗤ってみせたあと、今度は前から胸を一突きしたのだった。


 これが、ぼくが初めて人を殺したときの全貌にして真実である。




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