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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
間奏Ⅱ
44/58

to the End

 ガチャリ、自室のドアを開けてリビングに向かう。


(――ああ)


 しかし、今日はいつものようないいニオイはしないし、キッチンのテーブルに朝食は用意されていなかった。

 何故なら、「彼女」はもういないのだから。

 ぼくが、彼女を殺したのだから。

 ドサリとソファーに腰を下ろして天井を仰ぎ、静かに目を閉じる。


(わたしを、殺してくれませんか?)


 それが、彼女の「最後のお願い」だった。


(人を殺す、なんてやめてください)


 それが、彼女の「最初のお願い」だった。

 記憶の中の「誰か」を彷彿させることを二度も言っていた彼女が、自分を殺してほしいと言った。ああ、何て滑稽なんだ。


(そう。じゃあ、残念だけど――サヨナラ、だね)


 そうしてぼくは引き金を引き、彼女を殺した。心臓を正確に撃ち抜いて即死させる。一番苦しまない方法だ。

 ぼくは彼女のことを、死神の彼や自殺願望の彼のように「面白い」とは思わなかった。だから、ぼくにとって彼女は何の価値もなかった。だけど、不思議とわずらわしくはなかったし、料理も美味しかった。しいて言うなら、それが彼女の価値だったかもしれない。本当に、それくらいの人間だったのに。

 なのに、これは悼み、だろうか。そんな感情は遠い昔に置いてきたはずだったのに。


「オハヨウ」


 突然声をかけられ、目を開けてその方向に顔を向けると、ドアの近くに彼が立っていた。ぼくもおはよう、と一言だけ返す。


「……彼女が使ってた部屋の机に上に、手紙が置いてあったよ」

「へえ、よかったじゃないか」

「……ごめん、ね」


 その声は、昨日――正確には今日だが――と同じように弱々しいものだった。

 どうして君が謝るの? 彼からすれば、悪いのはぼくなのに。ぼくは憎まれたって仕方ないことをしたはずなのに。


「何のことかな」

「ううん、別にっ」

「そう」

「ふふ、やっぱり君は君だね」


 わけのわからないことを言って、くすくすと笑う彼。どうやらこれは作り笑いではないようだ。彼女からの手紙に何が書いてあったのかは知らないが、いつもの彼に戻ったようなので、感謝するべきだろうか。

 すると、ひらり、と彼の服から紙のようなものが落ちた。まさか彼女からの手紙を早速落としたのだろうかと思ったが、拾い上げてみると、それは手紙ではなく一枚の写真だった。

 そこに写っていたのは制服を着た彼と、同じく制服を着た少女。後ろには高校の卒業式を示す看板があり、二人の手には卒業証書を入れる筒が握られていることから、彼の高校の卒業式のときの写真だということがわかった。では、この少女が――


「これ……」

「ん? ああ、ごめんね」


 彼は受け取った写真を見て、ふ、といつか見たようなやさしい笑みを浮かべた。


「この女ノコがボクの大切な人だよ。君も知ってるだろう?」

「え?」

「だって、君が彼女を殺したんだから」


 にこり、彼はいつもの作り笑いをよこした。


「――さあ、憶えてないな」

「あはは、君ならそう言うと思ったよ」


 じゃあボク、死神の仕事してくるから、と言い残し、彼は部屋を出ていった。


 あの写真に写っていた少女を、憶えていない、はずがない。忘れていた、忘れたかった――いや、忘れることができなかった、記憶の中の「誰か」。ぼくが彼と出逢う前に、最後に関わった「他人」。

 写真に写っていた彼の大切な彼女、それは。


(ぼくの大切な人、だった)




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