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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第二章 蒼い月が嘆く夜に
26/58

12

 生きる意味も、目的も、価値も、

 そんなもの、僕には必要ないと思っていた。


       * * *


「君は世界が嫌いっていう理由だけで、自分が何のために生きているか考えたことがなかったの?」


 次の日、またしても僕の部屋に来た快楽殺人者の彼が問いかけてきた。昨日、あんなことがあったというのに誘う死神も死神だが、それを断らずについてくる彼も彼だ。

 そう思ってため息をつきたくなると同時に、ちょっと泣きたくなった。何故なら――


「君、何か怒ってない?」


 僕の気持ちを代弁するかのようなセリフを発したのは、死神だった。そう、先ほどの快楽殺人者の彼の声には、昨日と同様に怒気がこもっているように思えたのだ。しかも、そのカオはちょっと……いや、かなり不機嫌そうに見える。

 しかし、僕はそんなことを声に出して言える勇気はないので、今日ほど死神の存在をありがたいと思ったことはない。

 すると、それを聞いた彼はふ、と嘲るような笑みを浮かべた。


「いや、たかがそれくらいで世界に絶望して、自分の生きる意味を考えたことがないなんて、くだらないと思ってね」


 ぞくり、一瞬ものすごい殺気を感じた。やはり相当怒っているらしい。

 確かに生きる意味を考えたことはなかったけど、僕は小さいころから苦労した結果、世界に絶望したんだ。それをくだらないなんて一蹴されて――も、僕は何も言えず、ただ黙って唇を噛むことしかできなかった。何故かこの人には反論できないのだ。

 それでも、ぼくはぎゅ、と拳を握り、勇気を振り絞って口を開いた。


「あ、あなたは死のうと思ったことはないんですか?」

「ないよ」

「で、でも昨日――……」


(ああ、してるよ。もう戻れないに深く、ね)


「って……」

「ああ、そんなこと言ったっけ。残念だけど、今はもう世界を見下してるから、絶望なんてしてないよ」

「ボクも君がそんなことを思ったことがあるなんて初耳だったけどさ、そんなに深く絶望したら、普通死にたくならない?」

「確かに絶望は死に至る病だ。でも、ぼくにはまだ希望が残っていたからね」

「希望……?」


 何故、彼はそんなに深い絶望を味わったのに、その中でも希望を見出すことができたのだろうか。そもそも、彼の「希望」って一体――刹那、彼はニィ、と嗤った。


「これほどにないくらいの深い絶望の淵に立たされたぼくに残された唯一の希望――それは、人を殺すことだよ」

「――は」

「快楽と血。痛みと恐怖に歪むカオと、飛び散る緋色の鮮血。ぼくはそれを求めて生きている。それがぼくの希望、そして生きる意味だ」


 息が、止まった気がした。

 ――この人は何を言っているんだ?

 愕然と見つめたその瞳には、狂気と狂喜の色が映っていた。


「久々に聞いたね、それ」

「そう? 何なら、君が飽きるまで言ってあげようか?」

「あははっ、それもいいね」


 そう言って死神は笑い飛ばしたが、いいわけないだろう? そんなの、異常だ。


「……ってる」

「え?」

「狂ってるよ、そんなの。人を殺すことが生きる意味だなんて、そんなの狂ってる!」

「君がそう思いたければそう思えばいい。ぼくの中ではこれが『正常』で、ぼくは自分の本能に従っているだけなんだから」

「そ、んなの……」


 動揺を隠せない僕に、彼は薄く微笑みかけた。


「生きる意味なんて、案外そんなものだよ」


 その言葉に打ちのめされたような気がして、僕はがくりとうなだれた。

 本能の求めているものが生きる意味? そのためなら何をしてもいいって言うのか? そんなの、間違ってる。それなら、生きる意味なんてないほうがマシだ。


「君がこの世界は腐っていると思おうと、彼がこの世界を大嫌いだと言おうと、そんなのは君たちの勝手だ」


 そう語る快楽殺人者の声は、乱れた僕の心とは反対に、とても穏やか――悪く言えば平坦――だった。


「だけど、それは君たちの独りよがりな意見であって、世界は誰のことも見ていない。世界はただ存在して、今日も廻っているだけさ。生きているのは生物だけ、悩むのは人間だけだよ」

「……何が、言いたいんですか」

「自分で生きる意味が見つけられないのなら、他人に見つけてもらえばいい」


 その言葉に驚いて、僕はばっと顔を上げた。

 どういうことだ? この人まで、僕に生きろと言うのか?


「そういう点では、彼は良い見本だね。他殺願望――つまり、他人に判断をゆだねたんだからね」


 彼がちらりと死神に視線を送ると、死神はにこっと笑った。

 生きる意味がないのなら、他人に見つけてもらえばいい? 死神のように、他人に判断をゆだねればいい? ――わからないよ。僕は早く死にたいと思っている自殺願望者で、「死」だけが救いのはずなのに。

 混乱する思考の中で、僕はそのとき――いや、もしかしたら初めて逢ったときからだろうか――思ったんだ。僕に最後の審判を下すのは、「彼」かもしれない、と。




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