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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第二章 蒼い月が嘆く夜に
16/58

02

 始まりは終わり、終わりは始まり。

 終わりの物語は、まだ始まったばかりだ。



       * * *



 僕の目の前でにこりと笑ったこの男は、今、何と言った?

 僕の聞き間違いでないのなら、確かこの男は――


「死神……?」

「そうだよ」


 確認のために口にした疑問に、男はまた笑みを浮かべてそれを肯定した。

 この男が死神だって? 確かに、葬式にでも出るかのような真っ黒なスーツで身を包み、さらには真っ黒なロングコートを着ているが、ただそれだけだ。僕の中での「死神」というのは、ガイコツが鎌を持っているイメージであり、目の前にいる「自称死神」とは似ても似つかない。


「信じられないってカオしてるね」

「……当たり前じゃないか。君のどこが死神だっていうのさ。僕にはただの人間にしか見えないね」

「うーん、じゃあ、これでどうかな?」


 何をするのかと思った次の瞬間、男はふわりと宙に浮いた。


「ね、これで信じてくれるかな?」


 にこり、男は微笑む。

 信じるも何も、男はただ浮いただけだ。人間ではないということは認めるが、これが死神であるという証拠にはならず、ただのユーレイだという可能性もある。アレ、でもユーレイって足あるんだっけ?

 まあそんなことはどうでもいい。それよりも気になっていたのは、この男の笑顔だ。先ほどから何回か笑みを浮かべているが、そのほとんどが作り笑いだった。僕はちょっとした過去の経験から笑顔には敏感なので、人の笑顔がホンモノかニセモノか見分けることができる。だから、僕はこの男が信用できない。

 でも、自殺をしようとしていた僕の前に現れたということは、やはり死神なのだろうか? いや、そんなことすらも今はどうでもいい。今、僕がこの男に確認したいのは一つだけだ。


「僕は、生きているの?」

「――うん。そうだよ」


 わずかな間を置いて放たれたのは、僕を絶望へと突き落とす言葉だった。

 ――やっぱり、僕は生きているんだ。

 そう実感すると同時に、心臓の音がはっきりと聞こえてきた。ああ、この鼓動が僕の「生」を物語っている。


「君は、本当に死神なの?」

「そうだよ」

「じゃあつまり、僕を迎えにきたってこと?」

「アタリ」


 にこり、男はまたキレイに笑った。はたから見ればにこやかな愛想のいい人間――いや、彼は「人間」ではなく、自称「死神」か――だが、その笑顔が作りものだとわかっている僕には、うさんくさく、何を企んでいるのかわからない、怪しい人物としか思えなかった。

 そして、僕はこの男に聞きたいことがもう一つできてしまった。


「ねえ」

「何かな?」

「僕を迎えにきたんだったら、どうして僕は今、生きてるの? どうして、僕は死ねなかったの――……?」


 そう、この男が僕を迎えにきたということは、僕は死ぬ運命にあったということだ。それは僕にとって願ってもいない、とても喜ばしいことだった。

 それなのに、僕は死んでいない。死のうと思って飛び降りたのに、僕の心臓は正常に動いている。一刻も早く、この腐った世界から逃げ出したかったのに。

 生きているという現実を実感すると同時に、どうして、と悔しさがこみ上げてきて、ぎりっ、と唇を噛んだ。

 すると、死神はまたにこりと笑った。


「それはね、君はホントウに死ぬに値する人間かどうか、ボクが判断するからだよ。だから、まだ君に死なれちゃ困るんだよね」


 今どきの死神は、そんな査定みたいなこともしなくちゃいけないのか? 人を死なせるための死神が、もしくは死ぬ人間を迎えにくるはずの死神が、どうしてそんな判断をする必要がある?

 ――くだらない。


「僕は、死ぬべき人間だ。だから、早く連れていってよ」


 僕がどういう人間か、なんて僕が一番よくわかっている。僕は誰よりも死ぬに値する人間なんだ。――いや、本当に滅ぶべきなのは、この腐った世界なのかもしれないけれど。

 すると、死神は一瞬目を見開いたあと、今度は作り笑いではなく、本当に愉快そうに口元を歪めた。


「面白いね、君。気に入ったよ」

「じゃあ――」

「でも残念。その審判を下すのは、ボクだよ」


 男は何がおかしいのか、くすくすと笑っていた。

 ああ、どうやら彼は本当に死神のようだ。僕にとって、この腐った世界で生きることは何よりもつらい。それなのに、彼が最後の審判を下すそのときまで、僕に生きていろというのだから。




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