闇医者は、患者の身体を治さない
「先生! 患者です!」
深夜の街に、乱暴なノックの音が響いた。俺は机の上に置いていた本を閉じる。時計を見ると、午前二時を少し回ったところだった。
こんな時間にやってくる患者が、まともな病気であるはずがない。そもそも、俺の診療所にまともな患者が来ること自体、ほとんどない。
「運び込め」
「はい!」
扉が開き、男たちが一人の少女を抱えて入ってきた。少女は十六歳くらいだろうか。顔は青白く、呼吸も浅い。腹部には大きな傷があり、服は血で真っ赤に染まっていた。
「馬車に轢かれた。普通の医者にはもう無理だと言われた。でもあなたなら治せると聞いたんだ」
患者を運んできた男が、震える声で言った。
「そうか」
俺は少女のそばにしゃがみ込む。脈を取る。弱い。かなり危険な状態だ。
「あと何分持つ?」
「分からない。だが、ここまで来るのに一時間近くかかった」
「そうか」
俺は少女の顔を見る。意識はない。腹部の損傷だけではない。肋骨が数本折れている。肺にも穴が開いている。内臓もいくつか損傷している。
通常の医者なら、まず助からない。
いや。この世界で最高峰の治癒魔法を使える人間でも、おそらく無理だ。
「先生……助けられるのか?」
男が尋ねる。
「助けられる」
即答した。
男の顔に希望が浮かぶ。だが、俺は続けた。
「ただし、少し変わった治療をする」
「何でもいい! 金なら払う!」
「金の話じゃない」
俺は少女の額に手を置く。
「この子の身体は、もう治す価値がない」
男が絶句した。
「……は?」
「壊れすぎている」
少女の腹部を見る。
「心臓も肺も内臓も、あちこち壊れている。普通なら一つずつ治すところだが、俺はそんな面倒なことはしない」
俺は魔力を集中させる。
「全部作り直す」
空気が変わった。
俺の魔力が少女の身体を包み込む。そして、俺は彼女の魂に触れた。
「《魂魄離脱》」
淡い光が少女の身体から抜け出した。少女の身体が、完全に動かなくなる。
「先生……?」
男が後ずさった。無理もない。目の前で、生きていた少女の身体から光の塊が抜け出したのだから。
光は人間の形をしていた。少女の魂だ。
俺はそれを両手で受け止める。
「安心しろ。まだ死んでいない」
「でも、身体が……!」
「身体は死んだ」
俺は平然と言った。男の顔から血の気が引いた。
「なっ……!」
「だから言っただろう。治すんじゃない。作り直すんだ」
俺は少女の魂を見つめる。魂の内部には、無数の情報が刻まれている。
骨格。筋肉。血管。神経。臓器。脳。
生まれた瞬間から現在まで、この魂は自分自身の身体を記憶している。魂魔法を使える俺には、それが見える。
損傷した身体を調べる必要すらない。魂の中には、この少女が本来持っていた身体の設計図が存在している。俺はその情報を読み取っていく。
「身長百五十八センチ。体重四十六キロ。左肩に古い骨折跡……これは五歳くらいか。心臓に軽微な先天的特徴あり。肺は正常。肝臓も問題なし」
男が呆然と俺を見ている。
「何を……している?」
「診察だ」
「魂を見ているのか?」
「そうだ。俺にしかできない」
俺は少女の魂を胸元に浮かべた。そして、床に残された少女の肉体を見る。
「この身体はもう使えない」
指を鳴らす。少女の肉体が淡い光に包まれる。次の瞬間。肉体が崩れた。血も。骨も。肉も。すべてが魔力へと変換され、消えていく。
男が悲鳴を上げた。
「何をしている!」
「捨てている」
「捨てるって……!」
「壊れた身体を残しておく意味がない」
俺は魂に手をかざした。
「これから新しい身体を作る」
魔力が集まっていく。
最初に骨が生まれた。一本。また一本。少女の魂に刻まれた情報を正確に読み取りながら、骨格を組み上げていく。
次に筋肉。血管。神経。内臓。肺。心臓。そして脳。
一つ一つを、本来の状態へ戻していく。
俺が作っているのは、治癒された身体ではない。まったく新しい身体だ。それでも魂は、その身体を「自分の身体」だと認識する。
やがて、少女の身体が完成した。傷一つない。血液も正常。内臓も正常。肺も正常。心臓も正常。俺は最後に魂を身体へ重ねた。
「《魂魄定着》」
光が少女の身体へ吸い込まれる。
しばらくして少女の指が動いた。
「……ん」
ゆっくりと目が開く。
「ここ……どこ……?」
男が息を呑んだ。
「リナ……?」
少女が男を見る。
「お父さん……?」
男はその場に崩れ落ちた。
「リナ……!」
少女を抱きしめる。
少女は困惑したように周囲を見回している。当然だ。彼女は自分が死んだことを知らない。そして、自分の身体が一度完全に消滅したことも知らない。
俺は椅子に座った。
「治療は終わりだ」
男が顔を上げる。
「先生……」
「しばらく安静にしておけ。身体は新品だが、魂のほうは疲れている」
「新品……?」
「ああ」
俺は少女を見る。
「お前の元の身体はもうない」
少女が目を丸くする。
「え?」
「今のお前の身体は、魂に保存されていた情報を使って一から作ったものだ」
沈黙。少女の父親も、少女自身も何も言わない。やがて父親が震える声で尋ねた。
「それは……本当に、娘なんですか?」
俺は少しだけ考えた。
「記憶も同じ。人格も同じ。魂も同じだ」
少女を見る。
「だから、俺は同じ人間だと思っている」
「でも……身体は……」
「違う」
俺は淡々と答えた。
「だからこそ、俺の治療は表では認められない」
この力を知った人間は、俺を恐れる。当然だ。一般的な医者は、人間の身体を治療する。
俺は違う。俺は魂を取り出し、壊れた身体を捨て、魂を設計図にして新しい身体を作る。治療と呼ぶには、あまりにも異質だった。
そして、この世界では魂に触れる魔法は禁忌とされている。だから俺には医師免許がない。
いや。正確には、取れない。魂魔法を使った治療を認める法律など、この国には存在しないからだ。
それでも患者は来る。正規の医者では助けられない人間が、最後にここへ来る。俺はそれを拒まない。理由は単純。治せるからだ。俺はそれだけで十分だと思っている。
翌朝。俺の診療所には、また一人の患者が運び込まれた。今度は右腕を失った男だった。
「先生……頼む」
男は血まみれの身体で言った。
「俺の腕を……治してくれ」
俺は男の右肩を見る。腕は肘から先がない。普通の医者なら、義手を勧めるところだろう。俺は男に尋ねた。
「本当に腕が欲しいのか?」
「当たり前だ!」
「分かった」
俺は立ち上がる。
「なら、腕だけじゃなく身体ごと作り直す」
男が目を見開いた。
「……身体ごと?」
「ああ」
俺は右手を差し出した。
「少し死んでもらうぞ」
「…………は?」
これが、俺の診療所の日常だった。




