もう一人の勇者
「勇者が、出発した……ですか?」
「ああ、だから、記念式典があったのさ。盛大に住民たちで見送ったよ。今は、露店も大体撤収してるね。お兄さんたち、一足遅かったねぇ」
「……」
勇者が出立する記念式典。
それは、僕も以前に聞いたことがあるものだ。
まず、体の一部に『勇者の刻印』を持って生まれた者は、『天樹教』の総本山である大聖堂に、成年になったら向かうと言われている。
そこで勇者は『天樹教』の巫女により祝詞を捧げられ、指定された場所にある聖剣を抜きに向かうのだとか。そして聖剣を持って再び『天樹教』の大聖堂を訪れ、巫女により聖剣への祝福が施されるのだという。
そして、そんな勇者出立の儀、聖剣への祝福の儀が行われる日は、ストーンデール全体でお祭り騒ぎになるのだという。何せ三十年に一度訪れるか訪れないかの一大イベントだ。街中で騒ぐのも仕方ないというものだろう。
僕がストーンデールの宿に泊まっているときも、「ここ五十年ほど、勇者さまが出立していませんからねぇ……」と嘆いている声を聞いた。
「なんと……!」
そして、盛大に驚いているのは隣のチェリルである。
それもそのはずだ。チェリルは聖剣を抜いたし、臀部に勇者の刻印がある。つまり、間違いなく勇者なのだ。
勇者というのは必ず一人しか存在せず、前の勇者が命を失うと共に新たに生まれるのだと聞く。つまり、今この世界にはチェリル以外に勇者などいないのだ。
だというのに、勇者が旅立った。
その話が、全く理解できないのも当然のこと――。
「わたしがローレンス洞窟に向かうことが、そんなに騒ぎになっていただなんて!」
「……」
しかし残念ながらこの娘、アホである。
何をどう変換すれば、既にストーンデールで行われた勇者出立の儀が、自分に対して行われたものだと考えるのだろうか。
門兵は、そんなチェリルの言葉に対して快活に笑った。
「どうしたんだい、お嬢ちゃん。勇者さまに憧れているのかな?」
「あ、いいえ! わたしが勇者なんです!」
「ははは。そうかそうか、元気なのはいいことだよ」
「はい!」
「よし。それじゃ、ストーンデールの街へようこそ!」
全く信じていない門兵と、全く信じてもらえていないことにすら気付かないチェリル。
しかし、全く僕には意味が分からない。チェリルが勇者であることは間違いないというのに、何故もう勇者が出発したことになっているのだろう。そんなにも、勇者の審査というのはガバガバなのだろうか。
とはいえ、ひとまず門兵に通行料を支払い、問題なく僕たちはストーンデールの街に入ることができた。
だが同時に、少々気になることもある。
「えーと……チェリルさん」
「はい?」
「とりあえず、先に宿をとっておきましょう。チェリルさんは、お風呂のある宿屋を知っていますか?」
「あ、はい。わたしが昨夜泊まったところがありますよー!」
「それじゃ……そこを二部屋、とっておいてもらえます? ちょっと僕は、この人に色々話を聞きたいんで」
「わかりましたー」
ふんふーん、と嬉しそうに鼻歌を鳴らしながら、走っていくチェリルを見送る。
チェリル以外の勇者が出立したということは、その勇者は恐らく偽物だ。どうやって『天樹教』を騙したのかは分からないけれど、下手にここに長居するのは悪手である気がする。
そもそも僕の目的は、チェリルに聖剣を抜いてもらうことなのだ。ここで、どちらが勇者であるかの諍いを行ってもらっても困るというものである。
僕は踵を返して門に向かい、先程の門兵へと近付いた。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、良いですか?」
「うん? ああ、お兄さんまだいたのかい」
「ええ。ちょっと、勇者さまについて聞きたいんですけど……その方は、どんな方でしたか?」
「いやぁ。凄い人らしいぜ」
門兵が嬉しそうに、誇らしげにそう言ってくる。
ストーンデールの住民は勇者という存在を何度も見送っている歴史があるから、勇者に対して誇りを抱くのだろうか。
「そうなんですか?」
「何せ今回の勇者さまは、前代未聞だったらしいぜ。何せ普通、『天樹教』の巫女さまから聖剣の場所を教えられてから、抜いて戻ってきてから壮行式典に移るのが普通なんだ。だってぇのに、新しい勇者さまは、巫女さまの導きなく聖剣を抜いてきたってんだからねぇ」
「……」
ふむ。
だが今のところ、僕の聞きたい内容ではない。
僕が手に入れておかねばならないのは、偽勇者の外見情報だ。
もしかすると、僕の知っている聖剣の場所に来るかもしれない。そのとき下手に鉢合わせて、チェリルが真の勇者であることが知られると困る。偽勇者の性格によっては、その場でチェリルを亡き者にする可能性だってあるのだ。
せめて性別や髪の色、肌の色、背格好――そのあたりの情報を手に入れることができれば。
「いやぁ、偉丈夫だったねぇ。男の俺でも、格好いいと思うくらいの男前さ。背も高いし足も長いし、俺もあんな風に生まれたらなぁ、って思うよ」
「ほうほう……髪の色は?」
「これもまた、嫌味なくらいに透き通った銀髪でねぇ。肌も白いし、あれが絶世の美青年って言うんだろうね。ああいう特別な人間ってのが、勇者に相応しい人物なんだろうさぁ」
「……」
残念ながら僕は、ちんちくりんで不器用で無駄に元気なだけの特別感ゼロな勇者を知っている。
確かに、チェリルの外見的特徴に比べれば、遥かに偽勇者の方が勇者に見えるだろう。少なくとも、何の情報もなく偽勇者とチェリルを並べて『どっちが勇者でSHOW!』を行えば、十対ゼロで偽勇者に票が入ることだろう。
だが、ひとまず外見的特徴は把握した。門兵がそこまで言うほどの美青年ならば、見れば分かるだろう。こちらから聞いてもいないのに、背格好や肌の色まで教えてくれたのは僥倖だ。
「ありがとうございます。いや、もし会ったらご挨拶しておきますね」
「ああ、そうするといいよ。お兄さんは、娘さんと二人で旅をしているのかい?」
「えーと……」
僕とチェリル、親子に見えるのだろうか。
まぁ、そう見ておいてくれる方が有難いか。現状、僕とチェリルの関係性を説明する言葉って何もないし。
「そうなんです。一応、僕が冒険者でして」
「あんまり、娘さんを巻き込んで危険なところには行くんじゃないよぉ」
「そうですね。簡単な依頼だけをこなすようにして、まず娘に慣れさせていきます」
「ああ、ああ。それがいいさ!」
はっはっは、と快活に笑う門兵。
そう話している間に、どうやらチェリルが仕事を終えたらしく、小走りで戻ってきていた。割と早く戻ってきたことだし、門に近い場所にある宿なのかもしれない。
「おや、娘さんはお使いに行ってたのかい?」
「ええ、そんなものです。それでは、僕はこれで」
「ああ、ストーンデールの街はいいところだからな、楽しんでいってくれ!」
「ありがとうございます」
言葉の端々から、良い人だということが伝わってくる門兵だった。
騙すのは気が引けるけれど、下手に疑心暗鬼をもたれるよりはマシだろう。
僕も門から街の中へと入り、チェリルと合流する。
「それじゃ、チェリルさん。行きましょうか」
「それじゃ、宿に行きましょう! まずはお風呂です!」
「はいはい」
チェリルに腕を引っ張られて、僕も小走りになってしまう。
そんな僕たちの姿を見たのか、先の門兵が。
「おーい、お嬢ちゃん! ちゃんとお父さんの言うことを聞くんだぞー!」
と。
無駄に大きい声で、チェリルへ向けて告げた。
「……」
不味い。
これで、「えっ! ゼノさんはお父さんじゃありませんよ!」などと言い出したらどうしよう。親子じゃないのか。えっ、じゃあどういう知り合い。さっき出会ったばかり? 怪しいな、ちょっとこっちに来てくれ――そんな流れになりかねない。
そう、僕が内心でダラダラと冷や汗を流していると。
「……? 変な人ですねー」
「え」
「わたしはちゃんと、お父さんの言うことは聞いてますよ。ごはんの後には歯を磨きなさい、とか。お風呂に入った後はちゃんと服を着ないと湯冷めしちゃう、とか」
「……」
うん。
チェリルがこういう子で良かった。