ストーンデールの街
洞窟から脱出するまで、チェリルは合計で七回転んだ。
無害なスライムしかおらず、それも然程多くないローレンス洞窟だというのに、どうして転ぶたびに顔がスライムまみれになるのかは心から謎である。そのたびに回復魔法をかけてはいたのだが、魔力と共に気力すらも抜けてゆく感覚すらあった。
今後のことを考えると、溜息しか出てこない。
そして、洞窟を抜ければ見えるのは一面の草原だ。既に日が傾いており、僕たちの影も長く伸びている。
「さぁ、ではストーンデールに向かいましょう!」
「……本当に行くんですか?」
「はい! わたしが勇者だと、必ず認めさせてみせますから!」
「……信じてくれないと思いますけどねぇ」
とりあえず、臀部にあるらしい勇者の刻印は見せたくないらしいし。
つまるところ、チェリルが「わたし聖剣抜きました!」と説明して、僕がそれを真実であると擁護しなければならないらしい。僕が『天樹教』の偉いさんならば分かる話だけれど、残念ながら僕は『天樹教』からすれば、完全に部外者である。
そんな僕が擁護したところで、何の意味もないと思うのだが。
「ところで、ゼノさん」
「はい?」
「その……ゼノさんはどうして、わたしを助けてくれるつもりになったんですか?」
「……」
チェリルから発せられる、そんな疑問。
まぁ、抱いて当然の疑問だろう。そもそも僕とチェリルは、洞窟の奥で初めて出会ったのだ。そんな僕が、チェリルの聖剣探しの冒険に付き合うわけである。
中には危険な場所にある聖剣もあるし、この鈍臭いこと極まりないチェリルを護衛する苦労を考えると、今から胃が痛くなる。
「はっ! まさかわたしに一目惚れをしたとか!?」
「僕があなたに一目惚れする要素が一ミリでもありました?」
「ひどいっ!」
「事実です」
そもそも、出会った時点で満身創痍のチェリルだ。
気になったとか好きだとかそういう感情は全くない。そもそも子供だし、そんな感情を持つ方がおかしいだろう。
「まぁ……そうですね。ただの興味本位です」
「興味本位……ですか?」
「ええ。そもそも僕、勇者って初めて見ましたし、聖剣を今まで旅しながら、幾つか見てきました。中には、村の近くで管理されているものもあって、一回抜くのに銀貨一枚の挑戦料を請求されたこともあります」
「ほへー」
やや驚く素振りを見せるチェリル。
まぁ、銀貨一枚なんて子供の小遣いくらいのものだ。僕も、物見遊山で挑戦したことがある。当然抜けなかったし、管理しているおっちゃんが「ここ三百年くらい抜けてねぇんだぜ」と言っていたことを覚えている。
「まぁ、ひとまずストーンデールに向かいましょう!」
「やっぱり行くんですね」
「まずは、お風呂に入れる宿を探しましょう! スライムでべたべたして気持ちが悪いですから!」
「……お風呂に?」
思わず、そう疑問が口から滑る。
冒険者が泊まる宿には、幾つかの格があるのだ。
最も低い格の宿なら、それこそ知らない相手と同じ部屋で、与えられる空間はベッド一つ分である。一応小さな金庫は備え付けられているけれど、荷物が盗まれたという話も枚挙に暇がない。その分一晩の宿泊費は途轍もなく安い。
次の格となれば、一応個室だ。しかし風呂は設置されていないし、受付に頼めばお湯と布をくれる、という程度である。それで体を拭いて汚れを落とすのが、一般的だ。こちらは宿泊費がそれなりにかかる。
そして最上格となるのが、風呂のある宿である。そもそも風呂のある宿というのは、手間をかけて風呂の温度を保たなければならないか、源泉を引かなければならないのだ。風呂の温度を保つために、冒険者を諦めた魔術師を風呂焚きのために雇う例も珍しくない。そして当然ながら、一晩の宿泊費はべらぼうに高い。
上から銀貨一枚、銀貨五枚、銀貨十枚――普通に考えて、一晩の宿泊費にそれくらいの差がある。
駆け出しの冒険者であるならば、宿泊費にそれほど出せないと思うのだが。
「……へ?」
だが、何故か僕はチェリルから、「お前は何を言っている?」という目で見られている。
極めて一般的なことしか、僕は言っていないはずなのだが。
「いや、だって風呂に入れる宿って、かなり高くないですか?」
「でも、お風呂は入らないといけませんよ?」
「……旅の食料とか、魔法薬とか、そういうのにお金を回した方が」
「いえ! お風呂には、絶対に入らなければいけませんから!」
「何の拘りなんですか……」
まぁ、子供とはいえ女子だ。ちゃんとお風呂で身を清めたいと思っているのだろう。
そのために掛かる費用を考えると、今から頭が痛いけれど。チェリル、お金持っているのだろうか。
「あ、ちゃんとわたしの宿代は、ちょっとくらいなら出しますから!」
「なんで僕が払うことが前提なんですか」
「えっ!?」
「そこで、本気で疑問に思います……?」
今までの人生、誰かに払ってもらってばかりだったのだろうか。
そして僕は当然、チェリルの宿代を出すつもりなどない。仲間ではあるが、保護者ではないのだから。
ぽつぽつと、農村のあばら屋も増えてきて、周囲が暗くなってきた頃合いで。
ようやく、草原の向こうに石壁の街が見えてきた。
「あっ! 見えてきました! ストーンデールです!」
「ですね。さっさと『天樹教』の大聖堂に向かいましょう。門前払いされるでしょうけど、それで満足するのでしたら」
「あれ……お祭りをやっていませんか!? 急ぎましょう!」
「人の話をもう少し聞いてもらえません?」
ストーンデールの街。
大きな壁に囲まれたそこは、ブリスペル共和国の首都だ。国内では最も発達している街であり、『天樹教』の本拠地がある。僕も、ローレンス洞窟に行く前にはここで一泊し、出発したのだが。
「でも、確かに何か聞こえますね」
「何か、騒ぐ声も聞こえますよ! やっぱりお祭りなんです!」
「お祭り……この時期にブリスペルで何かありましたっけ……?」
「串焼き! 焼きもろこし! それに揚げ芋! 屋台がわたしを待っています!」
「お祭りというか、食べ物にしか興味はないんですね」
ストーンデールに近付くにつれて、人の騒ぐ声が大きくなってくる。
正直、僕は人混みが苦手なので、あまり長居はしたくない。というか、本音を言うならストーンデールには行きたくない。何せ、もうストーンデール最寄りの聖剣を抜いてしまったから、全く用事などないのだ。
だから、早く次の目的地へ向かいたいものだが、チェリルの頭の中は既に「食べ物! お風呂!」に支配されてしまっている。
「はー……」
そして、僕たちはようやくストーンデールに到着する。
あとは門兵に通行料さえ支払えば終わり――なのだが。
「ようこそ、ストーンデールの街へ」
「こんにちは! 今日はお祭りなんですか!?」
「ああ、噂を聞いてきたのかい?」
笑顔の門兵に対して、チェリルもまた笑顔で返す。
どうやら、お祭りが行われているというのは本当であるらしい。まぁ、そうでなければこれほど騒ぐ声が響くこともないか。
まぁ、僕には関係ない――そう思いながら、聞き流していると。
「でも残念だけど、勇者さまはもう出発されたんだよなー」
「……へ?」
そう。
意味が分からないことを、告げられた。




