洞窟からの帰還
ひとまず僕と少女――チェリルと名乗った勇者は、共に洞窟を出ることになった。
下手に滞在することで、他にやってきた冒険者に聖剣の行方を尋ねられても困るし、それこそ騒ぎになるかもしれない。ひとまず洞窟を出てから、落ち着けるところでまずゆっくり話でも――と思い、まず出ることになったのだが。
「ぴゃああああ!!」
「……」
「へぶっ! 痛い! 鼻痛い!」
「……」
「きゃあっ! スライムが顔にっ! ぬめぬめするぅ!」
とりあえず、僕に分かったことは一つ。
この女、絶望的なまでに要領が悪い。
「ふぎゅっ! 足っ! 足折れましたっ!」
「……人間、そんなに簡単に足は折れませんよ」
「もぉ……ひぇっ! 血! 血出たぁっ!」
「……そりゃ、壁に頭打ったら血も出ますよ」
はぁぁ、と隠しきれない溜息が口から漏れる。
このローレンス洞窟は、子供でも一時間あれば最奥まで到達でき、同じ時間あれば特に怪我もなく帰ることができるという、極めて平和なダンジョンだと言っていい。
生息しているのはスライムばかりで、そのスライムたちも特にこちらを襲ってこない。せいぜい、スライムのいるとこを踏んでしまうと足が滑って危険、といったくらいのものである。
だが、チェリルは。
見事なまでにピンポイントにスライムのいる場所を踏み、芸術的なまでに滑ってすっ転び、転んだ先にはちゃんとスライムがいて顔にへばり付き、どうにか立ち上がった先では頭を打つという素敵なコンボを重ねていた。
勿論ながら、両足でちゃんと立っているチェリルの足は折れてなどいない。自分で勝手に、折れた折れた詐欺をやっているだけである。
「はぁ……」
「ぴぇぇ! スライムがっ! スライムがまた顔にっ!」
「別に毒も何もありませんから、布かなんかで拭いておいてください」
危険度の高いダンジョンなら、中には触れただけで爛れるような酸のスライムだったり、誤って踏んでしまうと爆発するスライムがいたりする。特に危険なものでは、体そのものが溶岩でできているスライムもいるくらいだ。僕は話にしか聞いたことはないけれど、服だけ溶かすスライムとかもいるらしい。
しかし、このダンジョンにいるスライムは特にそういった害もない、ただぬめぬめしているだけの存在である。この辺りの郷土料理で、スライムを固めて干して切ったものを茹でた『スライム麺』なんかも有名なくらいだ。味はお察しである。
「はぁ、はぁ……なんて、危険度の高いダンジョンっ……!」
「出会ったときに満身創痍の理由がよく分かりましたよ」
「しかし、わたしは足を引きずってでも、このダンジョンの成果を……!」
「聖剣は砂になっちゃったので、何の成果もありませんけどね」
とりあえず、チェリルに回復魔法をかけておく。
根が単純なのか信じ込みやすいタイプなのか、僕が回復をかけるだけで元気いっぱいになっていた。足が折れたのも、どうやら治ったらしい。
この調子で、他の聖剣の居場所まで行けるのだろうか――そんな、一抹の不安が過る。
「あっ!」
「……? どうしました?」
「そういえばわたし、ゼノさんのこと何も聞いていませんでした!」
「……え? 僕のことですか?」
「はいっ! わたしたちは、仲間になりました。つまり、わたしとゼノさんはこれから、同じ穴の狢になるということです!」
「それ悪い意味ですからね」
多分、同じ釜の飯を食う、みたいな風に考えているのだとは思う。
しかし、僕のことを何も聞いていないとはどういうことだろう。別段、僕に話すようなことはないのだが。
「ええっと……わたしは、チェリル・ゴルトベルガーといいます!」
「想定以上に家名が物々しいですね」
「はい!」
「え……確か、ゴルトベルガーというと……?」
どこか聞き覚えのある家名に、思わず頭の中を探る。
確か、ストーンデールの街あたりで聞いた名前のはずだ。確か、ブリスペル共和国がまだ王政だった頃、権勢を誇っていた貴族家の一つだと聞いた覚えがある。
現在は共和制となったブリスペルではあるものの、旧貴族は未だに特権階級であると聞いた覚えが――。
「はい! お爺様の代まで、わたしの家は貴族だったらしいです。今は爵位を返上していますので、ただのゴルトベルガー家です」
「はー……まさか、旧貴族家のお嬢様だとは」
「わたしの佇まいから発せられる隠しきれない高貴さは、ゼノさんにも伝わったということですね!」
「……ええ、それでいいですよ」
隠しきれない高貴さとやらが、どこから発せられているのかさっぱり分からないが、頷いておく。
しかし、まさかチェリルがそんな出自だとは思わなかった。
「僕は、ただのゼノです。冒険者であって、旅人ですね」
「えっ! 家名がないのですか!?」
「田舎の方は、家名がある方が珍しいですよ。隣国のロシュフォール王国では、家名を名乗ることができるのは貴族だけ、って言われていますし」
「そうだったんですか……」
「僕は、そんな田舎から出てきた魔法使いです。色々、各地で聖剣の噂とかを聞いてはちょっと見に行ってるだけの変わり者ですよ」
「ほへー……」
興味深そうに、僕のことを見てくるチェリル。
嘘は言っていない。実際、聖剣の噂は色々聞いてきたし。この目で見た聖剣も、現在のところ三本ある。
だが、これ以上僕には語ることなど特にない。そもそも、旧貴族のお嬢様と僕では、話が合うはずがないし。
「ええと、それじゃあ……」
「洞窟から出たらどこに行きますか? とりあえず僕の知る限り、最も近い場所にあるのはゼッツブールの街からちょっと離れた位置にある……」
「あ、はい! まずはストーンデールに戻ります」
「えっ」
ストーンデールは、ブリスペル共和国の首都である。そして、ストーンデールの西にあるのがゼッツブールの街――次の聖剣に、最も近い街である。
そしてローレンス洞窟からゼッツブールに向かうためには、そのまま西に進めばいい。つまり、ストーンデールに一旦立ち寄る必要はないのだ。
だけれど――。
「わたしは、聖剣を抜きました!」
「ええ、そうですね」
「わたしが聖剣を抜いたことを、『天樹教』の大聖堂へ報告に行きます。そうすれば、わたしは勇者だと認めてもらえるんです」
「……聖剣、ありませんけど?」
考えてみよう。
聖剣を抜いたことを、『天樹教』の大聖堂とやらへ報告に行くとする。
その場合、考えられるやり取りはこうだ。
わたし聖剣抜きました。
では聖剣見せてください。
聖剣ありません。
当然、信じてもらえるはずがない。
「ですから、ゼノさんに証言してもらうんです。わたしが、間違いなく聖剣を抜いたと!」
「向こうからすれば、胡散臭い相手を擁護する胡散臭い相手でしかありませんけど」
「それでも、信じてもらえるはずなんです!」
「はぁ……」
そんな回りくどいことをしなくても、勇者だと証明する手段はあるだろうに。
勇者は生まれたその瞬間、体のどこかに『勇者の刻印』と称される痣を持っているはずなのだ。僕は見たことがないけれど、剣を模した刺青のように見えると聞く。
「『天樹教』に、チェリルさんの勇者の刻印を見せればいいんじゃないですか?」
「えっ……!」
そう、僕が言った瞬間に。
チェリルが、ぼっ、と音が出るくらいに顔を真っ赤に染めた。
「そ、そんなっ!」
「へ?」
「お、おしりなんて、見せられませんよっ!!」
「……」
ああ、そうですか。