宿へ
結論から先に述べると。
チェリルの財布は、見つからなかった。
「くすん……ぴえん」
「まったく……これからの路銀、どうするつもりなんですか……」
冒険者ギルドを出て、僕は頭を抱えるしかなかった。
ひとまずチェリルの冒険者登録は、問題なく終わった。当然、登録料である銀貨五枚を立て替えたのは僕である。僕だってそんなに金持ちというわけではないのに。
頸部の権能――『無限無尽の宝庫』を取り戻すことができれば、それこそ無限に存在する金貨を取り出すことができるけれど、今の手持ちは正直潤沢というわけではない。チェリルの元々持っていた金額より、ちょっと多いくらいだ。
今後の旅路で、冒険者として小銭を稼ぐ必要があるかもしれない。
「でもでも、わたし、ちゃんと腰につけて……」
「掏られたのかもしれませんね。ストーンデールほどではないにしても、ゼッツブールも人口が多いですから」
「ぴえん……」
「ひとまず、今後は僕が立て替えます。宿にお風呂は期待しないでください」
「……はい」
ひとまず、三日はここに滞在しなければならないのだ。
僕は宿に風呂がなくても大丈夫だし、支払いが僕であるならば宿の選択権もある。そもそも今夜も、もしチェリルが風呂に入りたいと言った場合、僕は別の宿に泊まる予定だったのだ。
今後は、『ロイヤル・ストーンデール』のような悲劇を起こすまい。
「冒険者がウェイデン遺跡のゴブリンを討伐してくれるまで、三日ほどかかるそうです。折角なので、この三日間働くといいかもしれませんね」
「えっ、ゼノさんが?」
「僕も働きますが、チェリルさんもです」
「わ、わたしも!? わたし、今まで働いたこと一度もないですけどっ!」
「庶民を敵に回す発言はやめましょうか」
お貴族様のお嬢様だから、まぁそれは仕方ないかもしれない。
だが、さすがにチェリルにも少しは働いてもらわないと困る。三日間だから大した稼ぎにはならないだろうけれど、当座の宿泊費くらいは稼いでもらわないと。
「でもでも……ゼノさん。わたし、何のお仕事ができますか?」
「そうですね……」
まぁ女性が働くならば、酒場や食堂の給仕といったところだろうか。チェリルなら愛嬌もあるし、チップも弾んでもらえるかもしれない。それに三日だけだから、それほど難しい仕事は任されないだろうし。
と、そこまで考えて全否定した。
絶対に、飲み物や料理を客に向けてぶち撒ける。
「あ、そうだ! お料理を運んだり!」
「絶対にやめてください。何もないところで転ぶでしょう」
「ぴえん……」
あとは何だろうか。
給仕だと客に迷惑をかけるだろうから、裏方で皿洗いだとか。
でも皿、間違いなく割る。途轍もなく割る。
「……」
簡単な荷運び――無理だ。転ぶ。
宿や食堂の清掃――無理だ。逆に汚す。
赤子の子守――無理だ。赤子に赤子の面倒は見れない。
犬の散歩――無理だ。迷う。
「うん」
「何かありましたかっ!」
「宿で大人しくしていましょう」
「いいんですかっ!?」
もう、それが最適解な気がする。
下手にチェリルに仕事をさせると、むしろ迷惑料とか慰謝料とか請求される未来しか見えない。それならば、宿で大人しくしてもらう方がマイナスがないだけましだ。
その分、僕がなんとかしよう。魔術師って、割と日雇いでも重宝されるし。
「その代わり、特訓でもしていてください。剣の扱いとか」
「あ、剣はちゃんと、手ほどきを受けたことがあります!」
「そうなんですか?」
「はい! メイドのマリカから教わりました!」
「……」
何故、メイドに剣を教わっているのだろう。
まぁ旧貴族家だし、女の子に剣の師など斡旋はしないのだろう。メイドから手遊び程度に教わったと考えればいいか。
できれば、剣の師を得て教わることができればいいのだけど。それでも、たった三日間雇うのに金を使いたくはない。
「マリカは、すごく強かったんですよー」
「そうですか」
「わたしが何度挑んでも、秒で沈められるんですよー」
「そうでしょうね」
僕でも、秒で沈める自信がある。
というか多分、ちょっと後退し続けたら勝手に転ぶと思う。
「さて……ひとまず、今夜の宿を決めましょうか」
「お風呂……」
「ありません。毎日風呂に入るなんて、お貴族のやることですよ。庶民は、温かい湯に浸した布で体を拭く毎日ですからね」
「……」
「冒険者ともなれば、毎日体を拭くことでさえ贅沢ですから。何日もかかる討伐依頼とかもありますし」
はぁ、と小さく溜息を吐く。
当然ながら、チェリルのためにお風呂のある宿など手配しない。僕たちが今夜泊まるのは、普通に四人部屋の宿だ。
一応、貴重品を入れる鍵付きの箱は渡されるけれど、セキュリティ面では全く期待できない。大金があることを臭わせると、殺されて箱ごと奪われることもあるのだ。そんな危険が伴う代わりに、宿泊料は非常に安い。それこそ、子供の小遣いでも数日滞在できる程度に。
「さて……ここにしましょうか」
宿――『止まり木』。
ここが一応、ブリスペル共和国全土に存在する安宿の一つだ。鳥の止まり木のように背が高い建物に、二段の寝台が二つ、一部屋にある。
まぁ、とはいえ僕もさすがに鬼ではない。知らない男連中と同じ部屋というのも、チェリルに危険が及ぶかもしれないのだ。僕には理解できないが、女は若ければ若いほどいい、という趣味の男もいるだろうし。
だから一応、二人で倍額を支払う形で、一部屋を使う形だ。僕とは同じ部屋になってしまうが、そこは了承してもらう形で――。
「あっ!!」
「……ん? どうしました?」
「あれはっ! わたしの財布っ!!」
「……へ?」
何故か、僕がこれから向かおうとした宿の店先に。
高そうな革でできた、レースのあしらわれた紐で結ばれた財布――それが、何故か転がっていた。
「えっ……」
「良かったぁ! 見つかりましたぁ!」
「何故……」
「中身もちゃんとありますっ! 金貨十九枚です!」
「……」
嬉しそうに、自分の財布を抱きしめるチェリル。
だけれど、それ以上に僕の心には疑問しか浮かんでこない。
僕は今日、この道を通っていない。つまり、チェリルもこの道を通っていない。
だというのに、中身が無事のチェリルの財布が落ちている。
思わず周りを見渡したけれど、誰の姿も僕には見えなかった。