5話:引っ越しの挨拶
ガラガラと音を鳴らしながら、この道を歩くことも久しぶりだなあ。
今度はカレーじゃなくて、わたしの荷物が入っているところも不思議。
ハローワークに通っていた時も、たまーに『住み込み可』という求人があった。
近くのアパートを借りるとか、寮みたいな内容だったことを思い出しながら歩き続けて、ようやく見慣れた扉の前に辿り着く。
「お久しぶりです、沢村です。おはようございます」
お店の扉の上に飾ってある、彫像に向かって挨拶をする。
挨拶を言い切ってから頭を下げるわたしに、なんとも言えない視線を向けてくる安達さん。
「懐かしいですね、このやり取り」
「そうですか?」
少し呆れたような溜息をわたしに吐いた安達さんは、悪魔像をかたどった彫像にチラッと視線を向けるだけだ。
やれやれと首を振る安達さんを無視したら、扉に手を掛けることにする。
「おっと」
忘れていた。
この世界は、完全に週休二日制だ。
たまに例外のお店もあるけれど、基本的に土曜日の今日はお休みなのだ。
通ってきた道の脇に並ぶお店も、軒並み扉は閉められていた。
まだ時間の早い九時台は、鍵が閉まっているかもしれない。
「ん?なんだろう、これ」
前の休みとは違うからか、『二週間休みます』という張り紙が貼ってあった。
一応、『緊急の場合は対応する』と付け加えてあるから、お店の中にいることはわかって安心だね。
いや、『中に入って声を掛けてください』じゃなくて、『扉を叩いてください』だ。つまり、目の前の扉は開いていないってことじゃない?
「……」
この休みって、わたしの引っ越しのせいだよなあ。
お客さんに申し訳ない気持ちになりながらも、連絡はしてあるのかと安達さんに尋ねたら、軽く頷いてくれた。
「今日の九時に向かうことは伝えてあります。荷物を運ぶ関係で、前の扉を開けておくようにとも伝えてあります」
「それなら、お店の正面から入っても大丈夫なんですね」
小さくホッとしたら、やっと扉を開けていく。
ここで鍵が掛かっていたり、それなのに扉を引いたせいで通報されたらシャレにならないもんね。
目立たないように過ごすことと同じくらい、怪しい目で見られるような言動は、特に慎みたい。
「それはどうですかねえ……」
「え?」
今のところ、新しい店番というだけだろうと言うわたしに、安達さんが微妙な顔をしながら呟いた。
なんだ。わたしのどこが怪しいと言うんだ。
見上げるわたしに、指を折りながらゆっくり説明するような口調で話していく。
「飛竜に好かれる、ケンタウロスに声を掛けられる。……オーガには怯えられてしまいましたが、スフィンクスにも珍しい人だと言われていましたよね?」
「うっ……」
淡々と、改めて並べられるとわけがわからない。
我ながらおかしな交友関係だね。……交友?まあ、いいや。そんな関係を客観的に言われて、ちょっと困惑してくるよ。
安達さんも微妙な顔のまま、軽く肩をすくめて言った。
「そうでなくとも特定の主以外には懐かない飛竜に懐かれている人、ということはすでに広まっていると思いますよ?」
「えっ!?」
わたしはひっそり生きたいのに、巨大な空飛ぶ竜に飛び付かれたことで目立っていたなんて初耳だ。
「そもそも今のところ、ほとんどの異種族に好かれていますよね?小さいけれど侮れない人なのかも……と言われていても、おかしくありません」
「いやいや、おかしいでしょう!」
そんな変な目立ち方をしているなんて、困った事態じゃないか。
ただの安達さんの勝手な想像なら冷やかさないでくれと手を振るわたしに、そうでもないと首を振っていく。
「そちらについては、一部の人しか知らないでしょうけれど。ここの界隈の食べ物を扱ったお店はすでに制覇している食いしん坊、もしくは料理好きなちっこい人という意識は十分にされているでしょう」
「食いっ!?」
「事実でしょう?」
……前に占い屋さんに手相を見られただけで、「食いしん坊」だとバレたことがあった。しかし今回はわたしが通い詰めていたことが原因なんだから、誤解でも、ましてや言いがかりでもなんでもない。
「特に、粉もの屋さんには通っていますからねえ。明らかに一人分以上の買い物をしているんですから、ちっこいのによく食べる人だとも思われているでしょうね」
「……」
ちっこいちっこい、うるさいわと突っ込みたいところだけれども。
これはもうちょっと、今後の買い物の仕方も考えたほうがいいかもしれない。
「まあ、それが沢村さんですけどね」
「……」
ニコリと微笑む安達さんは、すぐに周りの人も慣れますよとアッサリ言う。
「褒めていますよ?」
「どこらへんがですかっ」
「異世界という完全アウェーで、チートも何もない一般人なのに頭角を現しているところでしょうか」
「……」
食い意地で、頭角を現すってなんだよ。
そんな目立ち方、やっぱり全然嬉しくない!
お店の扉を開けたら、台車ごと荷物を乗り入れる。
微妙すぎる自分の噂を聞いてしまったけれど、それはひとまず置いておこう。
「ふん?」
あれ、前よりも焦げ臭い匂いと、濃厚な草の匂いがしてない?
なんの匂いだろうと首を傾げるわたしの目の前に、小さいオッサンが飛び出してきた。
『おや、嬢ちゃん。ようやく戻ってきてくれたのかい?』
「お……はよう、ございます」
右側の、瓶や鍵付きの貴重品が並ぶ棚の隙間から、小さいオッサンがにゅるんと出てきて挨拶をする。
『小さいオッサンて……失礼な嬢ちゃんだな。ボクはランプの精だよ!』
「はいはい」
棚の奥に仕舞われたはずなのに、本体だけが、たまーにこうして出てくる困った精霊だ。
一応、売り物らしいんだけれども、面倒くさい性格をしているからか、ランプの磨き方が細かすぎるからか、ずっと売れ残ったままだったりする。
三つの願い事を叶えてくれるところはとっても魅力的でも、その願い事を叶えた代償がとんでもない内容すぎて売れないのかもしれない。
プリプリと怒り続けるランプの精には、しっしと軽く手を振ってあしらうだけにする。荷物を置いたら、扉と鍵を閉めようと振り返った。
扉が開いたままだと、お店が開いたのかと誤解したお客さんが来るかもしれないもんね。台車と安達さんが入ったら、すぐに閉めることにしようっと。
『聞いてるのかい、嬢ちゃん?』
「はいはい」
相手にするだけ時間の無駄だということは、前回の研修中で学んだことだ。
ジトッと睨む視線も、手を振って無視をする。無視でいい。
無視をしながらカウンターの奥に入ろうとするわたしに、片眉を上げた精霊が腕を組む。
『なんだい、嬢ちゃん。モランから成長不良に効く薬をもらったんじゃなかったのかい?ちっとも成長が見られなぎゃんっ』
「やかましい」
ジロジロとわたしの全身を観察した精霊は、とある一点をじいっと見つめながら失礼なことを呟いていく。
どこを見て発言しているんだ、このセクハラジジイがっ。
ジロジロ見るついでにわたしの周りをグルグル回るものだから、ハエ叩きの要領で叩いてやる。
ふう……ちょっとスッキリした。
頭を押さえる精霊に、手を振りながら応えていく。
「まだ、薬をもらって一週間も経っていないんですよ?そんなに早く成長したら、着る服がなくなって困ります」
『いやいや。嬢ちゃんはもっと焦ったほうがいいって!』
たった一週間で「成長した」と言われる人は、赤ちゃんくらいだろう。
成長期の若者だって、そんなに急には大きくならないと言ったら、年齢的に今が最後のチャンスじゃないかと真顔で言われてしまった。なんだと。
「うるさいぞ。勝手に出るなと言っただろうが!」
『ぎゃんっ!?』
失礼過ぎる精霊には、拳をお見舞いしてやろうかと握る前に、大きなゲンコツが落とされていった。
『っぅ……』
「ったく、ちょっかい出すなって言っただろうが」
『モランのデカブツ!!』
「あん?」
頭を押さえて震える精霊に、ゲンコツ第二弾をお見舞いしようと握り直す親方。
ヒイッと真っ青になった涙目の精霊は、捨て台詞を吐いたら棚の奥に引っ込んでいった。
……やっと、静かになった。
「チッ。次にキルゼが来たら売り飛ばしてやる」
わたしの約二倍もあるんじゃないかというくらいに巨大な親方は、顔も厳ついし雰囲気も怖い。
でも優しいことと仕事熱心なところと甘いものが好きなことは知っているので、わたしは全然怖くない。
そんな親方を精いっぱい見上げたら、朝の挨拶をしよう。
「おはようございます、親方」
「おう」
今日も白髪交じりのこげ茶の髪は短く刈り上げていて、さっきまでランプの精を睨んでいた茶色い瞳は、少しだけ和らいでいる。
そんな親方のお店に、これからお世話になるんだ。
引っ越しの挨拶もしようと、持っていた袋から箱を取り出していく。
前に気に入りすぎて、一箱全部食べたチョコレートの各味を詰め合わせたのだ。
「再来週から、本格的にお世話になります。こちらは引っ越しの挨拶です。お納めください」
「む?……引っ越しの挨拶に、チョコレートを渡すのか?」
パッケージを見た親方の顔は明るいけれど、これがなんで挨拶になるんだと首を傾げられてしまった。
「お店に雇っていただいたお礼と、これから同じ場所に住むことになる挨拶です」
「よく、わからんが……受け取ればいいんだな?」
「はい。食べる量には気を付けてください」
「わかっている」
前に味見だと渡した時は、弟子の分まで、というか、全部一気に食べてしまったくらいにお気に入りのチョコレートだもんね。
念を押しておかないと、「なくなったから、おかわり」とか言われそうだ。
……ん?このお店って、食いしん坊が集まっちゃうの?
「あー!サワッち、もう来てるっスよねー?」
親方への挨拶が終わったら、弟子が慌てた様子で階段を下りてきた。
「サワッち!チーッス!」
「おはようございます、デーイさん」
その時に食べ損ねた弟子の分は、すでに渡してあるけれども。同じ箱を弟子にも渡したら、「オレの分だ!」と大喜びしてくれた。
ちょっと前だったらタオルとか、引っ越しそばとかだったけれど。二人の好みは知っているから、チョコレートを選んで良かった。
「サワッちの部屋は三階っスよ」
「アツ、荷物はどれだ?」
「こちらです」
台車周りを囲んでいる柵を外したら、すぐにひょいっと持ち上げていく。
さすが、十キロの箱を易々と持ち上げる、力自慢の二人だ。
重さも確かめずに、段ボールを持ち上げたらサッサと階段を上がっていった。
作り置きのおかずや食料を足したことで、荷物は段ボール四つ分に増えたのだ。それを二つずつ、親方と弟子が運んでくれたことで、わたしと安達さんには持って上がるものがない。
……わたしの引っ越しなのに、手ぶらで上がっていいんだろうか。
挨拶として渡したチョコレートの箱も一緒に持って上がられては、空になった袋とエプロンなんかが入ったリュックしかないや。身軽すぎる。
「このお店への引っ越しなら、人手はいりませんでしたね」
軽々と運んでいく二人を見やりながら、安達さんが運ぶことがなくて助かったのではと言ったら、意外な言葉が返ってきた。
「……沢村さんが良いなら、良いんですけどね」
「え?」
微妙な顔をしている安達さんが、前にも呟いた言葉をポツリと言った。
親方と弟子に運ばせることは、ダメだったのかな?
わたしと安達さんで運ばないと契約違反が発生するとか、引っ越し代金を二人にも払わないといけないとか、そういう心配だろうか。
台車をカウンター脇に移動したら、わたしたちも階段を上がることにする。
なんの心配をしているのかと尋ねるわたし、考えているようなことではないと首を振っていった。
「親方たちが手伝っても、引っ越し料金は発生しませんよ。同様に、会社の人間が手伝っても同じです。沢村さんの場合は向こうの家がそのままですから、他の人のように処分にお金が掛かることはありません」
他の人はわたしと違って、完全に向こうの世界とおさらばする。つまり、持っていかない荷物は全処分が基本になるのだ。
軽く頷いた安達さんが、処分費用が掛かることはあっても、異世界への引っ越しにお金は掛かることはないと話していく。
そうだった。専門業者が関わらないことで、引っ越し作業は完全ボランティアになるんだった。
……もうちょっと、金額的にも内容的にもイイ引っ越しの品物にすれば良かったかな。
だってエレベーターとかない世界なんだから、親方たちは手伝う可能性のほうが高いもんね。
「でも、お金の問題じゃないなら何が気になっているんですか?」
「ああ、ええと……。まあ、普通の引っ越し業者も大半が男性ですしね」
「はあ……?」
それが答えなのかと振り返っても、それ以上、言う気はないらしい。
よくわからないけれども、男性に運ばせることがダメってことなのかな?
「??」




