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本日付で、クビになりました。~三十六歳、異世界に再就職します~  作者: くまきち
第一章:ちょっと異世界まで
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28話:異世界研修一ヵ月 やさぐれ土曜日

「……」


 いつもの時間に目覚ましが鳴ったら、布団から手を伸ばして消していく。


「……」


 今日は土曜日。

 ハローワークも休みなんだから、このまま二度寝をしても構わない日だ。


「はー……、なんで目が覚めるかな」


 二度寝なんかした日には、一日中、体調が悪い。

 最悪なことに次の日も続いて、元通りになるまで時間が掛かるのだ。


 だからこうして、休みでも関係なく起きようと反応してしまうんだけれども。


「今日くらい、ふて寝させてくれてもいいじゃん」


 ぶちぶち文句を言いながらも、仕方なく起き上がって支度をしていく。


 こういう日は徹底的に掃除をするとか布団を干すとか、普段はなかなかできない気持ち的にも部屋も綺麗になることをして、発散をすることにしよう。


「それなら、襟がくたびれたシャツを着ようかな」


 一日、掃除をしたら、最後は雑巾として使い切って捨てるんだ。


 ぐー……


「……」


 腹が減っては戦はできぬ。


 まずはしっかりガッツリ朝食をお腹に入れて、気合いも入れることにしよう。




 シャコシャコ シャコシャコ


ふーんほうーんとほほははどこからひほふははしようかな


 洗顔の前に、いつもの風呂掃除は終わらせてしまった。

 掃除の間に洗濯もしてしまったから、朝食も終わったいま、何をすればいいのかわからない。困った。


 歯を磨きながら部屋をぐるっと見回して、気持ちよく晴れた空が目に入った。


「天気がいいから、窓でも拭こうかな」


 よし、そうしよう。


 壁の次に広い窓が綺麗になっていると、自然と気持ちも浮くもんね。

 窓枠も外して、溝も網戸も徹底的に洗ってやるぞ!


 ピンポーン


「ん?」


 腕まくりをしてバケツを持ったタイミングで、玄関チャイムが部屋に響いた。


 今日は土曜日だし、研修の最終日は昨日だ。

 業務日誌を渡して普通に別れたから、今後の予定は月曜日にハローワークで話し合うことになっているはず。


 ピンポーン


「はいはい」


 そもそも休みの日に、早く帰りたいと言っていた安達さんは来ないだろう。

 それなら研修とはいえ再就職が決まりそうなわたしへと、岸さんが野菜か何かを送ってくれたんだろうか。


「いや、それはないか」


 連絡先は知っていても、住所までは知らないはずだ。

 就職が決まったわけじゃない前段階でお祝いとか、浮かれすぎだろう。


「……明後日から、またハローワークに出戻りになったしね」


 次はわたしから、岸さんに連絡をする予定だったけれど。

 こればかりは仕方がないと小さく溜息を吐いたら、何度もしつこく押し続ける、扉の向こう側の人物を確かめることにしよう。


 ピンポーン


「はいはい、いま開けます」


 朝からしつこいなあと呆れながら開けたら、最初からずっとしつこくて鬱陶しい人が目の前にいた。


「おはようございます、沢村さん」

「……」


 なんで今日、こんな時間に安達さんが我が家に来ているんだろうか。


「急にすみません。今朝、上司に許可をいただきまして」


 バタン ガチャッ


 ……ふう。とりあえず、扉を閉めて鍵も掛けたぞ。


 前にも気を付けようと決めたのに、何にも考えずにチェーンまで外して開けたらいけないよね。


 危ない危ないと内側の鍵も掛けたら、掃除の続きをしようと玄関から離れることにする。


「いえ、ちょっと沢村さん!?何で鍵まで閉めるんですか!」


 ピンポン連打にドアノブをガチャガチャと回し、さらに「開けてください!」と大声で扉を叩くんじゃない。


「うるさいですよ、安達さん。近所迷惑はやめてください」


 十年以上、住んでいるからといっても、契約延長の期限は来年だ。その前に問題があると判断されて、強制撤去になったら困るじゃないか。


 チェーンは外さずに、ちょっとだけ扉を開けて外を睨む。


 顔を出したわたしに安達さんがホッとして、そのままでいいから話を聞くように言ってきた。


「嫌ですよ。プライバシーの侵害です」


 道路が近いわけではないけれど、それほど防音が完璧なアパートではないのだ。つまりいまの会話も周囲の住人には丸聞こえなんだから、これ以上は恥ずかしいではないか。


 チェーンを外して中に入るように言ったら、怪訝な顔を向けられてしまった。


「相変わらず、変なところを気にしますね」

「安達さんが気にしなさすぎなんですよ」


 それと、まだ朝の八時だから。


 土曜日のこんな時間、寝ている人を起こすようなことをするんじゃない。




 バケツを持ったら、中途半端に出していた掃除道具と一緒に片付ける。


 他の掃除は終わったけれど、これから窓を拭こうとしていたのだ。雑巾や洗剤もお風呂場に持って行って、ついでに鏡で見た目を整えよう。


 うっ……髪がボサボサだった。

 顔を洗った時にまとめただけで、あちこち動いているうちに緩んでいたらしい。


 こんな格好で出迎えたとか、別な恥ずかしさもわいてきたよ。

 わたしには変なところを気にするって言うくせに、こういう時には突っ込まないんだから。


 まったく……と少し呆れながら、キッチリ髪をまとめ直してお茶の用意をする。

 コーヒーよりも番茶派のはずだったから、熱めに淹れることにしようっと。


「おかまいなく」

「わたしが飲みたいので、ついでです」


 いつもの掃除に支度にと、バタバタしたままの朝だったもんね。

 朝食の時はさすがに座ったけれど、いつもよりサッサと済ませてしまったから、ゆっくり飲んで一息つきたい。


 それならと安達さんも手を伸ばして、ようやく静かな部屋に戻ってくれた。


 ……ふう。


「……」

「……」


 あれ、ここは縁側か何かだったっけ。

 肩の力が抜けたことで、何だか眠くなってもきたよ。


「いや、安達さんは何をしに来たんですか?」


 ぼーっとしたまま、お茶を飲み干すところだった。何なら、このまま眠るところだった。

 のんびりお茶を飲んでいる人に顔を向けて、何の用なのか尋ねよう。


「失礼しました。電話でも良かったんですが、拒否をされる可能性もあったので、直接、来ました」

「……そんなことはしませんよ」


 休みの朝に電話が来たら、胡散臭くてしばらく出ない可能性はあったかもね。

 そうでなくとも親方に会えないまま、微妙な気持ちのままであの世界ともお別れしなければいけなくなった次の日だから、誰とも会いたくない気分だけれど。


 ちょっと図星だから、お茶を飲んで誤魔化すことにする。




 そんなわたしの横で、鞄から書類のようなものを出してきた。


「モランさんからも要望がありまして、今朝、上司の許可もいただきました。沢村さんが良ければ今日、これから向こうへ行けますが、どうしますか?」

「え?」


 わたしたちがこっちに戻った頃に、ようやく親方が帰ってきたらしい。

 わたしからの手紙と弟子の言葉で間に合わなかったことを知った親方が、すぐに安達さん宛に連絡をしてきたのだと話していった。


「向こうからこっちへの、連絡手段があるんですか?」

「……気にするところはそこですか?」


 前の二泊三日の時はもしもの時のために、こっちの世界に連絡できる通信機械を見せてもらった。

 同じものが親方の店にもあるのかと尋ねたら、突っ込むところはそこじゃないと逆に突っ込まれてしまった。


「スマホは使えないって言っていたじゃないですか」

「スマホじゃありませんよ。前に見せたものと同じ機械を、研修先に渡しておいたんです」


 向こうで凶悪な事件や事故があったり、伝染病などが流行った時、知らないまま行って巻き込まれたら困るだろうと言われたら、納得するしかない。


 異世界の伝染病なんて、どういう処置をすればいいかわからないもんね。




「後はまれに、研修期間中に不採用になる場合があります。こちらはその時点で即、連絡をしてもらわないと困りますからね」


 この場合は、すぐに行き来ができないような処理をした後、別な異世界の研修に移るか、完全に諦めてもらうかを決めるのだと話していく。


「その場で本人に伝えたら、何をするかわからないからですね?」

「ええ、そうです。扉を使わなければ、こちらに戻って来れません。逆を言えば、扉に入らなければ向こうの世界に残れる、というわけです」


 そうなったら担当者がすぐに向かって、身柄を引き渡されると話していく。……って、なんだか犯罪者臭い言い方だな。


「扉は厳重に管理をされています。許可されている時間以外は、利用ができないと話したでしょう?その時間を無視して向こうに居つこうとしているなら、違反対象です。処分は当たり前ですよ」

「しょぶん……」


 処分とは、異世界についてや安達さんの会社についてなどの記憶を消す以外の、肉体的な処分ということなんだろうか。


 わたしは帰ることを前提にしているから、時間を無視して居残ろうなんてことはしないけれど。不採用を理不尽だと感じて、強硬手段に走る人もいるってことか。


 そんな人には巻き込まれたくないなあと思いつつ、そんな人を担当する可能性もある安達さんたちって、見た目以上にハードなことに改めて気が付いた。


「ん?安達さんは運動が嫌いでしたね。向こうの世界に残って復讐をしようとまで考える人って、逃げたり暴れたりすると思うんですけど、追い駆けたり押さえたりできるんですか?」


 自転車こぎのようなボートに乗った時だって、早く岸に帰りたいって言っていたくらいだ。筋肉痛にはなっていないようだったけれど、運動嫌いなら、逃げる人を追い駆けることもしたくなさそうな気がする。


 弟子よりは背が高いけれど、鍛えているような見た目ではないと感じた。

 でも、面倒くさくても仕事なんだから、そういう人を担当する可能性だってあるよね?


 わたしがもし逃げたり、暴れたりしたらどうするんだと見上げたら、ニコリと、とても深い微笑みを浮かべた表情を無言で返された。


「……言わなくて良いです」

「聞かないほうが賢明でしょう」


 なんかこう……きっと、アレな感じなんだろうね、うん。

 そういうことにしておいて、二度と訊かないことにする。よし。




 話が妙な方向に逸れたので、お茶を飲んで軌道修正しよう。


「ええと。モランさんからの申し出もあったことで、特別許可が下りました。連絡が来たのが昨日の夕方だったことで、いままで調整をしていてこんな時間になってしまいましたが……どうしますか、行きますか?」

「どう、と、言われても……」


 親方が直接、わたしに何か言いたいことがあるってことなのかな。

 それなら、不採用通知は本人に言わないという話と矛盾していない?って疑問もあるけれど。


「行けるなら行きたいです。一ヵ月もお世話になった親方には挨拶がしたいです」


 不採用についてとか、今まで溜まっていた文句を言うだけの、呼び出しかもしれないけれど。

 わたしのほうではお世話になった人なんだから、キチンとお礼と挨拶がしたい。


 そうしないと、月曜日から新しい就職先を探せないと言ったことで、安達さんがすぐに立ち上がった。


「では、いますぐ行きましょうか」

「え、いま!?」

「ええ、そうです。”これから行く”のだと話したでしょう?向こうも待っているんですから、早いほうが良いではありませんか」


 今日も素早い安達さんは、とっとと支度をして出掛けようと言ってきた。


 しかしだね、今日は何度も言うけど土曜日、お休みの日だ。


「せめて、着替えさせてください!」

「ああ、そうでした。その格好では、異教徒として別な意味で捕まります」


 くたびれた白シャツをつかんで叫ぶわたしを見て、ようやく安達さんが止まってくれた。扉の外で待っていることになったら、向こうに行く支度をしようと慌てて着替えていく。


「ウェストポーチは一応、持って行こうか。中身は貴重品とメモ帳と、ペンだけで良いかな」


 かなりボロボロのウェストポーチを腰に着けたら、ようやく外に飛び出した。




 いつもよりは少し遅い電車に乗って、いつもの駅に降りていく。


「あれ?わたしが今日、出掛けていたり、用事があったらどうしたんですか?」


 掃除をしようと家にいることにしたから、あの時間でも出掛けられただけで。

 不採用に落ち込んで、前日から家に帰っていない場合もあったはずだ。


 ビルまでの道の途中で尋ねたら、何でもないことのようにアッサリ言われた。


「行き来を希望する沢村さんですから、こういう時こそ家を選ぶでしょう。前に、休みでもいつでも規則正しく生活をしていることも聞いていましたので、あの時間に行けば絶対にいると思っていました」

「……」

「家を大事にしている沢村さんなら、出掛けるより家の掃除をしているかなあとも考えていたのですが、当たりましたか?」

「……その通りです」


 この一ヵ月、ただ横で、黙って見ていただけではないということか。

 ズバズバと言い切られた今朝の行動に、改めて恥ずかしさがこみあげてくる。


「変なところを気にしますね」

「そういう風に言われたら、気にするに決まっているでしょう」


 行動がバレバレすぎて、盗聴器を疑う余地もないくらいだ。

 いや、むしろ確信したんじゃないの?


「盗聴器も発信機も、監視カメラも設置していませんよ」

「……」

「大体いつ、設置したと思うんです?」


 とても歪んだ顔で見つめてしまったからか、呆れた顔で尋ねられてしまった。


「今月は特に、基本的に外に出ているじゃないですか。その隙に、他の社員の人が侵入して設置したとかはあり得るかなあと」

「それでは犯罪組織じゃないですか。とても健全な会社ですよ」


 わたしの今月の行動は、安達さんとほとんど一緒だ。そんな安達さんの行動は、会社が把握している。

 それなら家から遠ざかったタイミングで、何かを仕掛けるには十分な時間があるということではないか。


 さすがに非現実的すぎるし、する予定もないと言い切ったところで例の、とても馴染みのある扉の前に辿り着いた。




 許可証を出した安達さんが、行き来をする準備をしながら話し続ける。


「紹介する場所が異世界ということで、まともな会社には思えないかもしれませんけれど。いつもは普通の会社を紹介していることは、知っているじゃないですか」

「それはまあ、そうですけれど」


 わたしだって最初は、他の人と同じく普通に・・・お世話になったもんね。

 途中から場所が変わって、異世界への就職ということになっただけで。


「沢村さんは、こちらとの行き来を希望された初めての人ですからね。監視対象に置くという意味で、会社の寮や宿泊施設に引っ越しを斡旋あっせんする予定もありました」

「絶対に引っ越しません」


 大体、監視対象ってなんだ。

 初めて行き来を希望したからって、私生活まで干渉はされたくないよ。


「そこまでは、さすがにしませんよ」


 ブンブンと首を振って断固拒否するわたしに、二十四時間の監視なんて嫌だと、本当に疲れ切った顔で言われてしまった。


「その場合は、安達さんが見張るんですか?」

「担当ですから、そうなりますね。しかし、この件に関してはすでに却下してあります。二度と会社からは言われませんから、安心してください」

「え?」


 なんと、すでに言われていたことだったのか。

 そして安達さんが却下していたことも、いま初めて聞いたんですけど……。


「終わったことですからね。慰謝料、キチンと振り込まれていたでしょう?」

「え?」


 とっても輝かしい微笑みとは真逆の、慰謝料という言葉のギャップがひどいな。


 っていうか慰謝料ということは、最初の頃の、モラハラとパワハラと、セクハラの三重苦の案件、だったっけ?


「……え!?あの時にそんな話し合いがあったんですか!?」

「そうですよ。監視カメラが常備されている寮に引っ越すとかではなかったので、私に対してもいただきましたけど」

「はあ……」


 わたしを二十四時間監視し続けることも、それが安達さんの仕事になることも、お互いにとってセクハラ案件だね、うん。


 監視カメラがない寮以外で、どうやって二十四時間も監視をさせるつもりだったんだろうか。


「……」


 よくわからないことは考えないことにして、そんな初期から会社は監視しようと考えていて、それを安達さんは却下してくれていたことだけ覚えておこう。


「それは、ありがとうございました」

「構いませんよ。前例になるほうが困ります」


 先と他の社員のことまで考えての、抗議で慰謝料だったらしい。かなりの金額、ぶんどっていたもんなあ……。


「ん?でもその後の昼食代とかは、上司は全然関係ないですよね?」

「それはそれですよ。もらえるなら、もらいたいじゃないですか」

「……」


 自分の財布からは出さずに、美味しいものだけ食べたいとは。


 会う予定はないけれど、安達さんの上司に会うことがあったら、この人が部下で本当に大丈夫か訊いてみることにしよう。


「……あ」


 いつものっぽい会話をしたことで、肩の力が抜けていたみたいだ。

 もしかしたら、安達さんはすごい人なのかもしれないなあ。


「何ですか?」

「何でもありません」


 すごくても、それを上回るしつこさと鬱陶しさを兼ね備えている人だった。


「何ですか、沢村さん?」

「何でもありません」

「?」


 ないないと手を振ったら、今まで通りにお店に向かうことにしよう。




 すっかり忘れていたけれど、最初の週と同じくお店が軒並み閉まっていたことで思い出した。


「食料を扱うお店とか親方のお店は、週末休むと周りの人が困りませんか?」


 二十四時間、対応をしろというわけじゃないけれど、一斉に休む光景を見ると、救急の時はどうするんだろうかと心配になる。


 閉まっているお店を見ながら尋ねたら、その時はその時だとアッサリだった。


「ここではギルドが対応をすることになっていますよ。二十四時間勤務ですから、交代でこなしているんです」

「へぇー」


 冒険者だけでは治療ができない怪我を治したり、暴れる獣を退治したり。依頼を達成するタイミングも違うことで、土日関係なく対応をしなければいけないのだと話していく。


「中には九時十七時くじごじ勤務の人もいますから、当たりが悪いと追い出されます」

「はあ、なるほど」


 例の騒がしい冒険者二人は、体よく窃盗犯を押し付けられた感じだったもんね。もしかしたら、そういう人に当たって追い出されたのかもしれない。


「じゃあ、急患が来たりすることはないんですね」

「年に一回くらいはあるかもしれませんが、滅多にないでしょう」


 それなら今日は、残りの仕事を片付けているかもしれないな。


「……」


 そんな時に呼び出すなんて、本当に何の用だろう?


「そちらについては、本人がお話してくれるでしょう」

「……わかりました」


 親方から連絡が来たことで、こっちに付き添うことになった安達さんだ。

 何の用か知っているんじゃないのと見上げたら、ニコリと微笑むだけだった。


 まあ、いいけどさ。




 見慣れた彫像を見上げて、挨拶をしたら頭を下げる。


「おはようございます」

「……その挨拶は変わらないんですね」

「もう習慣になっていますし、挨拶をしないのにお店には入れません」

「はあ……」


 そういうものかと首を傾げている安達さんは放っておいて、扉に手を伸ばす。


「ん?休みだと、この扉は閉まっているんじゃないですか?」

「向かうことは話していますので、開いているはずですよ」


 それなら開けようと手を伸ばし直したら、それより先に、勢いよく扉が開いた。


「あ、サワッち!」

「お、はようございます、デーイさん」


 チーッスと軽い調子の弟子が、出迎えてくれたらしい。

 特に驚いていないことから、わたしが来ることは聞いていたのかな?


「親方はもうすぐ降りてくるっスよ」

「わかりました」


 とりあえず中に入ればいいと言われて、一歩、お店の中に踏み出していく。


 しかし、今日は仕事で来たわけじゃない。なんだか妙に緊張するなあとそわそわしていたら、にゅるんと右の棚から、例のランプの精が飛び出してきた。


『おや、嬢ちゃんじゃないか。ボクを磨きに来てくれたのかい?』

「違います」


 それなら存分に磨いてもらおうじゃないかと、両手を広げたまま、目の前をウロチョロする精霊。鬱陶しい。


 ペンッ


『痛い!?なんで叩くんだい!?』

「動きがハエっぽかったので」


 三十センチ定規を持って来れば良かった。何だか無性に叩きたくなって、つい、手で叩いてしまった。


「どちらかというと、蚊じゃないですか?」

「ブンブン言っている感じがするので、ハエですよ」

『ボクは精霊だ!』


 小さくて甲高い声だから、安達さん的には蚊に思えたみたいだけれど。バタバタ両手を振りながらウロチョロするんだから、どう見てもハエでしょう。


「やかましいぞ、誰が出ていいと言った!?」

『ぎゃんっ』


 重くて鋭い拳がランプの精の頭に振り落とされたことで、親方が降りていたことを知る。


『っっ……っ、モランのバカ!』

「ったく……」


 涙目になりながら頭を押さえたランプの精は、震えながらも捨て台詞を言って、棚の奥に引っ込んでいく。


 何度言われても出てきて殴られるなんて、ここでも親とダメ息子って感じに見えるね。




「おはようございます、親方」


 それはそれとして、朝の挨拶からしておこう。


「ああ。……悪いな、休みに」

「いえ、大丈夫です」


 振り返った親方は、ちょっと気まずそうに頬をいている。


 掃除の予定しかなかった休日だから問題ないと付け加えたことで、ようやく呼び出した内容を話してくれるみたいだ。


「昨日はこれを取りに行ってた。……間に合わなかったことで、来てもらうことになったが」

「それは、何ですか?」


 ランプの精を殴るためにカウンターに置いていた、赤い革のようなものを目の前に差し出して言った。


 わたしが今日も腰に着けている、ウェストポーチみたいに見える。

 ベルトの部分は微調整できるような金具がついていて、艶のある革製だ。前には小さなポケットが二つ、後ろには大きなものが一つというところも似ている。


 けれど、これを取りに行っていたと言われても、呼び出した意味がわからない。

 怪訝な顔で見上げたら、覗き込んでいた弟子に思いっ切り突っ込まれた。


「見習い期間が終わった弟子には、その店の親方から仕事道具を贈られるんスよ。オレは薬草をつぶす鉢と、棒をもらったっス!」

「え?」


 親方がわざわざ作らせたものだと教えられて、前にウェストポーチを貸したことを思い出した。


「サイズもわからんが、仕組みもわからん道具だからな。革職人のところに持って行って、似たようなものを作ってもらったんだ」


 ……ええと。じゃあこれは、わたし用に作ってもらった新しいウェストポーチで、弟子になったら贈られるってことは……


「わたし、不採用じゃなかったんですか?」

「誰も言っていませんよ?」


 何にも言ってくれなかったら、あんな終わり方だったら、誰でも不採用だったと思うでしょうがっ!


「いや、それはオレが悪かった」

「親方のせいではありませんよ」


 涼しい顔の安達さんに食ってかかったら、親方が申し訳なさそうに謝っていく。

 こういうところでも言葉が足りていない横の人のせいであって、親方のせいではない。とりあえずもう一度、睨んでやる。


「早く言ってくださいよ」

「こういうことは、私が言うものではないでしょう」


 まったく……とお互いに呆れたら、改めて親方に向き直った。


「こっちに来るには、準備があるんだろう。仕事は落ち着いてからでいい」

「わかりました」


 そうして少し茶色の、渋い赤い革のウェストポーチを受け取って、わたしの採用がようやく決まった。


 それなら、改めて挨拶をしよう。


 ビシッと背中を伸ばしたら、目の前の二人に向き直る。


「沢村あゆみ、三十六歳。改めてよろしくお願いします!」


 挨拶をしたら、最大限に頭を下げる。

 これは帰る前に、悪魔像ガーゴイルにもしなくちゃね。




「……あれ?」


 挨拶をして顔を上げたら、とっても奇妙な静けさだった。

 何事かと二人を見やったら、ものすごい顔をしながら弟子が口を開いていく。


「え?……サワッち、いや、サワ、さん?」

「はい?」

「さんじゅうろくって、マジっすか?」

「はい。三十六歳と、三か月です」


 親方も固まっているけれど、弟子の様子が明らかにおかしい。

 ここでサバを読んではいけないと、正しい年齢を告げていった。


「おえっ!?オレ、サワッちとか呼んじゃったじゃないっスか!」

「それは構いませんけど」

「オレが構うっスよ!」


 マジやべえと慌てている弟子に、呼び方はそのままで良いと伝えたら、固まったままの親方を見上げて、目の前で手のひらを振ってみる。


「……そうか」

「え、親方?」

「どこ行くんスか?」


 気が付いてくれたのは良いけれど、何だかふらついた足取りのまま、奥の部屋に引っ込んでしまった。……大丈夫だろうか。


「年齢制限はないんですよね?」

「ありませんよ。前に年齢を言わないほうがいいと言ったのは、教える側の弟子が遠慮をしそうだと思ったからです」


 いまも弟子は、「年上になんてことを」と、頭を抱えてウロウロしている。


「このお店では、先輩なのはデーイさんじゃないですか。これからも教えてもらうことが多いんですから、今まで通りでお願いします」

「ええぇ……サワッち、さんがそう言っても、オレは平気じゃないっスよ」


 っていうか、前の会社には十五年も務めていると言ったはずなのに、一体いくつだと思っていたんだよ。


「早い子だと五歳で、他の地域に弟子入りするなら十歳っていうのもザラなんで、オレと同じくらいなのに偉いなあと思ってたんスよ」

「二十歳から十五年勤めて、誕生日が来ましたので三十六歳です」


 見た目のことがあったとしても、こっちの世界ではそんな年齢から将来の仕事を学ぶのか。そっちにビックリだよ。


「サワッちさん・・では、言いにくいでしょう?年齢がわかった途端、遠ざけられると困ります」


 せっかく採用されたっていうのに、従業員との関係がぎこちなくなったら生活ができないじゃないか。

 歳のことは置いてくれと何度か話したら、ようやく弟子も落ち着いてくれた。




「……あの。それで、親方はどこに行ったんですか?」

「なんか上で、作業してるみたいっスね」

「作業?」


 あちこち移動したり、ゴリゴリという音で、何かの薬を作っている音だと教えてくれた。

 もしや気持ちを落ち着かせるために、薬を作っているんだろうか。


「お邪魔でしょうから、そろそろ帰ったほうがいいですよね?」


 向こうとの連絡手段があるのなら、何かを思い出して薬を作っているなら、これ以上いても邪魔なだけだろう。

 弟子にだけ挨拶をしようかと振り返ったら、もうすぐだと言っていく。


「もう終わるみたいなんで、親方にも挨拶するといいっスよ」

「わかりました」


 戻ってくるなら、昨日できなかった挨拶をしてから帰ろう。


「まだ時間は大丈夫ですか?」


 この世界に来るにも帰るにも、厳密に時間制限がされているのだ。

 慌てて安達さんに確認をしたら、問題ないと頷いてくれた。


「行きもですが、帰りも何時になるかわかりませんでしたからね。”今日一日”、という申請を出してありますので、お気になさらず」

「意外と大雑把な対応もできるんですね」

「引っ越しの時は、それこそ時間が読めないでしょう?」

「なるほど」


 早くても丸一日、長かったらそれ以上、掛かるもんね。


 大人しく待っていたら、弟子の言葉通りに、少ししたら降りてきてくれた。


「これも渡しておく。朝か夜の一日一回、お茶として飲むといい」

「はい?」


 お客さんに渡すような袋の中には、ほのかに花の香りがする葉が入っていた。

 これを飲めとは、どういう意味だろう?


「前にお願いした、目薬ではないんですよね?」

「あれはまだやれん。それが先だ」

「これは何の薬なんですか?」


 年齢を聞いた後に処方をしてくれた薬なら、記憶力が促進されるとか、そういうたぐいの薬だろうか。


 わたし用の薬ということで、一緒に覗き込んでいた弟子も首を傾げている。

 「ウコギとオゼリ?もう一個あるな。なんだこれ?」と呟くだけで、何の薬かはわからないみたいだ。


「ウコギは根の皮を使った。オゼリは茎で、もう一つはツルダンゾウという別種だ。あれの葉が一番だからな」

「はあ……?」


 何やら特別なブレンドをしてくれたらしいけれど、わたしにはその組み合わせで何の薬になるのかがわからない。


 首を傾げたままのわたしの横で、弟子の顔が引きつった。


「……まさか親方。その組み合わせって、発育不良に効くってことっスか?」

「発育不良?」


 弟子の答えに満足そうな顔で頷いた親方は、「強壮剤の効果もあるから飲み過ぎるな」という、ズレた言葉を追加しただけだった。


「これで先に、成長が中途半端に止まっている場所を伸ばしていく。それから他のモンを使わなければ意味がない」

「わ、かり、ました」


 占い屋さんにも言われたけれど、どうやらわたしはまだ成長途中らしい。

 年齢からするとすでに止まった気もするけれど、成長する余地があるってことか。


 ありがたく受け取ることにして、量の確認をしたら、丁重に扱うことを約束していく。


「いやいやいや、サワッち成人じゃないっスか。それもとっくに過ぎまくった……いてっ」


 誰が成人を遥かすぎた年齢だ、この野郎。


 失礼なことを言う弟子の腕を叩いたら、軽い口調で謝っていった。


「すんません。でも、普通は成長不良の薬って小児用なんスよ。サワッちに効くかわからないじゃないっスか」

「小児用……」

「だから三つも混ぜたんだろうが」


 小児って、大丈夫なのか、色々な意味で。

 けれど、そこは親方だ。わたし用に作ってくれたスペシャルブレンドは、普段は混ぜない組み合わせで、年齢差をカバーしていると話してくれた。


「それって大丈夫な組み合わせなんですか?」

「量を間違えなければ問題ないはずだ」

「……はず・・って、親方……」


 従業員になるとわかったら、早速、人体実験をされていないか?


 あと横の人、お腹と口元を押さえながら震えているんじゃない。


「就職、おめでとうございます、沢村さん」

「はあ……ありがとうございます」


 やっぱりわたし、だまされていない?




 ―――そういうわけで。沢村あゆみ、三十六歳と三か月。

 無事に再就職先が決まりました。


 ……ただし、異世界ですけれど。


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