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32話:異世界ツアー二泊三日 三日目

「ふぁ……」


 湯船効果なのか、本当に何かしらの効能があったのか、思っていたよりも足腰が痛くない。


「むしろ、軽いかも?」


 ベッドの縁に座りながら、足をプラプラさせてみる。うん、軽い。

 そしてこのベッド、とっても寝心地が良かった。


「でも、仕方がない。起きるか」


 ずっと布団派だったけど、ベッドも良いかもしれない。

 このふかふかベッドから出るのはもったいないが、午前中にこの世界から出ないといけないんだもんね。


 夜よりも静かな外の音を聴きながら、手早く支度して朝食を作ろうっと。




「スープを温める……のは、最後だな。ご飯炊こう」


 味噌は持ってこなかったけど、お米は持ってきたのだ。

 だって三十うん年間、ずっと朝食はお米派のわたしですよ。二泊三日でも、一食くらいはお米が食べたい。


 二つしかないコンロなんだから、最短で料理をしようと考え込む。


 お米は昨日の夜のうちに、鍋に入れておいてある。蓋を開けてみたら、きちんと水を吸ってくれていた。


「よし。次は決まっている料理から作るか」


 コンロの一つでコトコト炊きながら、もう一つでは卵焼きと魚を焼いていくことにしよう。


「買った材料は全部、使いきったほうがいいよね。キノコはスープに使うとして、チーズは卵焼きに入れようっと」


 スープにはトマトっぽいものを丸ごと入れるから、酸っぱくてさっぱりスープになるはず。

 濃いめの味付けのおかずと、さっぱりスープ。昨日、塩漬けにしておいた野菜の浅漬けに、真っ白なお米。最高。


「んん。……できれば、もう一品ほしいな」


 昼に使ったフルーツを残しておくべきだったか。

 野菜は軽く煮れても、果物は生だし危ないかなーと遠慮をしちゃったんだよね。


「ヨーグルトと合わせたところも、気が早かったかな」


 今のところ体調に問題はなさそうなら、もうちょっと買っても良かったかなあ。いや、何かあったら非常に困る。これは、わたし一人の問題ではないのだ。

 食中毒になったら、せっかく行き来ができることになったのにキャンセルされるかもしれないし。


「量は足りそうだから、いいか」


 仕方がないと諦めて、料理の続きをしようっと。




「すみません、遅くなりました」

「簡単なものばかりですから大丈夫ですよ」


 初日よりもボーッとした顔で起きてきたお兄さんは、ぼんやり顔のままキッチンに現れた。


 わかるよ、その気持ち。今日のベッドは超・ふかふかだったもんね。


「もうできますから、支度をしてきて良いですよ」

「わかりました」


 片付けはすると律儀に告げたら、洗面所へ向かっていった。


 っていうか、寝ぼけながらも手をパタパタしていたのって、眼鏡を探していたのかな。わたしはこの通り、ないとよく見えないことで朝からつけているけれど。


 伊達眼鏡でも今までのことが習慣になりすぎて、ないと落ち着かないのかな?

 眼鏡なんて面倒なもの、なければ一番なのに。


 スープの味を調節してる間に、今日も素早いお兄さんは支度が完了したらしい。


「それならコンタクトにすればとも思いましたが、もっと面倒でしたね」

「裸眼が一番ですよ」


 目玉の中に入れるということが、生理的に受け付けないってこともあるけれど。それより何より、どの種類でも定期的に買いに行ったり消毒したりが、果てしなく面倒くさいのだ。


「荷物が増えるところも最悪です」

「そこまでわかっているなら、視力が落ちないように努力しませんか?」

「不可抗力です」


 中学までは何とかギリギリいけたけど、高校で黒板の文字が微妙になり、免許を取るときには“眼鏡等“が必須になってしまった。

 原因は体質か、本の読みすぎか栄養が足りなかったか……。


 それなら文字の練習と一緒に、視力向上の特訓もしていれば良かったかも。

 ここが眼鏡に違和感を抱かない世界で良かった。




 お兄さんはこの世界に来た時に、眼鏡を片付けていたよね。

 あれで眼鏡はダメなのかと焦ったら、問題なくて拍子抜けしたよ。


「眼鏡がダメだったら、髪の色の話をした時に伝えますよ」

「それ以外のことは、微妙に言い足りていないですよ」


 パジャマはダメで、ジャージはオーケーとか。

 指折り数えながら、次に異世界に案内をする人には『旅行のしおり』を作ることをオススメしておくことにする。


「わかりました。上にも伝えておきましょう」


 すぐに手帳にメモったら、朝食の時間の始まりだ。


「いただきます」

「いただきます」


 手を合わせたら、異世界で最後の食事をいただくことにしよう。


 お米の味は、どんなかな?


 お米の炊き加減に漬物の塩加減、スープは合うかどうかの確認をしながら、食べ進めていった。うん、大丈夫そう。


 やっぱりお米が美味しく炊けないと、それだけで気持ちが違うよね。


「まさかここで、米を食べられるとは思いませんでした」


 それはお兄さんも同じようで、和食もどきの献立を噛みしめている。やっぱり、和食派だったか。


 若そうなのに茶碗蒸しとか炊き込みご飯とか、反応する料理が渋いから、絶対に和食が好きなんだと思ったらその通りだった。


 予想が当たったことで勝手に勝った気になっていたら、焼いただけの魚にも感動している。

 鮭っぽい切り身を焼いただけなんだけど……。


 もしかしなくても、全食事は和食が良かったんだろうか。


「いえ。さすがに米も味噌もない世界ですからね。洋食中心になることは、予想がついていました」

「じゃあ、朝食も和食にしなかった方が良かったですか?」


 実は、こっちの食材を使った料理を楽しんでいたのかも。何でもいいと言われたことで、好き勝手に簡単な料理ばかりにしちゃったよ。


「いえ。そもそも、料理をすることは伝えていませんでしたからね」

「ですね」


 勝手にお米や調味料を持ってきたけど、キッチン付きの宿のことは昨夜に聞いたばかりだ。……やっぱり『旅のしおり』がいるよ、絶対に。


 それでも漬物じゃなくてサラダが良かったかとお皿を見やるわたしには、慌てた様子で手を振っていった。


「沢村さんが慣れるための三日間ですので、気にしないでください。帰ったら食べようと思っていた和食のメニューが出てきて、少し驚いただけです」


 スープがちょっと違うけど、焼き魚定食を食べる予定でいたと話すお兄さん。

 ナイフの使い方も切り方も手際が良かったから、てっきり自炊していると思っていたよ。


「一人分を作るコストを考えると、買ったり食べに出たほうが手軽なんです」

「それはあります」


 揚げ物とか煮物とか、よく考えないと作りすぎて困るんだよね。

 それでも食べたくて、牡蠣の六個パックを買ったりするけど。




 鍋にカキフライに、あれは素晴らしいメニューの流れだったと振り返るわたしに、お兄さんが漬物を口に入れながら首を傾げた。


「しょっぱかったですか?」

「味は大丈夫です。そちらではなくて、沢村さんの食事はバランスが良さそうだと思ったんです。目が悪くなったのは、暗くなるまで本を読んでいたとか、スマホの見すぎとかじゃないんですか?」

「一人暮らしをするまで、食事に興味はなかったですよ」


 家でも毎食、昼のお弁当までしっかり作ってくれていたけれど、そもそも食べる量が今とは全然違ったんだよね。


「少食だったんです。それこそ、今の半分以下しか食べれていませんでした」

「それはまた、栄養以前の問題ですね」


 だから成長期というものが微妙になくて、全体的に薄いままなのかもしれない。……一応、身長はそこそこ伸びたんだけどね。


 こう、出るとこは別に出ていなくていいから、年相応に見られたい。


 二十代の後半か三十代前半なら、「お嬢ちゃん」と言われても嬉しかったのかもしれないけど。三十代後半で「お嬢ちゃん」呼びは、ものすごーく微妙な気持ちになる。


 何かこう、未熟だと言われているような、そんな微妙な気持ちだ。


「一人暮らしを始めた頃は、食に興味がなくて適当に食べていたんです。そしたら風邪が治りにくかったり倒れやすくなったり、とにかく体調が悪いことが多くて。ご飯は大事だなあって気付いたんです」


 そこから実家のメニューを思い出して作り出して、それまでが適当すぎたことで料理に目覚めて今に至る、というわけだ。


「色々作りすぎて、食べすぎて倒れたりもしましたけど。三食きちんと、おかずと野菜はたくさんを心掛けているだけです」

「一度倒れると、食事のありがたみはみますからね」


 うんうんと、異世界で健康の話で盛り上がるわたしたち。


 ……何だろう、ここ。縁側か公園のベンチなんだろうか。

 いや、いつも通りに食の話だね、これは。うん。




 一粒のお米も残さずに食べ終わり、手を叩いたら片付けよう。


「あ、そうだ。外食が中心ってことは、一人暮らしですか?」

「そうです」


 皿洗いは譲らないと言ってちっとも聞かないお兄さんにお皿を渡しながら、気になったことを尋ねてみた。何だ、一人暮らしなら安心だ。


 ホッとしたわたしに、怪訝な顔を向けてくる。


「すごくいまさらなんですけど、結婚していたら困る状況だなあと思いまして……って、恋人がいても嫌な仕事内容でしたよね?」

「仕事ですからと言いたいところですが、そちらも問題ありませんよ」

「じゃあ、良かったです」


 いや、お兄さん的にはよくないだろうけど。帰った途端に修羅場とか、この年で勘弁してもらいたい。非常に。


「その心配もありませんが、そもそも特殊な仕事内容です。家庭を持っている同僚の大半は、異世界の人が相手なんですよ」

「そうなんですか?」

「説明しにくいでしょう?向こうの世界・・・・・・の人・・には」

「……なるほど」


 情報漏洩が一番心配で、面倒くさいって言っていたもんね。


 肩をすくめたお兄さんは、そのままサッサとお皿を洗って拭いていく。早い。


「機密資料などが家で保管されているわけではありませんが、手帳やスマホなど、どこから気付かれるかわからないところも、特定の相手を作りにくい原因ですね」

「それは大変ですねえ」


 わたしみたいに、一人で十分っていう人じゃなかったら、ちょっとしんどい仕事かも。退職しても、前職については話しにくい仕事内容だし。


「ええ。私も独り身なことは特別、何とも思いません」

「多いみたいですね、最近は」


 ウチの親は幸い、「結婚はまだなのか」とは言わない人だけど。まあ言われても「そのうち」じゃなくて、「諦めてくれ」って言うだろうね、わたしは。


「私もそう言いたいところですが、独身だと困ったことが起きやすいんですよ」

「困ったこと?」


 あれか。男性特有の出世に響くとか、時代錯誤なことがある会社とか?それとも変に理解を示されて、アッチの人だと思われるとか。


 わたしもコレ、あるのかな?

 いや、ないな。ないない。だってどう見ても、一人暮らしを満喫し過ぎている人だもんね。


 手を振って「ないわ」と言うわたしに、お兄さんはげっそりしていた。


「あったんですか?」

「そっちではありません。しかしもう、済んだことですので」


 済んだことなら、上司に苦情を言って慰謝料せしめた時のことか。確かパワハラとセクハラと、モラハラの三重苦だっけ。


「ああ、そうでした。帰る前に、書いて欲しい書類があるのでお願いします」

「わかりました」


 キッチリと、最初に置いてあった場所に食器や鍋を片付けたお兄さんは、冷蔵庫チェックも欠かさない。


「大丈夫です。全部、使い切りました」

「そのようですね」


 研修期間が終わって住み込みになったら、タッパーを持って行かないと。だって二週間ぶりに帰る我が家なんて、まずは料理よりも掃除でしょ。


「掃除で貴重な休みの一日が潰れるとわかっているのに、帰るんですね?」

「帰りますよ?」


 そんなに何度も確認しなくても、わたしは帰りたいから帰るんだよ。




 わたしが帰ることと、行き来することを再確認したお兄さんは、鞄の中から何枚かの紙を取り出していった。


「まず、慰謝料の受け取りの書面と非課税の証明書です。ご確認ください」

「……はい、わかりました」


 これ、冗談じゃなかったのか。


 直筆のサインに朱肉で押された判子までついている用紙は、わたしが退職をする前に社長に渡された書類と同じだ。

 一応、じっくり読んでも、なんでわたしまでもらえるのかが書いていないところが違うだけだね。


「あのぅ……。こんな金額をどうして振り込まれるか、理由は話してもらえないんですか?」


 だってさ、用紙に書いてある金額、退職金よりも多い気がするよ?

 何かを言われたことで、お兄さんももらったらしいけど。怪しい。とても。


 ペンを持たずに見上げるわたしに向かって、お兄さんが首を横に振った。


「沢村さんに話してしまうと、今度は私が支払わなければいけない対象になりますので」

「……」

「正当なお金です。受け取ってから何に使うかは、沢村さんの自由ですよ」

「…………」


 じいいっと睨んでも、絶対に話さないと断固拒否されてしまった。


 それなら実家の両親に送ろう……って、ダメだ。共犯者になってしまう。

 両親を巻き込んではダメだと首を振るわたしに、お兄さんの顔が引きつった。


「犯罪臭い言い方ですね」

「胡散臭いって言っているじゃないですか」


 それこそ最初から、最優先事項の食と一緒に何度も伝えているはずだ。


「それもそうでした。しかし、納得していただかないと困ります」

「……わかりました」


 判子はいらないというので、フルネームだけを記入していく。


 わたしが記入したら、同じ内容が書かれた用紙を控えとして渡していくところも前の会社と同じだけど……やっぱり胡散臭い。




 それ以外に簡単な三日間のアンケートを記入したら、ようやく宿から出ることになった。


「お世話になりました」

「いつでも泊まりに来な」

「ありがとうございます」


 毎週末に帰れないなら、こっちに残る時は外に泊まることも良いかもしれないな。色んな街を見て回ることも、きっと楽しいだろう。


 やっぱり手を振って別れた後に、お兄さんがポツリと呟いた。


「どうやってこの街に来たか、忘れました?」

「そうだった!」


 今も上空を飛んでいる、青い異世界の生き物に乗って来たんだった!

 ……あれ?と、いうことは?


 恐る恐る、お兄さんを見上げたら


「もちろん、帰りも飛竜ですよ」

「嫌だああぁぁ!」


 担いでいるリュックをつかみながら、引きずるように港へ歩いていくお兄さん。


「おや、お嬢ちゃん。港に戻るのかい?今日こそ私に乗らないかい?」


 今日も輝く金のたてがみをファサァッとなびかせた馬っていうか馬?が、朝からまぶしい笑顔を向けて誘いをかけてくる。


 笑顔でいいのかな、この表情は。


「さあ、乗りたまえ」


 ポンポンと背中を叩きながら、大きな歯を見せてくる馬。何だこれ。


「間に合ってます!!」


 一刻も早く家に帰りたい。畳に寝転がって眠りたいっ。


「では、飛竜に乗って帰りましょう」

「嫌だあああぁぁぁっ!!」


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