28話:三十六歳、異世界に行く(二泊三日)
ハローワークがある駅よりも三つ先で、わたしとお兄さんは降りた。
「ここから少し歩きますが、五分も掛からない場所にある建物から向かいます」
「わかりました」
今日もサクサクと速足で歩くお兄さんの後ろから、駆け足でついていくわたし。……足が短いからではない。身長差があるということを何度も言っておく。
「あ、早かったですか?」
前のことを覚えていたのか、途中でお兄さんが足を止めて振り向いてくれた。
せっかくなので伝えておこう。大事なことだし。
「こっちでは大丈夫ですけど、できれば向こうではもう少しゆっくりお願いしたいです」
「わかりました。気を付けます」
「よろしくお願いします」
なんせこれから行くところは、初めての場所だ。絶対にキョロキョロしてしまうだろうから、この速さで進まれたら置いていかれてしまう。
異世界ではぐれるとかシャレにならない。っていうか、そうなったらどうなるんだろう。
「沢村さんにはGPSがついていますから、すぐに見つかりますよ」
この歳で迷子センターのお世話になるのか、言葉は通じるのか。異世界から来たことで売られたりしないか不安になっているわたしに、カラッと笑ったお兄さんが物騒なことを言い放った。
「……」
「嘘です、ついていません。いえ、つけていません」
「…………」
「本当です」
ものすごーく歪んだ顔を向けてしまったらしい。
真顔のお兄さんが両手を挙げて、そんなものはつけていないと言っている。……本当か?
じいっと疑わし気に見つめるわたしに、異世界でも繋がる機械を取り出した。
「こちらを使って他の社員も呼んで捜索します」
「絶対にはぐれないようにします」
「よろしくお願いします」
一体いつの間に、どこにつけたと言うんだ。あれか、しゃもじを奪った時か?
それなら忍者かという素早さだけど、それが本当ならお風呂に入っても落ちないGPSがついているってことになるから末恐ろしい。
その先は考えないことにしたら、目の前に現れたビルの中に入ることにしよう、うん。
駅から徒歩で三分くらい。ビルは五階建てで、周辺も普通の民家があったりする普通の町だ。
「このビルの三階が、私たちの管理している場所になります」
「そこから、どこにでも行けるんですか?」
「ええ、そうです」
何だか急に、SFっぽいなあ。三階のとある部屋にある扉を案内されて、ますます映画かアニメみたいだと思ってしまった。
これはあれ?扉ってことは、『どこでも〇ア』っていうヤツ?
「ちょっと違いますね。日にちと時間、行き来する人を会社に事前に申請しないと使えないんです」
「予約制なんですか?」
「そうです。申請漏れや私的な利用は重大な違反になりますので、お気を付けください」
「……わかりました」
会社に事前に申請って、お兄さんが勤めているところにってことか。
認められたら許可証が渡されて、それを扉の脇にかざすと申請した異世界に行くことができる、と。
ふぅんと頷きながら許可証とハローワークカードを一緒にかざしたら、ガチャリと鍵の開いた音がした。
お兄さんがノブに手を掛けて、ゆっくりと扉が開いていく。
「さあ、行きましょうか」
「……はい!」
許可証は貴重品と一緒に服の下に仕舞って、リュックを背負い直したら扉の中に入って行こう。
「……?」
とても静かなビルから扉に入ったら、少しずつにぎやかな雑踏の中にいるような音がしてきた。
「時差や季節差はありませんが、少し暑いかもしれませんね」
いつもの黒縁眼鏡を仕舞ったお兄さんが、そのままシャツを腕まくりする。そうそう、お兄さんも黒髪黒目ってことで、ダークグレーの髪に変えたんだよね。
人にはピンクを勧めておいて、自分は無難なグレーとか。……まあ、いいけど。
「うわぁ……」
だんだん大きくなる人の声や何かを引く音、叩くような音が聴こえてきた方向に顔を向けたら、屋台のようなお店が両脇に並んでいた。
え、急にこんな街中に出現するような移動の仕方なの!?大丈夫、これ?
キョロキョロと別な意味で見回すわたしの姿は、どうやら物珍しいだけだと判断したらしい。
「ここは定期市が立つ場所です。就職先はもう少し奥の、移動をしない固定されている建物が並ぶ場所になります」
「いえ、あの」
「ああ、何か食べてみますか?海は少し遠いんですが、新鮮なものがちゃんと届きますよ。最初にお勧めした宿屋がある地域より、内陸になりますね」
まあ、別な世界なんですけどと話しながら、果物がいいか串焼きのようなものがいいかと屋台を指差した。
いやいやいやいや、その味も、もちろんとっても気になりますけど。
「食べ物じゃなくて!……いきなり、こんなに人通りの多いところに現れて大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ?」
なんと。
少しずつ音が大きくなっているのはなんでだろうと思っていたら、わたしの姿がこっちで徐々に認識されてきた合図らしい。
「……じゃあ、突然現れた感じじゃなくて、空気のように気付かれなかったものに存在感が出たってことですか?」
「そうなりますね」
だから誰も気にしていないと、とてもアッサリ言うお兄さん。ついでにニコリと微笑んで、両脇に並ぶ屋台を指差した。
「それで、沢村さん?」
「はい?」
「何か食べますか?」
「……食べます」
果物が並べられているお店でジュースを買ったら、お焼きみたいな、丸い生地の中に肉まんの具材みたいなものがぎっしり入っているものも買ってみた。
「熱いっ」
立ち食いなんてお祭りみたい。でもこの賑やかさとお店の豊富さは、まさに屋台が並ぶお祭りだね。
「まずは今日の宿に行って、荷物を置きましょうか」
「ははひはひは」
熱々の具材は肉汁がとっても美味しくて、口いっぱいに入れながら頷いていく。……いくつだ、わたし。
外国ではないけれど、異世界なんだから日本円は使えない。当たり前か。
それでも宿代や食費はどうするのかと言ったら、二泊三日でかかりそうなお金をお兄さんに渡して、補助金分と一緒にやりくりしてもらうことになっている。
「はあ……」
宿に入って鍵をもらって、親切にも部屋まで案内をしてもらったら気が抜けた。
……ふう。急に人ごみに混ざったからか、部屋の中が静かってだけでホッとするなあ。
それでも靴を脱がないところが海外っぽいね。いや、ホテルも脱がないか。
右の壁側には二段ベッド、左側にはソファとテーブルというお部屋が今日の宿になるみたい。
六畳くらいだけど広く感じるのは、家具が三つしか置いていないからかも。
ソファにリュックを置いて、持ち運ぶものだけ出したら出掛ける支度をしよう。
お兄さんはテーブルに置いた鞄から筆記具を出して、さっき使ったお金を書いていた。そうか、こっちに来たら家計簿をつけた方がいいかもしれないな。
会社に提出するものなのか、色々な項目が描かれている用紙に使った内容と金額を埋めていく様子を眺めているわたしに、お兄さんが顔を上げずに頷いた。
「それは必要でしょうね。日本円の換金はいつでもできますけど、こちらにもある程度は貯金をしておいた方が安心でしょう」
「貯金……」
それは今まで、まったく考えたことがないものだね。
二月のバレンタインフェアで、チョコレートを心ゆくまで買い漁るための資金は貯めているけれど。いざという時に、手持ち以外のお金があると違うもん。
でもそうだ。旅行券を使うために、お金を貯めようかと話したんだった。
「それでは次は、こちらのお金について説明しながら買い物をしましょうか」
「お願いします」
言葉は、現地に着いた時点でなんとなくわかるようになったけど。さすがにお金の単位とか価値とか、買い物の仕方も土地によって違うもんね。
……ん?そういえば商品の近くに置いてあった看板らしき板には、普通に値段が書いてあったかも。次はよく見ておくことにしよう。
持ってきたメモ帳に日本円との金額票を作っていたら、覗き込んでいたお兄さんが指を伸ばしてきた。
「ここは日本とあまり変わらないんですよ。一円から五千円までがあります」
「わかりました」
それなら、一万円の隣りは斜線を引いておくとしよう。屋台で出していたお金は小銭っぽく見えたけど、千円の代わりはお札なのかな?
ふぅんと頷きながら書いていったら、ウエストポーチに入れていく。
「そこには何が入っているんですか?」
「大きいところには財布と免許証、ハローワークカードとメモ帳とペンで。小さいところの左はティッシュとウェットティッシュ、右はフセンと時計です」
スマホは使えないだろうと思って家に置いてきた。異世界で失くしても困るし。腕時計はスマホがないと時間わかんなくて不便だからだ。
異世界ツアーならぬ『就職先の見学会』は、求職活動としてカウントされる。
それならハローワークカードがいるよねということで持ってきたら早速、こっちの世界に来る時に必要だとわかって危なかった。ナイス、わたし。
っていうか、やっぱり旅行のしおりを作ってもらえば良かったかも。
「へえ、色々入っているんですね。前の会社でも使っていたものですか?」
「そうです。次に行く予定のところは、こういうウェストポーチとか身に着けても大丈夫でしょうか?」
エプロンをつけてもいいなら、ポケットに入れるだけで済むけれど。制服があるなら難しいし、なかったらこれほどの荷物を持って移動するのはちょっと大変だ。
知らない世界の知らない分野が就職先なら、メモ帳とペンは必須だもんね。
わたしの言葉に少し考え込んだお兄さんが、問題ないのではと頷いた。そのまま荷物を片付けたら、ソファの上に置いて外に行こうと促していく。
階段を下りながら宿屋から出て、そのまま雑踏の中に戻りながら話し続ける。
「沢村さんにお勧めしようと考えているお店は、薬屋なんですよ」
「薬屋って、薬局ということですか?」
来る前に頼んでおいたからか、いつもよりもゆっくりと隣りに並びながら歩いてくれているみたい。
口調は穏やかなのに足が速いんだよね。食べる速度はそんなに早くなかったのにと思い出していたわたしに、お兄さんが視線を向けてきた。
「ええ、そうです。店主が自分で加工した薬などを販売している薬局です」
「……専門知識も何もないんですけど」
薬剤師さんを募集していたら完全に無理だ。販売もしている店なら、単純にレジ打ち担当なだけの気もするけれど。
ちょっと顔を引きつらせたわたしに、お兄さんが手を振って否定してくる。
「沢村さんの仕事は、接客で変わりませんよ。その店は家庭の常備薬も扱っているということで、お客さん自ら来店するんです。その方々の求める薬を販売したり、どういう症状の薬が必要か聞き出す役目ですね」
「ああ、なるほど。それなら大丈夫そうです」
ああ、良かった。
あらかじめ出来上がっている薬の販売もしつつ、一人一人に合わせた薬を店主に作ってもらう薬局なんだね。
「それでも薬の効能や、よく来るお客さんの名前は覚えないといけないでしょうね。今は店主だけが薬作りをしているんですが、そろそろお弟子さんにも教えたいということで、店番を探されておりました」
「わかりました」
なかなか繁盛しているお店なのかあ。
接客が忙しくて仕事を分担できないなら本末転倒というか、その店主が倒れたら困ることの方が多いだろう。
ふぅんと何度も頷くわたしに、薬の知識は必要ないと言ってくれた。
「効能や使用している薬草は、知らないと仕事にならないでしょう。しかしこっちの世界の専門知識があっても通用しません。むしろ、ない方が良いんですよ」
「……それもそうですね」
似たような見た目の物があったら、変に覚えて大変なことになりそうだ。どこの世界でも、一歩間違ったら薬はとっても危険なものになるはず。
「ええ、その通りです。過剰摂取は死に至る危険があります。用法と容量はきちんと学んでください」
「わかりました」
何だか今にもその店に挨拶に行くような話をしていたら、布や帽子、服なんかの屋台に変わっていった。
食べ物の屋台とは別になっているからか、まっすぐ歩いてきたのに空気が違う。また周りを見回したわたしに、お兄さんが立ち止まった。
「一着くらい、買っておきますか?藍染のような色が人気なので、違和感も少なくなると思いますよ」
襟付きと襟なしのシャツが並んでいるお店を指差したお兄さんが、サイズも色々あるといくつか手に取っていく。いや、それはちょっと……。
一歩下がったわたしに気が付いたお兄さんが首を傾げた。
「……あの。失礼ですが、Sサイズですか?」
「男女兼用のSではなくて、レディースのSサイズ寄りです」
ここでは男女兼用が普通なのか、一番小さいサイズを渡されたにも関わらず腕は隠れて肩はずり落ちることがわかる、オーバーサイズだった。デカい。
お兄さんとお店のおじさんが、何とも言えない顔でわたしを見つめている。
「……」
「……」
「ええと、そうだ!子供用が確かあったはずだ」
屋台を見て回った時に気付いていたけれど、この世界はちょっと大きい。
ちょっとっていうか百七十センチ以上が普通みたいで、途中で首が痛くなったよ。
「これならどうだ、お嬢ちゃん!」
子供用があったと呟いたお店のおじさんが、わたしが着れそうなキッズ服を取り出してきた。
確かにこのサイズなら着れるだろうけど、わたしっていくつに見えているんですかね?
「三十六歳で子供用って大丈夫ですか?」
「んんっ!?ええと……ゴホン」
「着てみたらいかがですか?」
「……はい」
咳き込んで誤魔化すおじさんから受け取ったお兄さんが、これならピッタリではといつものニコニコ顔で勧めてくる。
最初よりはピッタリなんだけど嬉しくない。だってこれ、子供用……。
「うん、……うん!似合っているぞ、お嬢ちゃん。よし、安くしといてやろう!」
「ありがとうございます……」
子供用って言ってたけど、百六十や百五十じゃないよね、きっと。
いや。こっちの人の普通が大きいだけで、わたしが特別小さいわけではない……はず!




