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27話:異世界に行く前の準備

「今日はまだ寒いから、このシャツにしようかな?」


 そうすると上着もいるな。ベージュのコートにしよう。


「うーん……。髪の色が変わるだけで、今まで着てきた服が全然違って見える」


 正式に就職できるかわからないけど、お試しで異世界に行くことになった。

 そこでは黒が教祖様と教会のイメージカラーで、白は異教徒になるのだそうだ。


 つまり黒髪黒目のわたしが行ったら、もれなく信者の仲間入りというわけだ。


「それより、五万円だよ」


 白と黒が完全にアウトの色ではなくて、柄が入っていれば良いという曖昧な世界だから助かる部分も多いけれど。

 それでもせっかく買ったブラックストライプスーツや白いシャツ、黒い鞄に黒い靴までがアウトと言われたら、総額五万円がもったいないといつまでも言い続けてしまうことも仕方がないと思う。


「まったく着ていなかったら、返品できたのかなあ」


 でもまだ、おススメされた世界が合うとは限らないもんね。

 そうするとハローワークに戻ることになって、退職金がなくなるまで書類審査と面接の日々を繰り返すことになる。


「まだ出番があるといえば、あるかもしれないか」


 年齢的にも、まったく違う異世界で一から生活と仕事をすることに抵抗はある。だからこその体験ツアーを提案されて、とても助かっている。


「まずはそこで、妥協できる部分をよく考えよう」


 こっちと異世界の往復なんて離れ業まで考えてもらって、さらに三か月の見習い期間まで用意してまで慣れさせようとしてくれているんだもん。


「そのために髪も染めたし!」


 よしっと気合いを入れたら、久しぶりの外食をしに出掛けようっと。




「ええっ!?就職するために髪を染めたんですか?」

「う、うん……」


 絡めていたパスタをフォークごとお皿に置いた後輩ちゃんが、思いっ切り後ろにのけぞった。……そんなに驚くこと?


 わたしが怪訝な顔をしていたら、ものすごーく歪ませた顔を向けて溜息を吐いていく。ううむ、相変わらず、どんな顔をしても可愛いとはこのことだね。


 わたしが久しぶりでも変わらない、くるくるした髪を見ていたら、嫌そうな顔のままの後輩ちゃんがフォークをつかみ直した。


「だって茶色い髪を地毛だって主張しても、普通は黒髪だろうって染めてくることを強要した面接官が問題になったじゃないですか。そうでなくとも会社の方針で髪を染めるなんて、いまどきパワハラとかセクハラって言われて訴訟を起こされても不思議じゃありませんよ?」

「ああ、そっか」


 そういえば、そういう話も聞いたことがあったね。

 テレビも新聞もない部屋だから忘れていたけれど。随分と言われていた問題なんだから、わたしが就職のために染めるってこともパワハラとかに当たるのか。


 まだ見慣れない自分の髪を見ながら、それでもわたしは染めるほうを選ぶな。

 黒髪のままだと教会に閉じ込められるとか、そっちのほうが現実的じゃないし。


 でもこの話は後輩ちゃんにはできないことで、何と言えば納得してくれるかなあと考え込んでいたら。


「……でも、そうですよね」

「え?」

「すみません。先輩が変な会社に引っかかったのかと思ったんですけど、強要されなくても髪を染めなくてはいけない場合もあったことを忘れていました」

「うん?」


 わたしが嫌々やったとは感じていないからか、就職に不利だから染めたわけではないとわかってくれたらしい。でも何で、急に?


 首を傾げて後輩ちゃんを見やったら、全然思ってもみなかったことをとても申し訳なさそうに呟いていく。


「見た目は座敷童みたいだし、体型は一反木綿のように薄すぎて学生みたいにしか見えませんけど」

「ん?」

「先輩はもう三十六歳。白髪染めをするなら真っ黒に染める方が不自然です」

「……う、うん」


 今度は慈愛のような、いたわりを込めた視線を向けながら微笑む後輩ちゃん。


「今まで染めたことのない先輩の新しい姿を見て、ようやく恋人でもできたのかと嬉しく思いましたけど……」

「それはない」

「知ってます」

「……はい」


 わたしが付き合う人に影響されて髪を染める可能性はまったくないと、被り気味に否定されてしまった。

 事実だけど、そんなに即答する?いや、相手はもちろんいないけどさ。


 何とも言えない顔で後輩ちゃんを見つめるわたしに、本当に申し訳なさそうな顔で話し続けていく。


「いくら学生にしか見えない先輩でも、歳には勝てませんよね」

「うん、はい」


 とても複雑な納得のされ方だけど、後輩ちゃんの中で落ち着いたのなら良いってことにしておくよ。うん。


 わたしはちっとも良くないけどね?

 恋人ができて外見を気にした結果でも、パワハラを受けたことで染めたわけでもなければ、ましてや白髪染めも事実ではないからね?




 四十手前だから白髪染めをしたというフレーズに、その後も落ち込んでしまっているわたし。いやね?その通りですけどね?

 でもこれは、まだ白髪染めではないの。ただの普通の、普通のカラーなんだよ、後輩ちゃん。


 納得してくれた後輩ちゃんにいまさら訂正するには言い訳臭いし、何より必死感がかえって痛々しいだろう。

 それより似合っていると言ってくれた、嬉しい言葉だけ覚えておくことにする。


 デザートのケーキを切り分けながら、改めて新しくなったわたしの髪をじいっと見つめてきた。相変わらず、睫毛のカールが完璧ですね。


「でも茶色じゃなくて赤系って、珍しいですよね。先輩が決めたんですか?」

「ん?」


 お、さすが後輩ちゃん。鋭い。


 いいツッコミですねと言いたいところだけど、ここで例のお兄さんの話をしたら別な食いつきがありそうだな。


「いつも行く美容室の、昔から担当してもらっている人に相談したの」

「ふぅん?」


 これもまあ、完全に間違いではないのだ。

 それでも茶色より別な色はどうかと勧めたのはお兄さんで、その言葉で美容室の人が決めてくれた色だ。


 ピンクは無理と言うわたしに、黒寄りの赤にしてくれたことは助かった。人の髪だと思ってあのお兄さんは、まったく……。いくつだと思っているんだよ。


 思い出して眉間を寄せてしまったわたしに、後輩ちゃんが一つ頷いた。


「紫はやっぱり、白髪が八割くらいにならないとできない色ですもんね」

「……うん。白髪の話は、もういいよ」


 精神的にかなりクルから、その話は脇にでも置いといてください。




「それで?相談って何だったの?」


 食後のケーキを口に運びながら、声を掛けてきた後輩ちゃんに向き直る。そう、とっても珍しいけど、無職のわたしに相談があると連絡が来たのだ。


 フォークを置いた後輩ちゃんが、紅茶を一口飲んだら口を開いた。


「わたしっていうよりも、佐藤さんからです」

「佐藤さん?」


 それはわたしがしていた、お茶出しやコピーを引き継いでくれた貴重な人の名前ではないか。

 お腹が出ている部長におやつを与えない役まで引き受けてくれたことで、少しはお腹周りがスッキリしていると良いんだけど。


「部長は相変わらずですよ」

「だろうね」


 そう簡単に、甘い物好きの部長が落ち着くわけがないか。家では奥さんに止められている甘い物を、勤務時間内に今もバクバク食べているんだろう。


「太り過ぎて今年の健康診断にも引っかかりそうな部長は置いておいて。佐藤さんが、ちょっと困った人に絡まれているそうなんですよ」

「ちょっと困った人?」


 前の会社は、いわゆる食品の流通を担当していたところ。

 作年末の事業縮小で色々な部署が合わさったことから、わたしみたいな退職者も出て。そっち方面での文句かと思ったら、会社が卸している食品に関することだと話してくれた。


「お客様相談センターじゃなくて、直接、会社に電話をしてくる人ってたまにいるじゃないですか」

「ああ、うん。わたしも何度か対応したよ」


 そうそう。これをしていたこともあって、接客も今までしていた仕事内容に入るのかなあと思ったんだよね。

 思い出して頷いたわたしに、後輩ちゃんが続けていく。


「そのお客さん、最初は電話だけだったみたいなんですけど、今月から会社に直接乗り込んで来るようになって」

「……なかなかアグレッシブな人だね」

「その人に、運悪く捕まったのが佐藤さんなんです」

「なるほど」


 佐藤さん、真面目だもんなあ……。

 きっと全然関係ない話にも相槌を打って、見事に撃退じゃなく、愚痴を言ってもいい人という係に任命されてしまったんだろう。


「ええ、まさにそれです。ただこの人が、ずうっと怒鳴りっ放しなこともあって、ちょっとノイローゼ気味になってきているんですよ」

「真面目って、こういう時に損するよね」


 テキトーにあしらって、その後は関わり合いにならなければいいんだろうけど。最初に関わったのは自分だからと、いつでも真面目に対応しているんだろうなあ。真面目って大変。


「わたしは直接、現場は見ていないので何とも言えないんです。それでもかなりな音量で怒鳴り続けるので、会社としても迷惑で……」

「警察を呼べば良いんじゃない?」


 営業妨害とか何かでもいけるだろうし、佐藤さんの医者の診断書があればもっと手っ取り早く訴えられるだろう。


「それができればいいんですけどね。先代を知っている人らしくて、社長も扱いに困っているそうです」

「うわぁ、そう来たか」


 創業が微妙に長くて先代が実のおじいさんだったりすると、こういう時にとても厄介なんだよね。「この会社を大きくしてやったのは自分だ!」っていうセリフ、何度も聞いたわ。


「それで、その人から先輩の名前が出てきたらしくて、対処法を知っているんじゃないかって言われたんです」

「対処法って言われてもね」


 名前と外見を言われたけど、知っているような知らないような……。そもそも前は電話だったんなら、外見の特徴を言われてもわからないしなあ。




「んー……。でも佐藤さんは猫が好きだから、野良猫に接するようにすれば大丈夫じゃない?」

「え、猫?」


 毎回、関係ないことまで噛みついてくるなんて、人嫌いの野良猫そっくりだ。

 紅茶のおかわりを足したら、佐藤さんがどういう風に対応しているのかを訊いてみることにした。


「……どうって言われても、わたしは見ていませんから。でもその人の話をすると顔色が悪くなるくらいだって聞きましたから、怯えてしまっているんじゃないですか?」

「ああ、それはもうダメだね」


 最初から攻撃してくるタイプに怯えた態度で対応したら、相手が下手にしか出てこないとわかって余計に悪化するパターンだ。


「でも毎回、佐藤さんを名指しされるから呼ばないわけにはいかないんですよ」

「だから佐藤さんの気持ちを変えればいいんだよ」

「それが、猫?」


 全然わかんないと首を傾げる後輩ちゃん。かなりわかりやすいと思うんだけど、別な部署なら知らないことかも。


 うむ、ではその根拠をお教えしようではないか。


「まず、佐藤さんは根っからの猫派」


 スマホケースも猫、フセンも猫、メモ帳にボールペンまで猫尽くしなんだから、相当な猫好きの部類に入るだろう。


「グッズの猫は好きって人、けっこういますよ?」

「そういう人もいるけど佐藤さんは違うんだよ。だって家で飼っている猫、ぜんぶ野良猫だもん」

「へ?」


 クレームを言ってきているお客さんのような人みたいに、捨てられて人間不信になって、牙と爪を立てられても通い続けて家に迎える。そんなことができる人は、なかなかいない。


「目がまだ開いてない産まれたばかりの子猫を拾って、一時間ごとにミルクあげて獣医に診せて、休日返上でお世話ができる猛者だよ、佐藤さんは」

「うわっ、それは相当ですね」

「うん」


 ペットショップで人に慣れた猫を飼っているんじゃなくて、気性の荒い野良猫を拾って育てる。そんなことを小学生の頃からしている佐藤さんなら、怒鳴り込んできた人の対処も朝飯前のはずだ。


 これで解決とばかりに紅茶を飲み干したわたしに、後輩ちゃんが真面目な表情でストップをかけてきた。


「人と猫を一緒にしないでください」

「いやいや、同じだって」


 次にその人が来たら、言葉がわからない人嫌いの野良猫に対するように、接してみればいいんだよ。

 手のひらを爪で引っかかれても噛みつかれても、絶対に怒らないで穏やかな心で接することがポイントだと話していた佐藤さんならできるはず。


「えぇ~……。まあ一応、話してみますけど」

「その人が来る前に、野良猫をイメージするように言えば落ち着くよ」


 こっちに余裕ができると、怒っていた人も冷静になりやすい。


「何か言われてこっちから話す前に、少し間を置くのもいいね。相手にはキチンと聞いていますよって伝わるし、こっちは余裕ができるから」

「……わかりました」


 まだ半信半疑な後輩ちゃんだけれど、わたしがさっきよりものんびり話していることに気付いてくれたみたいだ。小さく頷いたら、休み明けに話してもらうことで一応、相談は終わったみたい。




「これ、佐藤さんに渡してくれる?」

「何ですか?」


 途中で寄った雑貨屋で見つけた、まさに野良猫って感じのメモ帳を後輩ちゃんに渡してもらうことにする。

 「シャアッ!」とでも言いそうな、いまにも爪を引っかけてきそうないい感じのメモ帳があって良かった。


「これを目の前に出した時、絶対に佐藤さんは満面の笑みを浮かべてくれるよ」

「ええ~……、本当ですか?」

「マジマジ。可愛いとも言うはずだから、そう言ったらさっきの話をしてみて」

「ああ、なるほど」


 この、明らかに万人受けはしなさそうなメモ帳の猫ですら「可愛い!」と思えるのなら、さっきの作戦が伝わるはずだ。

 ようやく後輩ちゃんも納得したら、まずはメモ帳で反応を見てみると請け負ってくれた。


「佐藤さんって、完全に会社とプライベートを分けている感じでしたけど。先輩はよく知っていましたね」

「それこそ、持ち物が猫グッズだらけなんだもん。それにたまーにだけど、腕まで傷だらけだったことが何度もあったから訊いてみたの」


 猫グッズが好きなだけの人もいるけれど、腕の傷から猫を飼っているんだなってわかって。それでも野良猫を中心に引き取ったり拾ったりしていると聞かされた時は、まさに目に入れても痛くないくらいに好きなんだなあって驚いたくらいだ。


「はー……、まったく。先輩って変わらないんだから」

「ん?」


 どういう意味だと顔を上げたら、もう一つ思い出したみたいで顔を向けてきた。


「そういえば渡した旅行券、使ってくれました?」

「あー……。タイミングが合わなくて、まだ使ってない」

「毎日、暇だったでしょ!?」


 無職なのになぜと言われても、実際の無職は大変なのだ。月二回以上の求職活動をしないと、お金が振り込まれないところとか。


「それなら微妙に動きにくいですね」

「うん」


 まあ、もうすぐ出掛けるから良いんだ。

 旅行券は使わないところで、さらにミステリーツアーみたいな内容だけれども。添乗員さん代わりの案内人のお兄さんがいるし、二泊三日だし。


「次の就職先、決まりそうなんですもんね。それなら夏か秋くらいの落ち着いた時まで、長期休みは取れないでしょうし」

「ちょうど良いからお金も貯めて、のんびりできるところに行ってくるよ」

「それも良いですね」


 じゃあと今度こそ別れたら、ミステリーツアーならぬ、異世界ツアー二泊三日の準備をすることにしようかな。




 後輩ちゃんと別れたら、他に買うものはなかったっけと店をプラプラしてみる。


「あ、マスクどうしよう。まだ微妙にホコリっぽいからなあ」


 でもきっと、顔の半分が隠れる白いマスクはNGな気がする。眼鏡が曇らなくて、白か黒以外の色を用意しておこうかな。


「そのまま就職先を紹介ってことになったら、布団と鍋、調味料とお皿。畳はないよね?ホームセンターにパズルみたいな、大きさが変えられるマットはあるかな」


 一つ一つ、指を折りながら考え直すと、まだまだ必要な道具がたくさんあることがわかった。

 鍋と布団、調味料とかは向こうに置きっぱなしがいいか。だっていちいち抱えて往復するのは面倒くさいし。


「月に二回の四日間しか帰らないなら、アパートの契約もどうしようかな」


 それこそ大きい荷物は向こうに置きっぱなしにして、他は貸倉庫とかに保管する方が安上がりかな?


 帰りたい気持ちに変わりはないけど、こう考えるとデメリットの方が多いこともわかってきた。それでもこっちの世界に居場所がなくなることは困るんだよね。


 っていうか、他の人は知り合いとか家族に何て言ってお別れしているんだろう?転生なら死なないといけないけど、転移なら今の自分が丸ごと行くんでしょ?


 失踪届けとか出されたら、とてもマズい気がするんだけど。そういうところも気にならないのかな?


 わたしみたいに家族は両親だけとか、知り合いはほとんどいないとか、そもそもこの世界に未練はまったくないってことで選ばれたのかな?


「うーん?でも、あっちは現実逃避の場所じゃないって言っていたよね?」


 何を基準に選ばれたのか、イマイチわかんないなあ。それこそわたしみたいに、「他の世界に就職先はありませんか?」とか訊いたんだろうか。


「さすがに、ないな」


 ないないと手を振って、荷造りを始めることにしよう。




 いつも通りの時間に起きて、いつも通りに支度をして。掃除をしたら、火の元と戸締りの確認をして家を出る。


 そうしてこれまた行き慣れた道を歩いて、駅のホームで待ち合わせだ。


「おはようございます、沢村さん」

「おはようございます。今日から三日間、よろしくお願いします」


 いつもとは違う、スーツ姿じゃないお兄さんにぺこりとお辞儀をしたら。

 ハローワーク方向の電車に乗り込んで、初めて降りる駅から異世界に向かうことにする。


「では、行きますか」

「はい」


 晴れて良かったなと呑気に思いながら、リュックを抱え直して一歩踏み出した。


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