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26話:アンケートのやり直し

「無事に抗議が認められました」

「はあ、おめでとうございます?」


 何に対する抗議をしたのかわからないけれど。やけにスッキリしたお兄さんは、呑気にケーキを口に運んでいった。


「ああ、すみません。大変不快なパワハラとセクハラとモラハラを受けましたが、沢村さんに対する慰謝料もいただくことができました。後で振り込みますね」

「慰謝料?」


 ええと、会社の上司と異世界とこっちを行き来できるかという話をしていた気がするんだけど。それがどうしてパワハラとセクハラとモラハラの三重苦をわたしも受けたことになるんだ?


 怪訝な顔を向けるわたしには、やんわりと首を横に振っていった。


「とても不快すぎて口に出したくありません。とにかく正当なお金ですから、受け取ってください」

「税金がかかるならいりません」

「もちろん非課税ですよ。振り込む前に契約書をお持ちします」

「……わかりました」


 そこまで決まっているのなら、もらった方がいいんだろう。

 しかし異世界との行き来を頼んだだけで受けるハラスメントってなんだろう?


 このままだとややこしくて面倒だから、黙って置いてこいとか言われたのかな?とても困るけど、その可能性はあるかもしれない。っていうか、それかも。


「大丈夫です。ついでに、そちらもかなり優遇させていただきました」


 ニコニコと番茶をすすっているお兄さんは、とても凄腕なのかもしれない。

 いや、これは単に向こうの上司が悪かったんだろう。うん。そういうことにしておいて、この件は脇に置いて忘れることにする。


「わかりました、ありがとうございます。よろしくお願いします」


 ぺこりとお辞儀をしたら、追加で記入したアンケート結果を見ながら次の就職先を考えることになった。


 あれ。そういえば、いまって何時だっけ?




「……あの、今日は何時までいる予定なんでしょうか?」

「沢村さんの就職先が決まるまでですけど?」

「明日とかじゃダメですか?」


 細かい内容のアンケートに作り直したからか、全部を記入するまでに結構な時間をかけてしまった。

 つまり三時にハローワークを出てから、すでに五時近くになっている。


「それもそうですね。一人暮らしの女性の家に、遅い時間までいるわけにはいきませんよね」


 でも次の就職先が決まらないと、服装とか持ち物とかの話をしにまた来ることになると悩みだした。

 それはわたしも気になることだから、一緒に見てもらうと非常に助かる。


「一応、買い物もあるかと思って今日から三日間を出張扱いで申請してあります」

「それはありがたいんですが、それより夕食が」

「夕食?」


 蒸しプリンと四等分のチーズケーキを一緒に食べたことで、微妙にお腹は空いていない。それでもそろそろ茶碗蒸しと鱈と、他の夕食の支度も進めたいんだよね。


「ああ、なるほど。私の分は気にしないでください。コンビニがありましたよね?そちらで何か買ってきますよ」

「そうですか?わかりました」


 すぐに立ち上がったお兄さんは、上着をつかんで外に出る準備を始めてくれた。


 それなら仕込んでおいた土鍋にも火を付けよう。茶碗蒸しと一緒に鱈を並べて、と。


「……」


 同じく立ち上がって、夕食の支度を始めたわたしを見つめる視線が痛い。


「何ですか?」

「その土鍋には何が入っているのかと思いまして」

「炊き込みご飯です」

「炊き込みご飯!?」


 え、すごい食いつきなんだけど。

 コンビニでも普通にある、五目おにぎりと同じですよ。何を期待されているのかわからないけど、ホタテとか入ってないからね?


「具は何ですか?」

「鶏肉とひじきと人参、ゴボウと糸こんにゃくです」


 普通の、ごくごくシンプルなしょうゆ味の炊き込みご飯だ。そのまま汁物の用意をしながら、具の中身を説明していく。


「茶碗蒸しと鱈の味付けがアッサリなので、濃い味のご飯にしたんです」


 本当に、何の変哲もない炊き込みご飯。だけど無性に、食べたくなるんだよね。


 残ったら、冷凍できるところも素晴らしい。おにぎり型に冷凍したら、いつでも食べられるもんね。


「他は何ですか?」

「白菜とジャガイモの味噌汁と漬物です」


 そうだ、明日は肉じゃがにしようかな。特売で買ったジャガイモが残っていた。今日使った人参も三本残っているしと、火を付けながら明日のご飯を考えていく。


 それとも豚汁がいいかな?あれもあれで、たまに食べたくなるんだよねえ。


 朝晩寒い四月の終わりに、ちょうど良いと言えばちょうど良いメニューだ。




 特に切るものもなく仕込んだまま火にかけてテーブルに戻ろうとしたわたしを、とっても情熱的に見つめるお兄さん。


「美味しそうですね」

「うっ」


 たまーに、後輩ちゃんが食べに来るくらいで、会社でお弁当のおかずを交換したこともないから自分の腕はイマイチわからない。

 だって毎日、自分のために作っているだけで、自分が美味しければそれで十分。


「美味しそうですね」

「そ、そうでしょうか……」


 必死に視線を合わせないように座ったら、どこかの異世界で就職先は見つかったのかと尋ねることにする。

 あ、しまった。コンビニに行って来いと言えば良かった。


「ああ、はい。まずは行き来の了承が得られましたので、改めてそちらの説明からしますね」


 わたしが尋ねてしまったことで、お兄さんも座り直してしまった。それでも眼鏡を持ち上げたら、仕事モードに戻ってくれたらしい。


 一応、ご飯から思考は逸れたかな。


 あ、ダメだ。視線は鍋に向けたままだ。隠すように座れば良かったかも。香りは漂ってくるから、見えなくしても意味はなさそうだけれども。


 誤魔化すために番茶を淹れ直したわたしに、タブレットを向けてくる。


「とにかく前例がないことですので、勤務時間や行き来などについては変更があるかもしれません。向こうの世界に置き去りにされることはありませんが、その点についてはご了承ください」

「わかりました」


 これについては、全面的にお兄さんの手腕に任せよう。なんか頼もしいと思えてきたし。

 そのまま画面を動かしたら、とっても細かい説明文が現れた。……え、こんなに大量の注意事項を今、決めてくれたの?仕事早くない?


「まずは向こうの世界に慣れてもらうために、二泊三日で勤務先候補の周辺を回ることになりました」

「回るって、色んな異世界をってことですか?」


 またサラッと言ったけど、二泊三日って泊まるの?どこに?異世界に??


 急に言われた言葉の数々に、頭が追い付かなくて混乱する。それでもお兄さんはいつものように、サクサクよどみなく進めていった。


「アンケート結果から出した、一番馴染みそうな異世界だけです。この世界が問題なかったら、そこから就職先に案内します」

「……馴染まなかったら?」

「条件をもう少し、変えてもらうことになりますね」


 わたしに合う異世界は、何と一つしかなかったらしい。

 最初のアンケートに、さらに細かくなったものも足したら必然的に狭くなるか。


 これはハローワークにある、求人が検索できる機械にも同じことが言えるのだ。大雑把に入れれば何万や何千件と出てくれるけど。そこから条件を細かく入れれば入れるほど、最終的に一件も該当しなくなる。


 ……やっぱりわたし、細かすぎるのかな。


 大勢の人たちに迷惑を掛けていると落ち込んだわたしに、とても穏やかな微笑みを向けてくれるお兄さん。


「行ってからどうにもならないよりは、行く前に色々な問題点を洗い出してくれたほうがこちらも助かりますよ」


 出張扱いにしたと言っても、勤務時間外だろうに。就職先を見つけることが喜びだという言葉通りに、仕事熱心な人なんだろうな。


 それなら余計に妥協できるところはすり合わせようと決めて、タブレットに向き直った。




「まず食べ物や習慣、空気や言葉などが馴染むかどうかを二泊三日の間に確認してもらいます。前にもお話した少し特殊な宗教がある土地になりますが、それ以外はこちらとそれほど変わりません」

「その宗教には必ず入らないといけませんか?」

「いいえ、その必要はありませんよ。強要もされませんので、ご安心ください」

「わかりました」


 それなら、今のままでも問題なさそうだね。

 ふぅんと頷きながら次の説明文を見ようとしたわたしの横の、とっても近い距離にお兄さんの顔があった。……今度はなんだ。


「沢村さんは黒髪黒目なんですね。染めたりもしていないんですか?」

「髪ですか?はい。茶髪とか似合いませんし、コンタクトも苦手ですから」


 眼鏡は視力が悪いことで仕方なくかけているものだ。正直、面倒くさいと思っている。それなのにもっと面倒くさいコンタクトや毛染めにお金をかけるなら、もう一品、おかずを増やす方向にお金を使いたい。


「なるほど。それでこそ沢村さんです」

「はあ……」


 なんだろう。とても感心されているんだろうけど、イマイチ嬉しくないな。


 でもあっちの話をした途端に髪と目の色が気になったということは、黒は困る色とか目立ったりするのかな?


 髪をつまんだわたしに、お兄さんが頷いた。


「ええ。実は、黒が宗教のシンボルカラーになっているんです。なのでそのままの姿で行くと、就職先は教会になりますね」

「……それは週末に、こっちに帰れる場所なんですか?」

「まず、無理でしょう」


 黒髪黒目だから信者だと思われるってこと?そんな恐ろしい世界に行きたくないけれど、つまり他の人は別な色をしているってことか。


「ええ、そうです。さすがに赤や紫などのカラフルさはありませんので、薄い茶色や灰色が中心ですね」

「そうなんですか……」


 それなら嫌だけど、カラコンをして髪も染めないといけないんだろうか。


「光が入れば茶色に見えますから、瞳は今のままでも問題はないでしょう。しかし髪は真っ黒ですからね。染めてもらった方がこちらとしても助かります」

「うーん、わかりました」


 そんなに奇抜な色にしなくても良いって言うなら、こげ茶に近い色にすれば良いのかな?


 スーツと同じ必要経費と割り切って、次にいくとしよう。




 染めることに抵抗を示さなかったからか、次のページをスライドしていった。


「それで、最大の問題は交通費なんですが……」

「はい」


 民間が月や火星に行く時代でも、億はかかっているもんね。

 それなのに第一希望は定時で戻ることで、第二希望は週末帰宅なんて無茶も良いところだ。


「わかっていただけて良かったです。第一希望の金額は現実的ではありませんからね。働くだけ損になります」


 ん?


「毎週戻るとしたら、これだけの交通費が掛かります。毎日だとこちらになりますので、月に二回くらいが理想だと思います」

「え、ちょっと待ってください。交通費って、わたしが払うんですか?」

「そうですよ?」

「うえっ!?」


 普通なら会社側が出してくれるはずの交通費を、なんでわたしが出す側になっているの?


 ものすごく驚くわたしに、お兄さんもびっくりしている。……今日は何回目だ、これ。


 黒縁眼鏡をクイッと上げたら、コホンと一息吐いて向き直った。


「異世界に行くための交通費ですから、会社側ではなくて沢村さんが支払うことになります。就職先が早く決まれば決まるほど、保証期間がたくさん残っているほどお得だと言われませんでしたか?あれと同じで、少ない回数で行き来をしたほうが得になるんです」


 お兄さんの言葉で毎日帰った場合と毎週末、月に二回とそれぞれ違う金額の差を見つめ直す。

 うわっ。毎日帰ることになったら、かなりガッツリ引かれている。これでは家賃もおろか、まともに食べることもできないだろう。


「ですから、行き来を希望する人がいなかったんですよ」

「……先に言ってください」


 これだって、いま初めて聞いた内容だよ。それなのに前例がないとか、向こうに行きっ放しとか言われても困る。


「でも、帰ってこれないほうが困ります」

「わかりました」


 それでも帰りたいと言うわたしに、次の話し合いに行くらしい。




 と、やっぱりその前に。


「ご飯が炊けたかな」


 シュンシュンと、空気穴からの音が変わっていった。蒸し器も止めて汁物も完成したら、少し蒸らして土鍋の蓋を開けていく。


「ちょっと焦げたかな?まあ、いいか」


 この、おこげも美味しいんだもんね。

 今日はおこげを中心に食べることにして、冷凍するのは上の部分にしよう。


「美味しそうですね」

「うわっ!?」


 いつの間に近付いてきたのか、かき混ぜている間にお兄さんがいた。

 眼鏡が曇るくらい、近付かないでほしいんだけど。


 ぐー……


「……」

「……」


 ついでにどちらかのお腹が鳴ったことで、夕食の時間にしたほうが良さそうだ。


「おかわりはありませんからね」

「ご馳走になります」


 アンケートのやり直しをするだけで、どうして夕食まで一緒にすることになったんだろうか。


「それは無職になって半年近くが経つのに、就職先が決まらないからですね」

「うぐぉっ」


 とってもイイ笑顔で刺してくるお兄さん。……この野郎。


「ご飯は半分で良いですね」

「もうちょっとください!」


 茶碗からごっそり炊き込みご飯を削ったら、すぐさましゃもじをつかまれた。

 っていうかコレ、わたしの非常食の予定だったんですけど!?




 遠慮をしろと睨んでも、ニコニコ顔のお兄さんはちっとも聞いていない。勝手に盛り付けてテーブルに運んだら、サッサと座って手を合わせた。


「いただきます」

「……いただきます」


 五目ご飯と蒸し鱈と茶碗蒸し、漬物と味噌汁を並べたら。わたしも手を叩いて、いつもとは違う夕食が始まっていった。


「味付けもちょうど良いですし、美味しいですよ」

「はあ、ありがとうございます」


 ハローワークで見るような、営業笑顔じゃない顔で微笑んだお兄さんがペロッとすべて平らげていく。食べっぷりが気持ち良くても、おかわりはないからね?


 しかし今日は一体なんの日で、次の就職先は見つかるんだろうか?


「それは沢村さん次第ですね」

「……頑張ります」


 とりあえず、人生初の髪を染めに美容院に行くとしよう。


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