19話:スーツとパソコン
パリッとスーツにヒールの靴。今はA4の入る鞄が定番らしく、小柄なわたしでは旅行鞄のように大袈裟に見える。
「うぅ……、全部で五万はキツい……」
スーツを着てヒールを鳴らしたとしても、これから面接があるわけではない。
着慣れていないと、いざという時にずっこけるからだ。
「前の会社でも着ていなかったから、こういう、ビシッとした服装に自分が慣れていないんだよね」
年齢的にスカートは却下して、パンツスーツを選んだといっても。どうもこう、着せられている感が半端ない。
「……」
いや、わかってる。
中途半端な身長と薄すぎる体格で、「え……と、ご卒業ですか?」って言われたもんね。
時期は三月、卒業シーズン。スーツ店では連日、”フレッシャーズ”なる新社会人向けのフェアが行われている。
そんな中にのこのこ行けば、どう思われて何と言われるかなんて、わかり切っていたことなのだ。
「でもフェアの、五点セットで九千円は惜しかったなあ……」
フェアの通りに、新卒だったら問題のないブラックスーツでも、わたしのような三十過ぎにはちょっとキツイ。
だからといって紺はまさに”ザ・制服”って感じだし、グレーは着せられている感がもっとひどかった。っていうかグレーがちっとも似合わないのよ、わたし。
上着だけなら問題なくても、上下同じ色だとものすっごく地味に見えるところも問題だな。いや、いつでも地味だけども。
消去法で選んだブラックストライプスーツは、他よりもまあまあ似合ってくれて助かった。縦長の線がちょっとだけ、身長が高く見えなくもないし。
それでもピッタリサイズでも微妙なわたしってどうなんだ、三十六歳……。
「今まで着ていなかったことがバレバレだし、そもそもスーツ自体が似合わない」
会社では制服があったから、白シャツしか用意しなくてラッキーって思っていたけれど。いざ、こういう時に何も持っていないことで、ガッツリ残高が減ることになるとは……。
「面接も一回で済めばいいけど、さすがにレンタルはダメだしね」
新しい仕事場では、自前のスーツで仕事をしなくちゃいけないかもしれないし。
面接の講座は、スーツを着て小物もそろえておくように、ということはなかったけれど。その時にようやくスーツを持っていなかったことに気が付いて、こうしてスーツ店に来ることになったというわけだ。
「それで五万……。靴は靴屋で買ったらスーツ店の半額で済んだけど、鞄も意外と高いしスーツは結局、安くなかったし」
店のホームページを見ながら、どこにスーツを買いに行こうかと調べたところ、とっても良いセットがあったから飛び付いたのに。ブラックスーツのみでサイズは九号からでは、どこも合うものがない。
正規品で探すことになったら、こちらはセールをしていないしサイズがなくて、結果的にものすごく高くついてしまったのだ。
「上下とも五号なら二割引きにするって言ってくれたけど、上は七号になったから惜しかったなあ」
一人暮らしが長いことで、肩回りに筋肉がついていたらしい。
会社でもコピー用紙を箱で運んだり、電球の交換では重い笠を持ち上げたりしていたもんなあ。
今も床は手で拭くことで、全体は変わらなくても筋肉はついていたみたいだ。
「五号でも着れなくはないけど、どうも腕周りがしっくりこなかったんだよね」
いざという時に動けるようになっていないと、引きつられてビリッと破れる場合だってあり得る。
「まあ、ね。末永く着れそうだから、いいってことにしておこう」
そろそろ、回らないお寿司屋さんに行きたかったのになあ……。それより明日のご飯どうしようってくらいに使っちゃったよ、どうしよう。
「退職金に手を付ければ、何とか前通りに過ごせる、けど」
これは、本当に最後の手段にしておきたい。そもそもまだ四月からの年金半年分の前払い金、引き落とされていないし。
確定申告で戻ってくるお金は五千円だから、ここは我慢して質素に暮らそう。
「これからハローワークに通って面接三昧しようって時に、楽しみの食が寂しいとやる気が出ないなあ」
いや、ここは逆だ。就職が決まったら、回らないお寿司屋さんに行くってことを目標に頑張ろう、そうしよう。
「よし。とりあえず、スーツを着ることから慣れるとしようか」
普段はザクザク歩くスニーカーなところも、ヒールが心もとない理由でもある。
ヒールは厚いしっかりタイプを選んだというのに、すでに足元がグラグラする。しっかりしろ、わたしの足!
「とりあえず、ねん挫をしないようにしよう」
目標、低っ!
「……ええと。応募する会社についても知っておかないと、履歴書が書けないって言われたな」
その会社にアピールするために、面接のことも考えた内容にしなければいけないのだ。
だって「うちの会社を選んだ理由は何ですか?」って訊かれた時、「自分の条件に合っていたからです」よりも。「会社の理念に共感したから」とか、「前の会社で培った技術が生かせます」と伝えた方が、より相手の印象に残りやすいらしい。
「まあ、それもそうだよね」
ただ単に「近いからです」だけでは、「あ、そう」としか返せないけれど。
どういうところが自分に合っていると感じたかとか、今までこういう仕事をしてきたのだと伝えれば、話は広がるしもっと自分のことを話せるもんね。
「面接は、お互いのことを知る場所とはよく言ったものだ」
前の会社の面接の時には、今の社長が面接官だったらしい。覚えてないけど。
わたしも良さそうな会社だなあと思って希望したけれど、社長もウチに合いそうな子だなあって思ってくれたってことだよね。
「この時のスーツは借り物だったし、会社は制服があったことで今まで自前の礼服を持っていなかったのは痛かった」
お葬式用の服と鞄に靴はあるけれど、友人の結婚式はワンピースで済ませたし。営業の人たちを社用車で送り迎えしたことはあっても、会社の制服を着ていたからスーツを用意しなくちゃとか考えたことがまったくなかった。
「それで五万……」
細かく言うと四万六千円だけど、くたびれたシャツも新調しないとパリッと新品スーツに合わない。
さらに洗い替えのための二枚を買うと、総額で五万円になるというわけだ。
「サイズがあったのはいいけどさあ、なんで安いのはブラックスーツかなあ」
他のスーツ店でも、五号は取り寄せで時間が掛かると言われてしまった。それも考えたけれど、かなり時間が掛かると言われれば間に合わないから断るしかない。
いくら割引されても、二週間近くはちょっとねえ……。待てない。
「そもそも九号が普通って本当?そんなことないよね?」
だって同じように見に来ていた人は、それほど大きい体型ではなかったよ?
いや、違う。後輩ちゃんも言っていたじゃないか。イマドキ、中学生でも谷間ができるくらいの胸があると。
「……」
じっと、山も谷もない平らな自分の身体を見下ろしてみる。
九号がよく出るのは、つまりそういうことなんだろう、うん。
それでもブラックスーツ以外のセットもセールもないことは、やっぱりお財布的にキツすぎる。はあ……。
何日か着てみてスーツに慣れた頃、ハローワークに通うことにも慣れてきた。
そして週に二回は通わないと、この時期の求人は目まぐるしいと言っていた意味がわかった。
「あれ?確か前回は、あったはずなんだけど……」
検索機を使うことも慣れてきて、気になる求人があったらメモをして帰ったら。次に見た時はすでになく、総合受付で訊いたら取り下げられたという返事だった。おお、マジか。
「こちらはすぐに三十人近くの応募が殺到しまして……。その中から決めることになったと向こうの会社の方から連絡が来たんです」
「うわぉ」
基本コースの講師の人が言っていたこと、そのままな出来事があったらしい。
だから毎日、来た方が良いと、無理でも週に二回は来てくださいって言った意味がよくわかったよ。
「その場ですぐに紹介状をもらえても、途中でキャンセルはできるしね」
とにかく気になったところがあったら、すぐに行動をしないとダメなのだ。
瞬発力と判断力があるうちに、気になったものには声を掛けることにしなきゃ、あっという間に売れてしまう。
「そしてわたしは売れ残る……」
短期集中がいいと言った理由は、『自分の判断力が正常なうちに、ガンガン行動するべし!』ということもあるんだよね。
保証期間ギリギリに焦って決めたことで、会社に入ったらすぐに「辞めたい」とならないように。じっくり考えるのは、面接までの時間で十分だ。
そして会社の人に会ってみないと、自分に合うかどうかもわからない。
こういう判断は、落ち続けたりのんびりしている時には絶対にできない。
「せっかく良さそうってメモに書いて残した会社だもんね。直感も大事」
次は決めたら、すぐに紹介状を書いてもらうことにしないと。履歴書の添削も、わざわざ講座を受けなくても受付で見てもらえるって教えてもらったもんね。
「よし!面接の講座を受けるまでに、履歴書の書き方を学び直そう」
せっかくだから、今までに良いと思った会社に送るつもりで書いてみようかな。ホームページを見たり会社の理念を知るところも、まだまだ勉強不足だもんね。
「あ、しまった!パソコンはどうしようかな……」
資格は持っていないけど、一応、パソコンの基礎は使える。ハローワークに登録する時にも書いたから、”簡単な、ワードやエクセルが使える人”という求人も紹介されたことがあった。
しかしこういう会社に履歴書を送る時は、自分がどのくらいできるか伝えるためにもパソコンで作ると、アピールになると教えてもらっていたのだ。
「うぅ……。ここにきて、足りない道具が多過ぎる」
さらに高価。そして、次はいつ使うのか分からない代物ばかり。
「作った履歴書を印刷しないといけないから、プリンターもいるよね。図書館にもパソコンはあったけど、検索のみだしなあ……」
誰かの家で履歴書を作ることもできなくはないけれど、せいぜい借りれるのは二、三回までだろう。
「ん?パソコン本体に、プリンターだけでいいんだっけ?」
こういう基礎知識が抜けているわたしは、家電店で余計なものまで買いそうだ。
そうでなくとも十万は掛かりそうなものを、ベテランでも見ず知らずの店員さんの言葉だけで買いたくない。
「こっちは諦めるか」
手書きでも、文字の大きさに気を付けて書けばそれほど見劣りしないだろうし。
それが原因で落とされるってこともないと講師の人も言っていたし、うん。
「落ちる可能性は少ない方が良い、けど」
うーん……、どうしよう。
そんな風に考えたところで、スーツより使い道のないパソコンに大金を払う気はまったく起きない。
それなら手書きの履歴書で頑張ろうということに切り替えて、早速、良さそうな求人を見て回る日々。
「面接の講座は、履歴書に続いて本当に受けて良かった……」
まず、人前で話すことがめっきり減っていたわたしは声が出なかった。
メモを見ながら話していいことになっても、「いま何を話しているんだっけ?」と途中で固まってしまって半分も言えなかったのだ。
「話すことにも慣れが必要って、当たり前だよね」
声のトーンや大きさは、相手がいてこそ変わることだ。
面接時の質問の内容は、練習だからみんな共通の三つを言うことになっても。
まず最初の挨拶。「よろしくお願いいたします」と伝えてから頭を下げるのに、同時にしてしまったし。
座ってからは声が出なくて、自分でも何を言っているかわからなくなった。
「本番ではどこから来たっていうことと、自分の名前を伝えてから”よろしくお願いいたします”、で、頭を下げる。終わり際には、”本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました”と、”ご検討の程、よろしくお願いします”と言ってから、最大級に頭を下げる、と」
テキストを見ながら、お辞儀の角度についてもおさらいをしていく。
最初は軽く、でも視線は下に向けて目が合わないように。最後はしっかり深く、自分のつま先が見えるくらいに頭を下げる、と。
「隣市から来ました、沢村あゆみと申します。本日はよろしくお願いいたします」
一拍おいて、軽くお辞儀。
頭を下げる時は早く、上げる時はゆっくりを意識して。口角を上げて、相手の額の辺りを見つめるように、視線をキョロキョロさせないように、間延びしない受け答えをする、と。
「俯かない。浅く座って、手は添えるだけ。どうぞ、と椅子に案内をされてから座る。待っているように言われたら座らない。椅子の横に立って挨拶をする、と」
テキストを見て確認をしながら、全身が見える窓に向かってお辞儀をしたり座る動作をチェックしたり。
わたしのスーツはパンツにしたけれど、スカートの場合は座る時にちょっとだけ後ろの布を中に入れるようにつまんでから座ると、膝が開きにくくなるらしい。
「スカートは持ってないから練習できないけど、パンツでも使えるかな?」
手を添えるのは、膝の上より太もも寄り。
膝の上だと前のめりになってしまって、相手に圧を掛ける姿勢に見えるらしい。……確かに。
「そして一番重要なことは、相手が話し終えたら一拍置いて口を開く」
とにかく、話を遮ることはアウト。
終わったら一拍置いて、さらに「はい」と返事をしてから答えると自分の気持ちも落ち着くし、聞いていたというアピールにもなるらしい。
聴こえなかったら、もう一度話して欲しいと伝えたほうが、頓珍漢な受け答えをして「聞いていないな、こいつ」っていう悪印象を与えないで済む、と。
「……」
”らしい”や曖昧な表現ばかりなのは、まだ実践したことがないから相手の反応がわからないのだ。
「そろそろ、動きますか」
三月も中盤。今月の認定も済んだから、ここからは就職活動をしないと二回以上の証明にはならない。
「今までの講座の成果を見せてやるぞ!」
そういうわけで、今日の夕食はカツ丼です。
「うまーい……」
肉ってやっぱり、いつでも最高に美味しい。




