18話:履歴書と春
「はあ……。後は、やり忘れたことはないよね?」
ギリギリ、二月の末に確定申告の手続きを思い出したわたしは、大慌てで最低限の物だけを持って会場へ向かった。
聞いていた通りに何も面倒なことはなくて、サクサクと十分ちょっとで手続きが完了したことはいい。
三時間以上待って、往復二時間も掛かる会場へ行かなきゃいけなかったことも、一人で書類をそろえて税務署行って……ということに比べれば簡単だったし。
それでも控えに渡された用紙を見て、五千円ちょっとしか戻ってこないのかあと溜息が出ることは仕方がない。
だって五時間近くかかって五千円だもん。つまり一時間千円ということで……
「やっぱり、世知辛い」
かえって疲れに行っただけのような、ダメージを受けただけのような確定申告が終わったら、次はいよいよ演習コースだ。
「はいっ、今日は『再就職支援セミナー実践編 履歴書講座』です!」
添削もしてくれるということで、履歴書を書いてくるようにと言われたけれど。履歴書の書き方を学ぶ時間でもあるんだから、講座の途中で書いても問題ないとも言われている。
「そういうわけなので、今日も筆記具しか持ってきていません」
この講座のいいところは、コース内容に合わせたテキストを、ハローワーク側が用意してくれるところだ。
基本コースのテキストにも、履歴書や面接については書かれていたけれど。
それよりも詳しく教えてくれるなんて、それがタダで、さらに求職活動の一回として認めてくれるなんて。
「至れり尽くせりだわー」
うんうん、助かる。とても。
そんなわけで先日と同じ、片道一時間掛かる場所へバスに揺られて向かうことにする。
夕食は仕込んできたから、定食屋さんに寄って無駄使いを嘆くこともないしね。
「あんなに疲れるとは思わなかったから油断したよ……」
片道一時間、三時間講座という時点で気付けという感じだけど。
今日の履歴書講座と次の面接講座は、一人ずつに対応する時間を設けるからか、なんと四時間に延長だ。
「履歴書では添削と質問の時間があって、面接は模擬面接と解説がある、と」
講座を学んで練習をした後に一人五分が与えられるから、十五人もいれば結構な時間が掛かることがわかる。
「応用編の講座は、三十人から十五人に定員が減った理由も納得だよ」
いつも講師の人は二人いるから、たぶん二手に分かれて添削やら面接の練習やらしてくれるんだろうけど。それでも三十人はキツいもんね。
「予約できて良かった」
まずは添削してもらって、今の履歴書の書き方をしっかり学ぶことにしよう。
「わっ」
電車やバスの乗り継ぎの関係で、始まる三十分前に着いてしまってどうしようと思ったら。基本コースより“再就職をするぞ!“という気合いが入る講座だからか、すでに半分以上の椅子が埋まってた。
「……失礼します」
テーブルの上には今日のテキストが置いてある。前回と同じく、テキストと椅子がある場所に座って待てばいいらしい。
じっくりとテキストを読み込んでいる人たちの邪魔にならないように、そうっと静かに入って静かに座る。
よし、ナイス空気!
……ん?ファイル?
前回とは違って、テキストと最後に書くアンケート用紙。それと中身が見えないようになっていて、近くに置いてある番号札と同じ番号が貼られているファイルがあった。
「?」
周りを見ても、他の人はテキストを見ているだけでファイルに触れている人まではいないみたい。これも始まったら説明があるのかな?
ちょっと最初から意味不明な講座になりそうだなあと首を傾げつつ、時間になるまでテキストを読んでおくか。
黙々とテキストを読んでいる間にも、残りの椅子が埋まっていく。
年齢も見た目もバラバラな人たちで埋まる部屋の中、わたしってどう見えているのかがちょっと気になるな。
けれどキョロキョロと周囲を見回して気にしているのはわたしくらいで、他の人たちは自分の手元しか見ていない。
「……」
あれか。わたしに足りないのはこういうところか。
危機感もだけど、圧倒的に集中力が足りてない。
基本コースの講師の人も、求人が集中する今の時期に短期で決めろと言っていたもんね。
これからの自分の行動を見直していたら、十三時になったみたいだ。講師の人が部屋に入ってきた。
「では、時間になりましたので始めさせていただきます。まずはお手元にある青いファイルに、お持ちいただいた履歴書を入れてください」
ん!?
「それぞれの席には、ファイルに貼られた番号と同じ番号札が置いてありますね?こちらは返却する際の目印になりますので、見えやすいように机の端に置き直してください」
講師の人の合図で、みんなが一斉に青いファイルに何枚かの紙を挟んでいった。
うおぉっ!?ぜ、全員書いてきたの!?わぁっ、前の人なんてパソコンで作ってある。え、隣りの人、何枚入れる気!?
「みなさん、入れましたか?そちらは講習の前半の間にもう一人が添削をします。後半はそちらを元にして、書き直したり注意点を一人ずつにお話ししていきたいと思います」
「……」
基本コースのテキストにも、履歴書の練習ができるページはあった。一応、試しで書いてみたことは書いたんだけれど。
このページを切り取って入れてもいいものなのかな?何度も書き直せるように、シャーペンで書いてしまったんだけど。あ、ハサミがない。
グルグル考えている間に、講師の人がファイルを回収しにきてしまった。
「どうしました?具合でも悪いですか?」
「あ、いえ。あの……、用意をしていないので回収はいいです」
「わかりました」
いろんなことが駆け巡りすぎて、脳内が思考の文字でいっぱいになってしまった結果、酔ったように気持ち悪くなるとか……。
情けない。そして、せっかく学んでいる間に添削してくれるというのに、一枚も書いてこなかったことが申し訳ない。
「……」
わたしが軽く自己嫌悪に陥っている間に、ファイルを回収した人は部屋から出ていき、もう一人が前に出て改めて挨拶をしてくれる。
今日もおじさんが二人、みっちり四時間教えてくれるらしい。
落ち込む時間は今じゃない。顔を上げて、後半にある個人に与えられている時間で添削してもらえるようにきちんと学ぼう。
「あぁ……、疲れた」
バスと電車に小一時間揺られながら、ようやく我が家に帰ってこれた。
「夕飯、作っといて良かった……っていうかもう寝たい」
四時間の勉強でこれなら、朝から晩までの学校に通うのなんて、すぐに挫折していそうだ。
頑張って通えても、土日はぐったり引きこもってそう。
「はあ……。それにしても、なかなかに親切な講座だなあ」
夕食の支度とお風呂の準備をしながら、濃密な四時間を振り返ってみる。
休憩時間もあったけど、テキストを読み込もうかどうしようかと迷っていたら、講師の人が声を掛けてくれたことに驚いた。
「あのね。もしこの時間に書けるなら、このページを使って一度書いてみてくれるかな?」
「え?」
今日のテキスト58ページには、履歴書の練習ができる枠だけのページがあって。
見本のページも伝えたら、「書けるところだけでいいから」とだけ言って去っていく講師のおじさん。
まだ書く時間じゃないのにと首を傾げつつ、肩を叩かれた時に言われた言葉を反芻して頭を抱えてしまった。
『十二番のファイルだけなかったから、声を掛けさせてもらいました』
うわっ……。わたしだけ最初に何も提出しなかったからだ。
一気に全身が赤くなるくらい、恥ずかしい気持ちになってくる。
「うわぁーっ」と叫んで飛び出したいところをグッと堪えて、せっかくの助言を有効活用させてもらうことに考え直す。
あー、恥ずかしい……。
まだ赤い顔を意識しないようにしながら、言われたページを開いてシャーペンを握り直す。
あ、結局シャーペンで書いていいのかな。……いいか。本番じゃないもんね。
基本コースのテキストも出して、前に書いたものと見比べながら書き始めることにしよう。
よし、クビとともに文字の練習も始めたもんね。せめて丁寧に書くぞ!
同じ会社に十五年もいたことで、仕事の内容を年代ごとに書いてみたら、あっという間に埋まってくれたことは助かった。
そしてテキストにあった、”人生の価値観”と”仕事の価値観”についてのチェックシートを記入して、自己理解というものを深める作業をすることで仕事の方向性を明確にしたり。
”行動特性診断シート”に、”仕事への興味チェックシート”と、どんどん深く掘り下げて自分を理解しましょうっていう内容もあってわかりやすかった。
ただ”仕事の価値観チェックシート”は、ちょっと悩んだなあ。
安定した会社で働きたいとか、作業環境の良い環境で働きたいとか、蓄財のために働きたいとか……。すでに老後を視野に入れているような、若さの足りない後ろ向きなチェック項目ばかりとか。
大丈夫か、わたし?
まあ、やりたい仕事とやりたくない仕事がわかっていないと、ぼんやり求人票を眺めることになるけどさ。
「意外と物を作る仕事と対人能力を必要とする仕事に興味があったけど、物を売る仕事にはあんまり興味が湧かなかったな」
ぐつぐつ煮物を温めながら、今日の講座を振り返ってみようか。
「学歴は最終学歴の入学卒業のみ。行を空ける必要はなく、続けて職歴と書く……って、講座に行かなかったら知らなかったよ」
基本コースで軽く言われていたことだったけど、すでに忘れていたわたし。
すみません。
こうして改めて詳しく説明されると、かなり変わっていたことがわかるね。
「わたしが習ったの、中三だもんなあ」
高校生になったらバイトもするだろうということで、履歴書の書き方と面接まで学校で練習をさせてくれたんだよね。
まさかそれから二十年近く、書く機会が訪れないとは思わなかったよ。
「いや、頻繁にあっても困るか」
中学の時に習ったことだから、免許や資格のところに書くことは検定くらいしかなかったけれど。
「『普通免許』じゃなくて、『普通自動車第一種運転免許 取得』って書かないといけないとか……」
高校も『○○高校卒業』ではなくて、『○○高等学校 普通科 卒業』って書くことが普通らしい。
もちろん学校の前には、どこの都道府県立なのかも忘れずに。
何でだろうと首を傾げていたら、これもきちんと説明をしてくれた。
「廃校になったり合併することもあるし、何より書類を見て面接する人が同じ学校出身とは限らない……って、ちょっと考えれば当たり前のことなのにね」
同じ都道府県の同じ市内に住んでいても、地域が違えば学校名なんて知らなくて当然だ。地元にそこしか学校がなくて、テレビに出るくらいに有名でも、目の前の面接官が知らなきゃ意味がない。
そうして各自に与えられた五分の間に、添削をしてもらって今に至る。
「向こうも困っただろうけど、部署の移動くらいしか書くことがないんだから訂正するも何もないんだよね」
同じ会社で節目節目に移動やら後輩指導やらがあったなら、一行ずらす代わりに文頭をそろえるとか。手書きの場合は特に、文字の大きさに注意とか。
そういう、ほんっとうに基本中の基本だけしか話せなかった今日の講座でした。
終わり際に、何か訊きたいことはないかと言われても。
「他の人に言っていた、直すところがない履歴書が見たかったな」
とある女性の時に、素晴らしいと大絶賛していたんだよね。他の人も気になったみたいだけど、わたしも気になったよ。
絶対に受かる履歴書の書き方はないって言われても、気になるものは気になる。非常に。
「それぞれの会社の特徴を取り入れた履歴書を書くから一度きりで、次は書き直しと言われても」
ここはもう一度、講座を受け直した方が良いかなあ……。履歴書も面接も、数をこなせばコツがわかるらしい。
しかし年齢制限に引っかかる微妙なわたしには、そんな悠長にしていられる時間も余裕もない。
「早く採用されればいいんだろうけど、働きたい場所と内容が合わないんだよね」
前の会社は、それこそ「近いから」で決めたところだ。
同じように何か引っ掛かるところか、良いなって思わないと応募しようって気になれないのかも。
「選り好みできる年齢でも、ないんだけどね」
ここで正社員になって、定年まで働きたいという打算がある。それは仕方がないと思う。
だって十年後とかにクビを言い渡されたら、一から求職活動をしないといけないってことでしょ?
「……無理」
っていうか、果てしなく面倒くさい。
ここまできたら、念には念を入れて取り組んだほうがいいか。
「ふあー……」
ちょっとだけ、寒さが和らいだ気がする三月。
わたしが無職になって四か月目ということですね。
「早いなあ」
カレンダーを見て手帳を見て、今日の予定を確認してみる。
履歴書の次は面接だけれど、もう一回、履歴書の講座は受けたいんだよね。
けれど三月末で区切るハローワークは、四月からの予定が決まっていないのだ。いや、決まっているんだろうけど、ギリギリまで発表しないって言っていた。
これは求人票が増える時期イコール、再就職が決まる人が増えるからだろうか。
「わたしみたいなのは少ないのかな。でもまだ面接の講座、受けてないし」
わたしが知っている履歴書の書き方じゃなくて、なかなかショックだった。こういうのもジェネレーションギャップと言うのだろうか。
履歴書でこれだけの違いがあったんだから、面接が色々変わっていてもおかしくない。
「それも気になるけど、どうにも決め手に欠けることが困ったな」
パラリと、もらってきた紙の求人票一覧をめくっていく。
ジョブカードを書く講座で自分の得意なこと、好きなことを知れたのは良かったけれど。同時に何がやりたいのか次の職場はどういう部署が良いのかが、ちょっとわからなくなってしまったんだよね。
「接客は……まあ、好きだよね。外の人とはお茶出しの時に少し話すくらいだったけど。コンビニバイトの時も、常連のお客さんと話すのは楽しかったし」
新商品の入れ替わりが激しくて、二年ちょっとで辞めてしまったバイト。
直近の仕事ではないしかなり前でも、次が接客の仕事なら履歴書にも書いた方が良いって言われた。
「ホテルのフロント業務も楽しそうだなって思ったもんね」
あれは年齢と時期の悪さで諦めたけど。……やっぱり、もったいなかったかも。
いや、受かると決まったわけじゃないけれど。
「ええと、それで……」
今日は何をするんだっけ。っていうか、何曜日だったっけ。
頭に春が来たのかというくらい、いつも以上にボケーッとしてしまっているな。マズイ。
三食作ってしっかり食べても運動が日課になっていても、はっきり決まった役割がないとだらけてしまうみたい。
「検索機の使い方も教えてもらえたから、次はハローワークに行くっていうことに慣れないといけないか」
毎日、何をしようかなあって、ボケッとしている場合じゃない。
無職なんだからやることは決まっているというのに、「なにがなんでも就職先を見つけるぞ!」という情熱が沸いてこない。困った。
「……」
ごろんと床に転がって、大の字に手足を思いっ切り伸ばす。
あまり考えないようにしていたけれど、言わないようにもしていたけれど。
「このまま永久に休みたーい!」
求職活動を二回するだけでお金が振り込まれる、そんな生活のまま一生を過ごしたい。
「仕事、……したくないなあ」
ああ、このままずーっと、家に引きこもって過ごしたい。
そんなことができないって、わかってはいるんだけどね。
ああ、世知辛い。