第一章3『みんなのアイドル?』
「では改めまして。みんな知ってると思うけど、私の名前は白海さつき! ぴちぴちの十五歳! さつき、もしくはさつきちゃんって、呼んでねー」
「うおおおおおお! さつきちゃーん!」
左手を腰に、右手を高々と掲げたさつき。そのポーズはヒーローや、腕にばつ印をつけた海賊がやるポーズであって、踊り子には似合わない。
だが、とにかく何をやっても関係なく、かわいさは際立ってしまうもので、俺を含め観客のボルテージは早くも頂点を向かえていた。
「じゃあ、始めようか!」
さつきは右手を高く掲げたまま、手を開く。そしてどや顔で、これ以上ないキメ顔で、パチンと指をならした。
パン、パン、パン、パン。慣れているのだろう。観客は、息の合った手拍子を開始。涼しく過ごしやすかった空間は、もうない。
熱を帯びた異様な空気が生まれていた。
「ラーーーー」
透き通るような、響き渡って世界を覆ってしまうようにも思われる、美しい声。さつきの歌声が、鼓膜を、心を震わした。
辺りが、嘘のような静寂に包まれる。
だが一瞬なのだ。
さつきは突如激しく身体を動かし、回転する。歌いながらとは思えない、人間を超越した動き。
縦横無尽、重力無視。屈んだと思えば、跳び、止まったと思えば、目で追えない程のスピードで動き出す。
だがとにかく華麗。土を踏み鳴らす音さえも軽やか。揺れる黄金の髪で、三次元を自由に踊るさつきは、美しい。妖精のようとは、ありふれた比喩だけれど、彼女によく似合っていた。
横回転だけでなく、縦回転をしているのも理解不能、それでも完璧な歌唱をしているのが、さらに理解不能。
理解不能な状況を、受け入れてしまい、魅了されている自分が一番、理解不能だった。
もはや常識を全て捨て、目の前の光景に、ただ沈むしかない。どっぷりと、浸かるしかない。
美しいものを見たなら、余計な言葉は無粋不要。少女の、もはや踊りとは言えない何かが、そう伝えていた。
「ーーーー」
いや、余計なものを言うことなど、元々なかった。どうしたって言葉は口から出てこないのだ。
* * *
拍手の音。
気づけばさつきの歌も踊りも終わっていた。一瞬のような永遠のような時間だった。……もう少し見ていたかった気もする。
「じゃあ次の曲、行こうかー!」
「うおおおおおお!」
ああ、そう言えば、まだ一曲目だった。実は五分しか経っていない。楽しみはむしろ、これからだ。
「いええええええい!」
自分の叫びが、青空に広がっていった。
* * *
「ありがとうございましたー!」
「うおおおおおお!」
割れんばかりの大歓声。言葉を失うと、人は獣のように吠えることしかできないらしい。聞き飽きた雄叫びだった。
さつきも疲れたのか、大量の汗を出し、肩を上下させている。息づかいと、汗で濡れた浴衣が、非常にエロいことは、もはや言うまでもない。
だが、汗で濡れただけでは、ここまでびしょ濡れにはならないのだ。彼女は水を、何もない空中に発生させていた。空中に幾何学的模様を作り出しながら踊り、歌っていた。
その水が、彼女を濡らしたのもあるだろう。
「いやー、すごかった。あれが、魔法だったのか……?」
ショーが終わり、一息ついた。
疑問なのは、さつきが創り出した水。きらきら、という効果音が実際に聞こえるかのように、小さな光の粒となって、細い線を描いて消えた水のことだ。
詠唱はなかった。さつきの手のひらから、当然のように現れたのだった。
「なあ赤石。あれは魔法だったのか?」
「うおー! うおー!」
「おい、聞いてんのか!? こっち見ろよ!」
「うおー!」
「見てもなお、認識できないってのか!? それはもはや催眠だろ!」
赤石の目は確かに俺を捉えている。だがそれでも両手を挙げて間抜けに、大声を出していた。
昼前の広場で発狂なんて、常識なら赤石は異常人物だが、周りの人たちも未だに騒いでいる。よって浮いてはいない。
大丈夫だ。いや、大丈夫ではないけど。
「しっかりしろ、赤石!」
「うおー! ママぁ、今日も浴衣、着せてくれてありがとー!」
「おい、俺はお前のママじゃない! ってか浴衣着せてもらってんのはお前か!」
「ん、ああ、ユウキさん。どうしたんすか?」
「俺はお前とこれからどう付き合っていけばいいか分からねぇよ……」
見た目からは想像できないが、赤石がかなりのマザコンであることが判明してしまった。別に悪いことではないのだろうけど。
「なんで周りが見えなくなってんだよ」
「いやー、凄かったからっすね」
「そんな経験、俺にはないぞ」
あまりのショーの素晴らしさに、一種のトランス状態に入ってしまっていたらしい。酒に酔っ払ったような感覚ではないだろうか。
「聞きたいのはそれじゃない。さっきのは、魔法だったかということだ」
「お茶の飲み方すか?」
「それは作法」
「じゃあ、俺のことすか?」
「それは、あほうだ! てか自覚あるのか!?」
「雲がかかってきましたねー」
「無視!?」
無視が定番ネタになるのは、正直嫌だぞ。確かに雲はかかって来た気がするけど。
「で、魔法でしたっけ」
ここまでのやり取りで、すでにへとへと。無言でゆっくりと頷いた。
「あの水っすよね。もちろん魔法っすよ」
「やっぱ、そうか」
「ええ、ええ。しかも、かなり高度な魔法っすね。あれだけ複雑に線を描くのは結構ムズいっす。さすがはさつきちゃんっすね」
術自体は基礎のもの。しかし、あれだけ細かく、しかも動きながらは非常に困難。さらに詠唱もなしとなるとハードルは上がる。
とのことだった。赤石によると。
「美少女で、運動神経抜群、さらに高度な魔法も使えるチート性能か! これは絶対ヒロインの器……」
「またぼそぼそ言ってますね。自分にしか見えない友達とかいるんすか?」
「おい、人を幻想で友達作っちゃう、本当は友達いないやつみたいに言うな!」
「そうっすよね。ユウキさん、友達いっぱいいますもんね」
「お前は俺を傷つけたいのか!?」
ハートブレイカー赤石、もしくは心を砕く男レッドストーンと呼んでやろう。
「そんなことはいいんだ。重要なのは、あの娘がヒロインに相応しいということだけだ!」
「ヒロインっすか。つまりなんすか、告るんすか?」
「告る訳じゃない。別に惚れたわけじゃないんだ、俺は。さっきは場に流されただけ。でも分かる。彼女はヒロインとして、傍にいるべきだ。いて欲しい。でもどうするか……」
女の子にアピールしたことなどない。まして美少女。会うことは容易くとも、実際に親しくなることは難しい。
例えるなら、まさに彼女はアイドルそのものだった。手を届かせるのは超高難易度。中々、答えは見つからない。
顎に手を当て、さながら名探偵のように考え始めたのだが。
「うわぁ!」
いきなり、何者かに浴衣の襟を背中側から引っ張られ、
引き上げられた。片手で、いとも容易く、軽々と。
「静かにー」
視界が急に動く。一瞬で高い場所に連れてこられた。どうやらここは、近くに生えていた木の上だ。枝の上に、落ちないように慎重に、乗せられる。
「っ! 何なんだよ! って、お前はさつ……」
「だから静かにー! こういうのは、ばれないようにやるから面白いんだよー?」
囁くような声が、耳をくすぐる。真っ白な綺麗な手が口を塞ぐ。あの美少女、さつきが、息がかかる距離にいた。近すぎる……。
そう、近すぎる、まさに息がかかる距離なのだ。ギリギリ当たらないだけで、顔と顔の隙間は、ミリ単位しか離れていない。
だが、身体は触れていた。覆い被さるように、さつきはまとわりついている。
チャイナドレス風の浴衣から細長い生脚が触れ、豊かな胸が濡れた浴衣越しに触れ。肩を出している服の構造上、隠されることない腋、二の腕、ひじ。
大きな青い瞳で、見つめてくる。
心臓の鼓動が急激に速くなる。
「ふふ。興奮したのー?」
「んーん! んー!」
さつきは、いたずらっぽく笑顔を浮かべる。反論したくとも、口を塞がれていては声が出せない。
事実だから、反論など言えたものじゃないのだけれど。
「ここじゃ話せないねー。場所、変えるよー」
俺は口を押さえられたまま、腰のところで折り畳まれ、両腕で持ち上げられて。
そして、高速で木を降り走り抜けていくさつきに、抵抗することもできずに、連れていかれた。
* * *
「ここならいっかー」
かなり離れたのか、また見知らぬ土地で、解放された。どうやら空き地のような、土の他には何もない、殺風景な場所に、雑に放り出される。
むせた。
「げほげほ! 何なんだよ一体!」
「あれー? やっぱり面白い反応。感謝の言葉とか、嬉しくて、幸せーって感じに、笑わないんだー」
「誰がこの状況で喜ぶんだよ!? まして感謝って何にだ!」
「興奮してた癖にー。運ぶ途中も、胸ばっかり考えてたでしょー」
「ぐっ……」
実際喜んでいた。だって柔らかかったから。だが、感謝の言葉なんて述べたら間違いなく、変態だ。
四つん這いの自分を見下ろす年下の少女。なんと屈辱的な眺めだろうか。
「パンツ見たいの?」
「パンツが見たいから四つん這いになってる訳じゃない! お前に投げ捨てられたから四つん這いなんだ!」
「じゃあ早く起き上がればいいじゃん。本当は見たいんでしょー?」
「いや、そんなこと……」
あるのだけれど。さすがに言えるわけないが。
起き上がってさつきの前に立つ。近くに並ぶと分かるが、彼女の背は高くない。平均より低いくらいだ。遠くで眺めていたから分からなかった。
「見下ろされるのも良かったけど、見上げられるのもいいなぁ、なんて思ってるんでしょ」
「思ったよ!」
ついに認めてしまった。悔しがるような表情を見てか、さつきが腹を抱えて笑う。
「はははは! あなたみたいな人に初めて会ったよー。面白ーい」
「俺は当然の反応しかしてないと思うんだけどな」
「いやー、珍しいし面白い。その顔最高ー」
「変顔とかしてないぞ! ディスられたのか!?」
困惑の表情をしていただけだ。それだけで笑われるのは心外だが、かわいいから許すしかない。
「で、なんでお前は俺を連れてきたんだよ?」
「お前じゃなくて、さつき」
「さつき」
「さつきじゃなくて、さっちゃん」
「そこまで距離、縮めていいの!? じゃあ、さっちゃ……」
「だめー。さつきって呼んで」
「なら、言うなよ……」
またもさつきは、口を手で塞いだ。サービス精神旺盛だ。過剰なくらいに。
軽い女予想は、意外と当たったのかもしれない。
「なんで連れてきたのか、教えてくれないか? さつき」
「なんでって、そんなの当然、面白そうだからだよ! あなたみたいな人は初めてだったからー」
どうやらショーを見てからの反応を、見ていたらしい。確かに、終わった直後の反応は、他の人とは違った気がする。みんな騒ぎ続けてたから。
だが、そんなことで普通、拉致までするだろうか。
異世界はとことん、謎だらけだ。だが、願ったり叶ったり、期待以上の展開でもある。
「あなたの名前は?」
「俺は夢望勇気。夢はゆ……」
「じゃあユウキね! ねーユウキぃ」
「お前、いや、さつきは人の話聞かね……」
どんな漢字の説明をしようとしていたかは、語るまでもない。ため息をもらそうとしたのだが。
またしても口を塞がれた。手ではなく口で。
一瞬だったが、忘れられない、甘い味。血液が沸騰するんじゃないかと錯覚するような、衝撃が走る。
やはり何の抵抗も、できなかった。
「ねぇユウキ、私とデートしよっか!」
……やっぱり、すぐ会えるなんて、軽い女じゃねぇかな。なんて思った。