第一章4『始まっちゃうよ!』
「あれ、聞いてるー? また、興奮してるのー?」
軽く、凄く軽くだがキスをされた。突然のことに、当然まだ整理がつかない。上目遣いのさつきを直視することが、できない。
「結構ウブだねー。ただの挨拶だよー?」
「あ、挨拶?」
「そうそう。よくやらなーい? キ・ス」
「やらねぇよ!」
やるかよ! 誰がやるんだ。挨拶のキスは聞いたことあるけど、普通口にはやらないだろ!
どんだけビッチだ! 何人俺のような犠牲者を出してきたんだ、お前は!
頭の中で騒いでいると、またさつきは、ふわりと近づいてきた。
「だけど、口にしたのは初めてかなー、なんてね!」
……おめでとう。めでたく童貞は殺された。
ちょっと赤くなってるさつき、超かわいい。俺はもっと赤いんだろうけど。
しかし、まともに話を初めてから、五分と経ってない。超速過ぎる。
「で、さっきの続き! 私とデートしよう!」
「あのさ、まだ会ったばかりだよな。どうしてそんなに……もしかして俺に一目ぼ……」
「してないよー。ユウキみたいな人に、一目惚れなんてするわけないじゃーん。はははは!」
とんでもない悪女だった。純粋な俺の心を返してくれ。
「でもまあ、ユウキの反応がやっぱり珍しいからさ! 気になってるのは本当だよー」
「いや、何を言われても、俺はもう騙されないぞ。鋼の意思だ」
「ふふふ。そこは普通の人は喜ぶんだよー。やっぱり変なのー」
「どうしてこの流れで喜べるんだ! 仮に普通がそうだとしても、俺の鋼の意思はそんなこと許さないぞ」
「ふーん、そーなんだー」
何を思ったか、そう口にしたさつきが、いたずらっぽい笑顔を浮かべ、じりじりと距離を詰めてくる。こちらも後退りするが、そこはよくある展開。後ろの壁にぶつかった。
そしてそのまま、壁ドン。逆壁ドンをされてしまった。身長はこちらが十センチくらいは高いから、脇の下辺りに手が来る。
「な、何するんだよ?」
「別にー。鋼の意思を試そうかなーって」
言うとさつきは、脚を絡め、腕を肩に回してくる。透き通るような白い肌。
おい、これはマズイ展開じゃないか? 昼間から大変なことになるんじゃないか?
いや、これは美味しい展開じゃないか? 昼間から大変なことになるんじゃないか?
頭がそんなアホみたいな思考で埋め尽くされていると。
「こちょこちょこちょこちょー」
「うっ! やめ、はははははははは!」
くすぐられた。訳も分からないまま、思いっきりくすぐられてる。脇とか背中とか、とにかく色々と。
しかも、めちゃくちゃ上手い!
「や、やめ……はははははははは!」
息が、できない。苦しい……。死ぬ。
「じゃあ私の勝ちでいーい?」
「いい! いいから、はははははは!」
「やったー! じゃあ、はい!」
「うっ! はぁ、はぁ」
やっと解放された……めっちゃしんどかった。マジで死ぬかと……
苦しんでいる俺を見て満足したのか、さつきは、ぴょんと後ろに跳ねて距離をとる。
「よし、勝ったー」
「はぁ……、なんの勝負だよ?」
右腕を高々と掲げるさつき。とてつもなく爽やかな、晴れ晴れとした笑顔だ。意味が分からない。
「だってー、ユウキが鋼の意思って言ったからさー」
「関係なくね!?」
「くすぐられるのにも強いのかなーって」
「それは鋼の肉体だ! いや鋼の肉体でも怪しいぞ!」
「確かにー、それもそうだねー」
「納得するの早いな!」
こいつもめちゃくちゃだ……赤石といい勝負だよ。
あ、赤石忘れてた!
「おい、今からさっきの広場に戻るぞ」
「なんでー? せっかく隠れてきたんだし、このままデートしようよー」
「連れを置いてきちまった」
置いてきたくて、置いてきた訳ではないのだけれど。
「それがどうしたのー? いいじゃん別にー。大丈夫、気にしないと思うよー?」
「良くないだろ! お前にあいつの何が分かるんだよ!」
言ってしまったぞ。ついにあのセリフ、『お前にあいつの何が分かるんだよ!』を言ってしまった。
さつきはポカンとしてるけど、大丈夫だろう。いや、それよりも赤石か。
「あいつって、あの赤い髪に赤い服の変態さん、赤石だよねー?」
「結構知ってた!」
「極度のマザコンで、好きな食べ物は鉄火丼。身長は一七二センチ、体重は……」
「知りすぎだ! なんでそんなに知ってんだよ!?」
個人情報保護とかはないのか? 情報垂れ流しじゃん。俺より詳しいし。
というか、マザコンはやっぱり共通認識なんだ……
母親見てみたいな。
「まあ、ファンクラブの会員さんだからね」
「あ、やっぱりファンクラブあるんだ」
なんとなく、そんな気はしていた。とことんアイドルみたいだな。アイドルだったら、今までみたいなことはしないだろうけど。
「それどころか家までついてきたり、聞いてもないのに体重とか趣味とか言ってきてさー」
「悪質なストーカーじゃねぇか! 見損なったぞ、赤石!」
予想を遥かに越えた変態だった。脳裏にあのアホの笑顔が浮かぶ。クソやろうじゃねぇか。
まったく、しょうがないやつだ。
「で、そんな変態に会うよりさ、私とデートした方が楽しいでしょー?」
「まあ変態なのは知ってたからいいんだ。むしろあいつを早く、正さなきゃいけない気がしてきたよ」
本格的に逮捕が近い気がする。いや、逮捕してもらおうじゃないか。早い方がいい。やっぱり危険だから。
だが、がしっと足に強い感触。歩き出した俺の足首に、さつきがしがみついてきた。体を引きずって思いっきり掴んでくる。
「ねー、ねー。デートしようよー、デート、デートー」
「なんでそんなに焦ってんだよ。別に赤石を牢屋にぶちこんでからでも、いいだろ?」
そんなに急ぐ理由なんてないはずだ。というか、さっきから、さつきは急ぎすぎてるような気がする。
「だってー、楽しいことは早くやりたいしー。早くしないとあれが始まっちゃうんだって!」
「あれってなんだよ?」
「あれはあれだよー。ほら、かみさ……」
しがみついている、さつきが必死に口を動かす。そのまま、何か、喋ろうとしたのだろうが、爆音に妨げられた。
何かが爆発したような、轟音。衝撃波すら伝わってきそうな程、大きな音がした。
思わず俺は耳を塞いで屈む。
「な、なんだ!?」
「あー! 始まっちゃったよ! 早く行かなきゃ!」
跳び跳ねるようにさつきが立ち上がった。屈んでいた俺は見上げるだけだ。
「何してんの!? 早く行くよ!」
「うわっ、ちょっと待てよ」
腕を捕まれ強引に引っ張られ。そのまま、タッタッタッタと小走りで、空き地を出て、細い道に連れていかれる。
どうやら止まるつもりはないらしい。
「どうしたんだよ!?」
「あれが始まっちゃったんだって! 間に合わないかもしんない!」
「だから、あれって!?」
「見れば分かるから! ほら、そこの角を曲がったら着くよ!」
角を曲がって曲がって、真っ直ぐな道を進んで進んで。人一人しか通れないような細い道を抜けていく。
やがて着いた大きな道でも止まることなく、走って走って。
角を曲がった先には、見たことのない光景。
赤と黒と灰色の、地獄のような光景が、目の前に広がっていた。
「なんだよ、これ……」
「おおー! 凄いね、ユウキ!」
道に沿うように並ぶ家々が、烈火に包まれ、黒い煙を絶えることなく吐き出している。肌をチリチリと焼くような熱と、視界に飛び込んでくる赤い光が、襲ってくる。
凄絶な光景に、思わず足を止めた。
すると感じる、絡むようなねっとりとした嫌な感触。目を向ける。……やっぱり向けなければ良かったかもしれない。
血だ。地面を覆う血。覆い尽くす血。比喩でもなんでもなく、真っ赤な血の海が出来上がっていた。
「…………」
絶望。自分の顔が、恐怖に歪んでいくのが分かる。言葉を発することすらできない。
だが俺の隣にいる少女、白海さつきは、対照的な笑顔で、軽やかに血溜まりに足を踏み入れた。
「るん、らん、らん」
大きな道を二人占め。そんなことをしているのが、自分と、はしゃいでいる、めちゃくちゃかわいい女の子。
なんて、言葉だけなら最高なのに。
実際は最高どころか、最悪。天国ではなく地獄だ。
炎と煙と血。灰色の雲の下で、あちらこちらに転がる死体から、目を背けているのが現実だ。
何故こうなった? 分からない。
大きな音がして、さつきに引っ張られて。来てみればこんな状況だ。『悲劇』が起きたのだということしか、分からない。
だが当のさつきは、『悲劇』は『喜劇』だとでも言うように、鼻歌交じりで踊っている。
金髪の髪が弾み、チャイナ服のように加工されたピンクの浴衣から見える、白い腕と脚。美しい。ただただ美しかった。
跳ねる血の飛沫も、びちゃびちゃと鳴る汚い音も、彼女を照らす赤い光も、彼女の前では演出に過ぎない。
全てが彼女のためにあるのではないかと錯覚してしまう。
楽しくてしょうがないといった、天真爛漫、純粋無垢な笑顔。さつきのそんな笑顔に、一瞬目を奪われた。
猟奇的で、狂気的な光景なのに、一瞬心を奪われていた。
「どうしたの、ユウキぃ?」
さつきの踊りと、圧倒的なその美しさは、全ての人を魅了する。魅了してしまう。
けれど、そんなことを言っている場合じゃない!
「……っ! どうしたはお前だ馬鹿野郎! 何やってんだよ!?」
「見て分からないの? 踊ってるんだよー」
くるりくるりと、さつきは回る。
「そんな場合じゃねぇだろ!」
「……そんな場合じゃない?」
ぴたりと彼女は動きを止めて。両手を拡げ、叫んだ。
「何言ってるの。血で死体で大火事で! こんなところで踊れるなんて初体験、最高最高! すっごく、気持ちいいからさぁ、ユウキも一緒に踊ろうよ!」
さつきの壊れた人形のような笑顔から、俺は、目を離すことが出来なかった。




