想い
半端なく忙しい師走は、どこの宮も余計な予定は入れず、粛々と宮の業務だけをこなして過ぎて行った。
漸はそんな中でも月の宮に通って来るのをやめなかった。
そんなに掛かるものなのかと、蒼が松に進捗を聞くのだが、どうやらある程度形は整って来ていて、今はゆっくりと不具合などを直しながら話しているだけのようだった。
つまりは、宮で実際にやってみて、変えたいところを話し合う、ということだ。
形はもう整ってはいるようだった。
それでも蒼も忙しいので、様子を見に行くこともできずに毎日会合の間に缶詰め状態だった。
燐も今年は焔が留守にする鷲の宮の世話をするために、一時帰宮する予定なので、留守は高瑞一人に頼む事になり、そのための段取りが多いからだった。
何しろ、いつもは三日だったのに今回は7日も滞在する日程になっているのだ。
そんなわけで、漸が来ていても基本放置状態だった。
それでも漸は機嫌を悪くすることもなく、いつも来た時と帰る時に蒼に挨拶をして、学校へと向かって、そして帰っていた。
そんな毎日の中で、松は不思議な心地だった。
漸は、他の神とは違って手を取ったり体を寄せて来たり、全くしない。
それこそ息抜きに庭を歩く時も、隣りを歩いてはいるが、一応礼儀の手を取るという行為もしようとしない。
どうも、そういう習慣は無いようだった。
そこは教えておかねばと、外を歩く時は侍女にはしないが相手が皇女だったりしたら、手を取るのが礼儀だとは教えた。
そうしたら、そうか、と言ってやっと手を取る感じだった。
とはいえ松はもう皇女ではないので、自分にはその必要はないと伝えると、主は皇女ぞ、と言って、皇女として扱う。
そこに敬意はあっても下心など微塵も感じなかった。
漸は、とても紳士的な男なのだ。
松はそれは美しいので、あちこちで声を掛けられたり誘われたりするのだが、漸が無言で割って入ってくれるのでそれも最近ではなくなった。
だからといって、助けてやったとか全く言わず、そんな事は無かったかのような雰囲気でやるべきことを粛々とこなすだけなので、恩を売られているという様子でもない。
とにかく、漸はこれまで松の回りに居た男性とは全く違っていた。
もちろん、蒼もこんな感じだがあちらは王なので、こちらを気遣っている様子なのは良く分かった。
だが、漸は全く分からないのだ。
もう、いくら何でも新しく考えるべき事など無くなってしまっていたので、漸も月の宮へと来ることも無くなるだろう。
松は、そう思うと何か、残念な気がしていた。
漸が居る毎日が、当然のように思えて来ていたからだった。
三日に明けず来ていた漸が、ピタリと来なくなって一週間、もうさすがに宮の教育も落ち着いたのだろうと松が思って毎日の通常業務をこなしていると、裕馬がやって来て、言った。
「松。もうすぐ学校が冬休みに入るんだが、教師は新学期のクラスの準備があって、師走の25日までは出勤するんだ。でも、松は担当クラスをまだ持ってないし、明日から休んでもいいぞ?ちなみに新学期は八日からだ。」
松は、驚いた顔をした。
「え、そんなにお休みを戴いてよろしいのですか。」
裕馬は、頷く。
「みんな、クラスを持ってない教師はそうなんだ。その代わり、クラスを持っている者達よりもらえる物が少ないわけだよ。来年度からは、松もクラスを受け持てるようになるし、もっといろいろもらえるようになるからな。あ、そうだ、比呂の着物を蒼から預かってたんだった。正月用の。」
松は、パッと明るい顔をした。
「まあ。王がそのようなご配慮を。」
裕馬は、頷いた。
「子供には全員渡す決まりだからな。じゃ、宿舎に帰る前にオレの執務室へ寄ってくれ。渡すよ。」
松は、頭を下げた。
「はい、裕馬様。」
裕馬は、頷いてそこを出て行こうとした。
すると、扉のノブを触らないのに、スッと開いた。
「?」
裕馬が驚いて顔を上げると、そこには漸が立っていた。
「え!」
裕馬が仰天していると、松が言った。
「まあ漸様!どうなさったのですか、また何か問題が?」
漸は、頷いた。
「主に聞きたいことがあっての。」と、裕馬を見た。「何か仕事か?ならば待っておるが。」
裕馬は、首を振った。
「いえ、私は自分の執務室へ帰るところでした。松も、明日から正月休みに入りますので…明日以降、来月の七日までの間に何か御用の際には、私の方に仰ってください。」
漸は、眉を上げた。
「誠か。」と、松を見た。「良かった、間に合ったようで。」
松は、頷いた。
「どうぞ、お茶でもお入れいたしましょう。」
漸は頷いて、中へと入って来た。
裕馬は、言った。
「では、私は失礼を。他の職員にも話をして来なければならないので。」
漸は、裕馬を見た。
「邪魔をしたの。」
裕馬は、頭を下げて出て行った。
漸がいつも座っている椅子へと座ると、松は微笑んだ。
「最近はしばらくお見上げしておりませんでしたので、もう問題ないのだと思うておりましたわ。」
松が茶器を出して準備をしながら言うと、漸は言った。
「そうだの、教育は問題ない。ここのところ来られなかったのは、正月の時を開けるために政務が混んでおったからぞ。ただ、本日はどうしても主に聞きたいことがあっての。」
松は、首を傾げた。
「まあ、我にですか?何でしょうか。」
漸は、答えた。
「主は、常軍神やら他の教師の任にある者やら、侍従やらに声を掛けられておるが、誰にも興味はないのか?」
松は、いつもながら直接的に言う、と思いながら、首を振った。
「今のところは。それに、仮に興味があったとしても、女の方から何某か言うのは嗜みがないと言われる世の中なのですわ。漸様の所ではそうではないのは存じております。ですが、我はこちらで育っておりますので。」
漸は、フーンと納得したような顔をした。
「そうか。だからだの。」と、自分の前に茶のカップを置く、松の顔をじっと見た。「主は、興味がある男が居るか。」
松は、どうしてこう、いつも直球なのかしらと思いながら、首を振った。
「いえ…そんな、今は忙しくて、そんな余裕もありませぬし。比呂が己で生活できるまでは、我も励まねばと思うておりまするし。」
漸は言った。
「…主、我の事はどう思う。」
松は、え、と漸を見た。
そして、まじまじと顔を見つめる。
冗談かと思ったが、漸は真顔だしどうやら大真面目に言っているようだ。
「どう思うとて…ご立派なかたであるかと。我が知るどの殿方より紳士的であられまするし。」
漸は、ため息をついた。
「…紳士的と。まあ、主らの方ではそう思うやもしれぬが、我はただ、待っておっただけよ。」
松は、顔をしかめた。
「何をでございますか?」
漸は答えた。
「主が、我に言い寄って参るのをぞ。」松がびっくりして袖で口を押えると、漸は続けた。「だが、主らの方では女は控えめで…控えめ過ぎて己から何も言わぬのだな。我は、常黙っておってもちょっと話せば相手が言い寄って来る生活をしておったから、気に入ったら傍に行きさえしたら良かったのだが、主はいくら待っても寄って来ぬ。こんなにも長い時間待たねばならぬなど初めてぞ。我から言わぬと、もう進まぬなと思うたのだ。主、我の子を産もうとは思わぬか。」
松は、驚き過ぎて声が出なかった。
つまり、もう来なくても良いのではと思うほど足蹴く通っていたのは、松が言い寄って来るのを待っていたからなのだ。
つまりは、漸は松を気に入っていたということだ。
…それであれだけ徹底してこちらに触れて来ないのは逆に凄い。
松は思った。それだけ、辛抱強いのだろう。
とはいえ、漸は自分に子を産むつもりは無いかと聞いている。
黙っていられなくなったのだろう。
しかし…。
「…漸様…我は、漸様を確かに好ましい殿方だと思いまするが…こちらの常識では、一度そういう仲になったら婚姻と。それはご存知であるかと思うのです。」
漸は、頷いた。
「確かにそれは知っておる。」
松は、頷き返した。
「ですから、漸様と一時共に居るという仲には、とてもなれそうにはありませぬ。我は、身を預けるのならその殿方に一生お仕えする覚悟を持ってと思うておりまして。相手もそれを望んでくださって、でなければ、そのような関係にはなれませぬ。申し訳ありませぬが…これが婚姻のお申し出ならば、もしかしたらお受けしたかもしれませぬが、一時の仲にはなれませぬ。申し訳ありませぬ。」
そういう風に考えるのか。
漸は、言った。
「…確かに我には婚姻が何たるかが今一実感できておらぬが、それでも相手を望んで側に居たいと願う心地は誠ぞ。その心の誠が続く限りは共に居たいと願うもの。これまで、大した女も居らずで居たので、すぐに別れてしもうたが、主とは長く共に居られるような気がする。それでも否か。」
松は、漸を見上げた。
「漸様…明日を不確定な心の上に過ごすのは、無理なのですわ。我が覚悟を持って愛しておっても、漸様のお気持ちが変わったら捨てられてしまうということですわね。未来永劫とは約してくださらないのですわ。それでは、不安な毎日を過ごすことになりまする。我はこちらの常識の中で生きておりますので…。」
未来永劫と、今決めよと。
漸は、自分が拒絶された事などなかったので、どう反応して良いのか、分からなかった。
確かに松の事は、他に渡したくないという心地にはなる…だが、未来永劫松を傍に置くという、覚悟ができるほど傍に居るわけでもない。
漸は、自分でもどうしたいのか分からなくなって、立ち上がった。
「…そうか。すまぬの、無理を言うた。では、聞きたいことはそれだけぞ。邪魔をしたの。」
漸は、クルリと踵を返すと、そこを出て行った。
「漸様…。」
松は、その背を寂し気な顔で見送った。
こちらの男ならば、略奪に掛かっただろう。
だが、漸はあくまでもこちらの意思を聞いて、汲んでくれるのだ。
漸の事が嫌いなのではない。いや、むしろ好ましいぐらいだ。
ただ、婚姻という覚悟もない殿方に、一時の情熱で娶られて、さっさと捨てられて路頭に迷うなどしたくない。
蒼ならきっと、そうなったらまたここに置いてくれるのだろうが、それでもそんな男に振り回されるような人生は、もう嫌だった。
これで、もう漸は来ないだろう、と、松は本当に残念に思ったのだった。




