使者
葉月の会合も終わり、問題なく次の会合の話をして、そして、長月の月見の宴の際、かねてより延び延びになっていた、皆で集まって休暇を取ろうという計画が、進められていた。
もちろん、月見が行われるのは、龍の宮だ。
その際は、他の宮は招待せず、最上位のメインテーブルに座っている神だけで、集まると決めていた。
何もかも気兼ねなく、過ごしたいという皆の意向を汲んでのことだった。
維月は軍神達や鵬、祥加、公沙と話し合い、念入りに舞台を整える準備を始めていた。
維心は、言った。
「毎日毎日、何をしておるのよ。」維心は、また居間を出て行こうとする、維月を呼び留めた。「また例のマーダーミステリーとか言うものの準備か?」
維月は、頷いた。
「はい。とにかく手間が掛かるのですわ。念入りに準備しなければ、皆様気持ちが入らず面白くもないと思うて、こちらも一生懸命なのです。今少し、多めに見て欲しいと思います。」
維心は、仕方なく頷いた。
「しようがないの。好きにするが良い。とはいえ、やり過ぎるでない。そこまで気合いを入れずとも、また正月も同じものをやるのであろう?仮に失敗しても、正月に取り返せば良いのだ。」
維月は、まあ、と眉を上げた。
「何をおっしゃるのですか。毎回違うシナリオですのに、一度やったら皆で考えたシナリオが、無駄になってしまいまする。ですから、しっかりと準備をしておかなければなりませぬの。ご理解くださいませ。」
維心は、仕方なく頷いた。
これ以上言うと維月がまたへそを曲げるからだ。
「分かった。ま、ほどほどにの。」
維月は、頭を下げて出て行った。
維心は、ハアとため息をついた。
たかが遊びに、焔も皆も気を入れ過ぎなのだ。
維心は、思いながら維月の背中を見送ったのだった。
昼も近くなって来て、維心がそろそろ会合なので臣下は出払うし、維月も帰って来るだろうと思っていると、義心がかなりの急ぎ足でやって来て、膝をついた。
「王!只今結界外に、王にお目通りを願いたいと…知らぬ神が、参っておりまする。」
維心は、眉を寄せた。
知らぬ神?
「…我は暇ではない。先に臣下を通せと申せ。」
維心が言うと、義心は膝を進めた。
「王。」と、書状を胸から引っ張り出した。「…犬神の王からの使者なのでございます。」
犬神だって…?!
維心は、思わず立ち上がった。
「何と申した…?犬神とっ?」
義心が頷くので、その手から書状を引っ手繰るように受け取ると、立ったまま中身を確認した。
…確かに、犬神と書いてある。
「…己の眷族が世話になっているので、これから会いたいと。」維心は、言った。「先触れの使者ぞ。ここには名は書いておらぬ。犬神王と書かれてあるだけ。だが、会わぬ選択肢はない。」
だが、何と一方的な。
維心は内心憤ったが、しかしここで突き放してしまっては、長年顔すら見た事のない犬神との交流が、また絶たれてしまうだろう。
ここには、雷嘉が居て犬神がそれを引きとりたいと言って来たとも考えられた。
「…鵬に返事を書かせよ。本日では急過ぎるので明日の朝に来て欲しいと。どちらにしろ炎嘉にも話しておかねばならぬ。いきなりは無理なのだ。」
義心は、頷いた。
「は!では早急に。」
義心は言って、すぐに踵を返して出て行った。
維心は、戦慄した…犬神と。あの眷属が、遂に出て来たのか…!!
炎嘉は政務から疲れて居間へと帰って来ると、自分の椅子へと身を投げ出した。
ここのところ、長月に遊びたいからと政務を詰めに詰めて備えているので、いろいろ面倒が多い。
だが、久しぶりに皆で集まると言うし、維月も変わった遊びを用意しているらしいので、絶対に数日は龍の宮で遊びたかった。
なので、毎日励んでいたのだ。
…ちょっとここで昼寝でもするか。
妃も居ない炎嘉は、別に居間で寝ていようと誰にも咎められることはない。
なので、ハアアアと息をついてソファに身を預けて目を閉じると、いきなり声がした。
「炎嘉!!」あるはずのない声に、炎嘉が仰天して目を開いた。「寝ておる場合ではない!」
炎嘉は、目の前に維心が居たので、びっくりしてのけ反った。
「こら!来るなら来ると言わぬか!心の臓に悪い!」
維心は、炎嘉に飛び掛からんばかりに寄って来て、必死に訴えた。
「だから寝ておる場合ではないのだというに!我がわざわざ来たのに!」
炎嘉は、維心を落ち着かせようとその胸を押した。
「だから!臣下が見たら主が我を押し倒しておるように見える!起きるゆえ、落ち着け!」
維心は、ハッと我に返ったような顔をして、慌てて身を退いた。
炎嘉は、ハアと肩の力を抜いて、言った。
「あのなあ、少しは考えよ。死ぬかと思うたわ。我を襲いたいなら夜に来ぬか。ならば相手をしてやるゆえ。」
維心は、ブンブンと首を振った。
「違う!」と、胸から書状を引っ張り出した。「犬神よ、犬神!来ると言うて!」
炎嘉は、急に真剣な顔をすると、手を差し出した。
「これへ。」
維心はやっと落ち着いて来て、それを渡す。
炎嘉は、その書状を読んで、顔をしかめた。
「…して?今日来たいとか書いておるが、主はここに居る。いつにしたのだ。」
維心は、頷いた。
「突き放しては二度と出て来ぬだろうと、明日にした。機を逃してはと思うて。」
炎嘉は、ため息をついた。
「雷嘉を見捨てることはできなんだか。己の眷族が龍に仕えるのが否と?」
維心は、首を振った。
「分からぬ。だが、名乗りもせぬしあまり良い印象ではない。あちらも、雷嘉が居るから仕方なくという事のようだと思うたが…。」
炎嘉は、書状を見つめた。
とはいえ、この書状からは、あちらの思惑は全く分からなかった。
「…ならば明日は我も参る。」炎嘉は、言った。「全く未知の神ぞ。存在は知っておるし、雷嘉を見て優秀な種族なのは分かっておるが、如何せん全く記録にない。主の宮にも、あまりその事は残っておらぬだろう。」
維心は、頷いた。
「初代龍王の維翔の頃に、いろいろ交流はあったようだが…如何せんあの頃は、あまり書というものに残す習慣が無かったからの。維翔の記憶の玉を見つけて、そこから少し、垣間見えただけだった。犬神は独自に生きており、他の種族とは群れずに生きて来た。己の領地だけを守り、外へは出ては来なかった。それが、今になって。」
炎嘉は、ため息をついた。
「…これは、遊んでおる場合ではないの。犬神の出方次第では、こちらも動きを考えねばならぬし。また焔が文句を申すぞ?全くいろいろ次から次へと…困ったものよ。」
維心は、顔をしかめながら頷く。
「仕方がないわ。あやつも犬神が来るとなると諦めるであろうぞ。これから対応すれば、正月は行けるやもしれぬだろう?旭が何年も行く行くと言いながら放置しておるので、いい加減あの離宮も、手を入れ過ぎて大変な事になって来たとか言うておったしな。来年こそは行きたいものよ。」
炎嘉は、頷く。
「そうであるな。しかし、我だけで良いかの。だが、最上位の者達が揃ったらあちらも構えるか。」
維心は、答えた。
「それはそうであろう。主を呼ぶのもどうかと一瞬考えたが、しかし我だけで何かあったらと思うてな。」
炎嘉は、とんでもないと言った。
「主に神付き合いなど任せられぬわ!最初が肝心なのに、余計な事を言うてまた引っ込んでしもうたら何とする。ここは我が空気を読むゆえ。主は余計な事は言うでないぞ。」
維心は、うんうんと素直に頷いた。
「主に任せる。だが、我に会いに来るゆえ我がとりあえず話すがの。」
炎嘉は、頷いた。
「主が話してまずそうなら我が割り込むゆえ、大丈夫よ。いつもと同じようにしようぞ。では、明日であるな?朝か。」
維心は、また頷いた。
「そう。」
炎嘉は、立ち上がった。
「ならば今から参る。」え、と維心が驚いていると、炎嘉は言った。「間に合わなんだら何とする。今夜からそちらへ泊まるわ。問題ない、我は長月の月見のために励んでかなり政務が始末できておるのだ。どうせそれも無くなるのだから、今使う。」と、叫んだ。「開!出掛けるぞ!」
バタバタと回廊が騒がしくなった。
維心は、夜明け前に来れば良いだけなのに、と思いながらそれを見ていたのだった。